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小さな鍵と記憶の言葉

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「それでも、やはりお前をアリスとして認めることは出来ない。私にとって、アリスはたった一人だ」
 今までよりずっと穏やかな声音でセレスは左右に首を揺らす。ゆっくりと、気だるげにも見える否定は、それでも仄かに色づいている。
「そっか……残念」
「だから、お前は安心して向こうへ帰れ」

 今度は私が驚く番だった。
 まさか、彼女がそれを知っていたなんて思いもしなかったから。
 彼女は気付いていたんだ。私が中途半端にこの世界に留まっていること。アリスを受け入れることも拒絶しきることも出来ないまま、安全な帰路を辿るということ。
 もしかしたらセレスは、私を傷つけるつもりなんてなかったのかもしれない。本当に傷を負わせるのなら、腰に携えているものを振るわないはずがないのだ。

「もう充分だ。ここは主がいなくても大丈夫だ。私達は充分過ぎる思い出を貰った」
 今度こそ春風のような微笑を浮かべる。上向きに開かれた掌で私の両手を受け入れるように握る。そうか、彼女は孤独を知っているから、だから私にも居場所を求めるように言ったんだ。大切にし続けるように。手放すことなく、見失うことなく。失うことなどないように。それは聊か乱暴な方法ではあったけれど。

 ありがとう、そう、口を開きかけた。私がどんな結論が出ようとも感謝だけは伝えておきたかった。この場所は私にとっては不安定で不確かで、最後の決心さえしない今、私がアリスの席に座ることは許されないことなのかもしれない。
 求められるのは、本当のアリス。
 偽者の私がいつまで彼女達の存在を証明し続けられるのか分からないけれど。それでも最後のその時まで、強く願ったのはそんな一瞬だった。
 けれど無常にも、時計塔の鐘は大きな音で時を刻んだ。


「揃った」


 突然、繋いでいた指先にバチリと電気が奔った。その拍子にセレスと私は離れ離れになって、私はちりちりとした痛みを覚えながら振り返った。
 誰の声かも判断できないまま、緊張した面持ちの白兎を目で追った。その表情に違和感を憶える。

「フィン――?」
 セレスにケイさえも微笑みと安堵を浮かべる中、彼の顔はただ青白い。依然として緊張したままの顔つきに、白兎だけは別のことに警戒していたのだとやっと気付く。
 たった一人、その場に居て誰より広い視野を持ったまま。誰よりも絶対的な言葉を発したのだ。

 閉じていたはずの窓が開いて、今度こそ強い風が吹き抜ける。
 白薔薇の花弁が頬を掠める。カチコチと時間の進む音がする。

「時間だよ、アリス」

 別れの瞬間が、すぐ傍まで来ていた。