小さな鍵と記憶の言葉
『セレスタイン?』
彼女は私の顔を見て微笑んだ。《アリス》との対面は逆光の中だったのを憶えている。その前のアリスから位を譲られてこの城に来た、新しいアリス。
暗く陰に隠された顔。裾の広がったスカートを閃かせながら、私のほうへと歩んでくる。
強い光が途切れた。私はその声をずっと前から知っていた。
『信じられない。本当に? 本当にあの、セレスタインなの』
私の名を聞かれたので答えただけだ。なのに彼女は、まじまじと私を見ていた。まさか、気付いてくれるとは思いもしなかったのに。
そうなのです、アリス。私は貴女に育てられました。貴女には感謝もしきれません。そういって厳粛に膝をついた。また会えて良かった。見上げる貴方の顔。ふふ、とやわらかい声が耳に届いた。
『でも驚いたわ。こうしてみるととても綺麗な瞳をしているのね。セレスタインというより、柘榴石のような強い赤。――そうだわ』
彼女の向日葵のような瞳がゆらゆらと揺れる。何か嬉しそうに手を合わせて、ゆらゆらと綻ぶ。まるで名案のように。
「ねぇ、貴女にもう一度呼び名をあげる。『ガーネット』はどう? 今の貴女は、薄青色の鉱石よりずっと温かく感じるもの」
ねぇ、ガーネット。
私は首を振る。もう聞こえないように、もう錯覚してしまわないように。
水面の向こうの住人。新しくやってきた少女。あの人はいない。
その声は聞きなれたもののはずだったのに、ずっとずっと心地よく、そしてどこかくすぐったかった。
ガーネット。新しい私の名前。大切な人から授かった大切な名前。小さく口にしてみれば、みるみる世界が色を増してゆく。
今度こそ、永く一緒に居られると思っていたのに。もう、手放される心配もないと思っていたのに。
なのに貴女は此処にいない。この世界でない水面の向こうに。いや、其処にすらいないのかもしれない。
ガーネット。誓ったはずだ。この炎の眼に。
それなのに、貴女は、二度も私を――
どこか似ていると思う自分は、どれだけの嘘をついてきたのだろう。
作品名:小さな鍵と記憶の言葉 作家名:篠宮あさと