天国へのパズル - ICHICO -
自分と同じように別の存在を内面に据える者は、知っているだけでもHollyhockの店長ぐらいだった。それ以外の者については話題として聞いた事があっても、出会ったことは無い。
夢の主と同位置にいる彼にとって、誰かを惑わす只の予言というよりは、確信を得た根拠があるのだろう。
薄い笑みを浮かべてこちらの反応を待つ姿は、妙に策略でも立てているのかと思わされる。
そう思って視線を向けるものの、こちらの言葉の内容を訝しむ態度に動じる事など無いままだ。
「写真って、どの……」
「写真に写っていた子を見つけるのは難しくないと思う。ただ、彼女達はとても大変な状況にいる。多分、君が一番見たくないモノに追われてる。それでも……彼女達を助けて欲しいんだ。その為なら僕は喜んで力を貸すから。」
彼が自分の意識に現れるようになってかなり経つものの、感情らしきものを見せたのはこれが初めてだった。不意の事で驚いている間に、見える世界は飴細工のようにくるくると回り始めている。
何か真意があるのだろうか。聞きたくとも陸に打ち上げられた魚のように口は開くだけだった。言葉の1つでも吐き出せればいいのだが声は形を崩したままだった。
言葉を思うように紡げない状況を察したのか、彼の残像は最後に一言呟いた。
「待って……彼女達……誰……」
「大丈夫。会えば直ぐに分かるよ。……ジンになら。」
にっこりとした少年の笑い顔がその場所からの離脱の合図だった。
全てがあるべき意識の闇に消えて行く。
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「……酒臭い。」
久しぶりに嫌な夢を見て、ジンは悪態をついた。
ぼやけた視界に広がる黒ずんだ天井。ジンが見た夢に出ていたコンクリートの壁とは違い、寝転がっている場所は剥げ欠けた壁紙の見慣れたものだった。
寝起きの所意か喉にゆるい渇きを覚えた。すぐ手近にあったボトルに手を伸ばす。ついでで横に置いていたグラスに入っている水を注いだ。グラスに浮かぶのは縁に泡立つ微かな気泡。一気に飲み干すと、無味無臭の緩やかな炭酸水が喉を降りていった。
ベッドに視線を移せば、アルトが無造作に積まれた酒瓶を枕にいびきを掻いていた。
普段はいびきを掻かない奴だったとしても、酒を飲むと思っている以上に暴れていびきを掻くようになるのは何故だろうか。
まだ覚めきらない頭を働かせて、昨日の行動を思い出し始めた。
昨日は『hollyhock』で依頼内容を聞いた後、ジンとしては直ぐに帰るつもりにしていた。
なのに気がつけば、『hollyhock』を皮切りに散々飲み倒し、泥酔状態の男を住んでいるアパートメントまで引きずる羽目に。最終的に飲み足りない分を補うように酒盛りを始める状態になって、酔っ払いがいつの間にか部屋を占拠、現在に至る。不法占拠をやらかした張本人はベッドで爆睡している。
部屋の主はと言うと、床で寝落ちする羽目になり、夢で予言をされていた訳である。
目を覚ます為、ジンはのろりと起きあがり軽く伸びをするが、どうも身体は固くなっていた。首を寝違えたらしく、動かすたびに鈍い痛みが走る。爽やかな目覚めとは呼べそうにない。
首に痛みが走る度に思い出すのは、先程まで見ていた夢の出来事だった。
『充分幸せだから。』
彼女が本当に幸せだったのか。
何度も繰り返す過去の夢を思い返す。
全ては彼女が自分に与えた訓戒なのかも知れない。
誰もがあの時こうしていればと後悔の念と共に振り返る。だが振り返る度に結局、戻ることの出来ない現在に気がついて空しくなる。ジンにとっての後悔は、夢の中に出てきた彼女の言葉そのものだった。
未だにジンは自分の取った選択肢が正しかったのかどうか分からず、夢に出る過去の記憶に追われて考え続けている。
見ず知らずの他人の大罪を押し付けられて投獄され、人間の尊厳からはほど遠い形で命の終焉を迎える。そんな状況でも、笑い続けることが出来るのか。考えれば考えるほど、彼女自身が発した幸せだったという言葉は、ただの強がりにしか思えなかった。
それに、既に正常な判断を下せなかったと考えることも出来る。異常な状況で精神状態が不安定になっていた。だから彼女は笑っていた。そう考えればいいのかも知れない。そう思う事で解答は正常に現れ、問題は完結するか。
否。解答などどこにも無い。解答がどちらでも同じことだ。
ジンは彼女を救う事ができなかった。彼女の生き様や不条理溢れた死を、彼女が見据えていた瞬間を間近で見ていたにも関わらず、自分が選んだ選択肢を受け入れきれずに目を背け続けていた。その現状が、彼女の死を考える以前に重く身体にのし掛かる。
全てを誰かの所為にする事ができたなら、どれ程楽になれただろう。
5年という月日は短いようで結構長い。
あの頃の子供は今は大人になり、大人は更に狂気を抱えている。
ジンはイデア・プログラム研究施設が閉鎖された折に軍職を退き、身分を隠してアルトと共に行動。その間に出会ったのが、hollyhockの店長だ。その縁から、今は仮の戸籍と表面的なアルバイトをし、バックグラウンドではhollyhockの仕事の請負いをしている。
そんな生活をしていると、生き残りである『適性者(イデア)』に割振られてしまった人間に出会うことがあった。
書面にも残る以上に実験対象扱いを受けていて、人道上で有り得ない数多の投薬と実験のくり返し。普通では耐えられない地獄を経験済みだ。その為か人間的な思考を無くしている者が殆どで、まともな思考を持つ奴は皆無に近い。金のかからぬ愛玩人形、命令のままに動く廃人、人の血を求める殺人鬼…・法からも人からも救われることなく、底まで落ちていった『適性者(イデア)』ばかりが残り続ける。もちろん彼らが普通に生きたいと望んでいても、世間はそれを望みはしない。大多数によって少数は排除され、出てきた杭は見えなくなるまで打ち付けられる。
昨日渡された資料の中にいた『適性者(イデア)』の少女もそんな不条理を抱えて生き続けているのだろうか。ならばその写真に残る紅い双眸に問うてみたい。
あの時自分が見殺しにした彼女は本当に幸せだったのか。
「美脚よ来い!!」
突然のアルトの奇声に考えることを遮られた。
よくよく聞けば、合間合間に妙な寝言が混じっている。いつも通りに苦笑しそうな内容に占められていた。
笑う代わりに気泡のゆるい炭酸水をグラスに注ぎ、一気に飲み干す。生ぬるさを残して喉の奥から突き出す気泡の感触は、リアルな呻き声を思い出させた。
笑おうにも笑えない。つまらない演技をするよりも先に、目の前で寝こける奴が両手を埋める位の寝言を口走っている。
酒飲みにしろ、脳天気にしろ、寝ているアルトだけが彼女の存在していた時間を留めていた。
自由奔放で酒豪で女好き。そして自分の考えだけは絶対に曲げない頑固者。探し人の死を伝えても生きていると言い続け、ここに笑って戻ってくると信じ続ける。
手はかかれども、何があろうとも。アルトは誰かが見ていないと生き急ぎそうな危うさを抱えていた。
作品名:天国へのパズル - ICHICO - 作家名:きくちよ