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天国へのパズル - ICHICO -

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 悪意は無くとも言葉の使い方は他人を寄せ付けない位に鋭い所を突いてくる。
 それを知ってか知らずか、明るい声は沈黙を続ける夢の主に向かって言葉を続けた。
「それでは偶然が起こした人生最後の対面を祝って、お願いを一つ言っておくわ。……もしあいつが私を捜してくれていたら、こう伝えてくれない?」
 その一言を発した時の声は、妙な軽さを含んでいるのにどこか震えていた気がした。聞き慣れた者にしか分からない。壁の向こうで沈黙を続ける青年は、覚悟を決めた様に唇を噛みしめる。
 人生最後の願いをされる程、彼女と夢の主との関係は深いものでは無かった。ただ彼女は士官学校の同期で、認知されていない腹違いの姉で、研修時に世話になった奴の一番愛しい存在だっただけ。
 その事実が、扉の前に立つしか出来ない彼に重くのしかかる。

「お願いって言っても……私が生きた意味なんてもう分かんない。それでも一緒にいてくれたあんた達が、私の事覚えていてくれただけで充分幸せだから。」

 だからむやみに泣いたり誰かを恨んで殺したりなんてしないこと。
 あいつに言う時には、私の4倍は長生きして、5倍は幸せになれと付けておいて。
 最後まで明るく振る舞う彼女は、本当のところ壁の向こう側で泣いていたのかも知れない。すぐ側にある監視モニターから彼女の姿は映されていたが、それを真っ直ぐに見ることはできそうになかった。
 どうにかして今この場にいるのに何も出来ない事に対しての不甲斐なさ。
 彼女を憧憬の眼差しで見ていた事実。
 壁の向こうの彼女がここにいる事を知らず、彼女の心情を無視して無駄に戦う馬鹿な奴の顔。
 そんな溢れてくるモノを隠すのに必死で、全てを見る勇気が彼には無かった。
 鳴り響く警告音。ここから去らねば自分も壁の向こう側と同じ扱いになる。
 残る事もできた。だが、足は出口へ向かっていく。

 結局のところ、自分は目の前の現実から逃げ出した。差し延べられた優しさに甘え、考える事を捨てた。
 彼女が望んだからこそ、そうすることが正しいのだと自分自身に言い聞かせて。

 そして夢は何度も同じシーンを繰り返す。過ちの重さを確認するように。

「バイバイ。元気でやんなよ。」
 そして振り返る事無く去り行く自分に向けて壁の向こうから聞こえた一言。それが彼女が残した最後の言葉だった。
 
 
 ***********************
 
 
「今日もここに来たの?」
 壁の向こうからの声が消え、アラームの音が途切れていく。
 傍らに立っていた少年が笑った。額に刻まれた刺青が歪んで見える。話す度、顔を動かす度に抽象化された模様がうねり、絡みつく歯車を動かしている様だった。
「そうやって泣く事は償いになる?」
 
 年の頃は15、6と言ったところ。
 責めるでもなく、突き放すでもなく。見た目よりも穏やかな口調で話す。たんたんとしていて、年を重ねた印象を持たせた。
 ただその様相は、明らかに雰囲気を反している。
 彼の東洋めいた白と群青の服装は現代的な形装を見せているものの、生地の模様は幾何学的に組み立てられている。その生地に色を差す様に、黒髪を藍色の紐を使って編まれ、肩に掛かっていた。さらに髪が掛かるライトグレーの瞳は、獰猛な猛禽類の様に、廊下の壁を見つめていた。
 それ以上に雰囲気を崩しているのが彼の顔にある刺青だ。牡丹の花を模した文様は複雑に絡み合い、滑らかな曲線は髪へ同化し、更に首筋へと続いている。
 彼は夢の主ではない。その存在は世界から一線を画していた。
 彼は夢の主と同じものを見つめ、夢の主の事は生まれた時からの全てを知っていた。全てを知っているからこそ、いつも同じように問い掛けていた。問いに対しての夢の主の反応を伺うように。
 何も無いこの場所で聞くその言葉は、先程から突き付けられていた現実よりも、ほんの少し優しく感じていた。彼に合わせるようにゆっくりと口を開き出す。
「判らない。…いや。判りそうも無い。」
 泣くわけでもなく、悲しむ事もできない渇いた言葉。
 途切れがちになりながらも、低い声がコンクリートの壁を伝って響いていく。
 過去の全てを無かった事にできたなら。そう思い、自分の指先をナイフで斬りつける。片手から紅い雫が溢れ出し、コンクリートに落ちていった。赤く鉄臭い液体が流れていく。

「変わらないよ。そんな事しても。僕にはそこまで関われる権が無いからね。」
「ああ。知ってる。」

 時間の枠を越えてくれるものは、この場所に無い。そんな傷を作らずとも気づいていた。これら全てが、自分にとって過去の記憶だった。
 あの時、記憶の中にいた人々は外界から遮断されようとも、生き残る手段を模索していた。ただ、その探す方法の全てが正しかった訳ではない。正しい事がどういうものか分かっていても、実行出来る力が無ければ、手段が意味を持つ事は無いのだから。

 数の淘汰。一殺多生。

 例えばある家族の場合を考える。
 血を分けた父親は特別な力を子供に奪われ、その事が発覚するのを恐れた。既に保身と名誉の為に、自らの地位を利用して外に孕ませた娘の命を売った。
 父親の能力を奪ってしまった息子と、それを知っている妻を身分以外で切り捨てた。
 妻は敬虔に不実な夫を責める事無くその身を隠し、体中を病魔に食い尽くされて息絶えた。
 捨てられた息子は息子で生きていく価値を理解せぬまま、意味など何処にも存在しない死に対して、微笑む腹違いの姉を見殺しにした。
 押し付けられた他人の罪を受け入れて死を選ぶ娘、それを知らぬまま彼女を探し続ける恋人。

 善悪を決めるものはどこにも無い。一つの願いは大多数の人間の力に呑まれ、その流れに任せるように世の中は動いていく。
 それは今も変わらない。

「あの人は最後まで笑っていたね。」

 ただ生きるだけの事が何故こんなに難しいのだろうか。
 死は誰もに等しく訪れるというのに。
 今の自分にはただ生き続けて、繰り返し自分の犯した過ちを見続ける事しかできなかった。
 これが精一杯の償いです。
 これ以上のものを貴女は望みますか
 そう叫ぶ事が出来たなら、あの声は許してくれるだろうか。もしくは叫ぶ以上に何らかの行動を望んでいるのだろうか。全てを理解できない自分に対して幻滅を感じているだろうか。
 寧ろ過去の人間である彼女に許しを請うる事自体が、生き残った者の慢心なのかもしれない。
 生者の正義は死者の代償があって、初めて成り立つものだから。

「そろそろ夢の醒める時間みたいだ。」

 少年は隣側で周囲を見回して、左手から懐中時計をぶら下げる。規則的な音を立てていた時計がぐにゃりと歪曲した。そして夢の主の視界もゆっくりと色を変え、周りの風景が残像の様にあやふやに歪み始めていく。
 視界と共に揺れ動く意識をもう一度その場に位置づけると、少年は笑顔でこちらを見上げた。

「もうすぐ君と同じ人に会えると思う。昨日、沢山の写真を見ていただろう。」
「……写真?」
「うん。写真。沢山あった中にいたんだ。君と同じ人。」