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天国へのパズル - ICHICO -

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 先程まで傍観者だった彼の姿もぼんやりと浮き上がった。
 真っ黒な体に真っ黒な瞳。頭から額にかけて残る手術痕、腹の目立つ部分にいびつな瘤が一つ。
 周囲の壁や彼らの足元には幾何学的模様が現れ、赤い光を放つ。
 地面の鼓動が早まり、黒い固まりが地面に溶けた。
 踏み切ろうとした茶髪少女の片足が同じように地面に飲まれる。引きぬこうと刀を地面に立てた途端、赤く光る鎖が吹き出て彼女の体に絡み付く。
 それに気をとられた黒髪の男に向けて、金髪の男が軽く手を突き出す。衝撃で軽々と吹き飛ばされた。地面を転がる。鎖の先端が溶け、もがく少女の体を侵食しはじめた。痛みを伴うらしく、叫び声をあげる。
 金髪の男が少女に哀れみの声をかけた。

「ごゆっくり。」

 足の先から何かに吸い付かれる感触で、彼は顔をしかめた。自分の身体にも彼女と同じ様に赤い鎖が絡み付いている。
 自分に。他の存在に。彼等のする事に。全てに彼は絶望した。
 結局の所、他に命じられるままに探したものは自分のものにはならなかった。それを続けるのを選んだとはいえ、自分には何が残っているというのか。生きる事を止められそうな今、失望しか感じられない自分が一番損をしている気がした。大声で叫びたかったが、叫んだところで自分を労う者はどこにもいないし、自分を何処にも残していない。
 彼の黒い瞳はずっと目の前に起こる事象を写している。
 終始小さな輪の中で行われた人間の争いは彼らにとって切実な事ったかも知れない。しかし、彼には酷く利己的な争いだった。

 何を。
 誰を。
 どれを。

 自分の指標を無くし、呆然と座り込む彼の耳に優しい声が届く。
 
「お願い。あたしを呼んで。私なら貴方の望む事ができるから。」

 彼にはそれが誰の声なのか分かっている。だが、彼女は喋らずに鼻歌を歌っていた。
 彼女は彼の目の前で一度死んでしまった。簡単に消えてしまいそうな儚い声で彼に語りかけ、誰かの気まぐれで呆気なく死んでしまった。差し伸べられたその手の温もりを彼は知っている。
 二重奏の声が更なる混乱を呼ぶ。片方は他の存在を否定し、今まさに他者の死を喜び謳う。もう片方は他の存在を慈しみ、失われることを憂いで守ろうと叫ぶ。
 そんな彼女が自分は何を望むのか。そんな事を思う間に、首を掴まれて引き上げられる。

「私は貴方の事をちゃんと覚えてる。だから、あたしを叩き起こして。」

 金髪の男に頭をつかまれたらしい。強引に引き上げられて彼と狂気を繋ぐ鎖が引き剥がされた。差し迫った恐怖がひとつ外れたものの、手足はまともに動かない。どちらも大して変わらない。
 彼の諦めていく気持ちを追いかけるように、記憶を辿り続けた男の声が彼の頭を反響する。
 
「俺達が望むものは、お前が望むものと同じ筈だ……大丈夫、俺達がお前の中にいる。俺たちがお前を必要としている。だから、叫んでくれ。」

 彼は同じ顔をした男に撃ち殺され、自分は餌として彼を食った。その時に得た彼の記憶へどうしようもない憎悪を感じ、彼の記憶と同じものを渇望した。彼がこの世界に残る全てを断ち切ろうとしていたというのに、何故そんな事を言うのだろう。
 考える間に、彼の心の揺らぎは静まっていた。
 彼の記憶を得た時から気付いていたのかも知れない。
 飼い主にアイテムとして消費され、それが自分でなくても誰でも良かったであろう現実に。そして、それに抵抗していなかった事に。今なら分かる。全てに抗うだけの力を持っていたのだ。持っていたのに、それを使う事無く己を疎み、言われるがままに進み続けて此処にいる。
 それならばどうするべきか。考える意味なんて無い。
 不意に頭を掴む手が揺れた。投げ出されて触手の待つ地面に落ちる。


 自分は無力な獣だ。だから、こんな事しかできない。

 これが最後のチャンスだ。助けてくれ。


***********************


 金髪の男は犬の首を掴み、刀を回して絡み付く触手を切り離した。
 切り離された触手が落ちて、ノイズ音を立てて消えていく。それがヒナには二人の人間の叫び声に聞こえた。

 やめて。
 これ以上見るのも聞くのも嫌。
 もう殺さないで。

 ヒナは死んでからずっと親しい人人々が殺されるのを見ている。
 そんなものは見たくない。そう思っても、体は別のものに動かされていて思い通りにならず、刻々と体は二度目の死へ向かう。気の狂いそうな映像と音の応酬に、考える事を止めていきそうになっていく。
 既に視界は所々欠けて歪み、痛み等の刺激は感じなくなっていた。最早世界と繋がっているのは、中途半端に聞こえの悪い音とくすんだモノクロ映画の様な光。それだけだ。
 しかし、それだけでも自分のいた世界に何があって、自分が何故ここにいるのかは理解できた。

 元々、自分の体はおかしかった。
 気付いたのは母親がまだ生きていた頃、一人留守番をしていて母親の持つ裁縫箱を見つけた時だ。
 いつも器用にやる様が羨ましくて、見つけるとすぐに布と針を取出して縫う姿を真似ていた。そして、当たり前に針で指を突いていた。
 普通なら痛みと驚きに泣いて、それで終わりだったのかもしれない。
 だが、指を突いた針は尖った先から散り、散っていく傍から空中に小さな光の欠片が舞っていく。まるで手の中に星空が現れた様だった。
 それが面白くて、痛みを忘れた様に針で指を突く。針が無くなれば何となく傷ついた手で布をなぞっていく。流れ出る鮮血は針や布に触れると、キラキラと光の欠片に変わって空中を瞬く。
 周りを照らす星の粒を掴むと、ヒトと同じ温もりを帯びていた。傷だらけの掌に仄かな熱が伝わってきた。そっと手を広げると小さな赤い石粒を握りしめていた。
 輝くそれが自分の手の中にある。それが嬉しくて堪らなかった。ただ楽しくて、必死に目の前を照らす星屑を追いかけた。
 ヒナが覚えているのはそこまでだ。その後、赤い石を握り締めたまま倒れていたらしい。
 戻ってきた両親からは死ぬところだったと怒られた。そして、両親の表情は何処か怯えていた。
 まるでヒナのやった事が恐怖の始まりの様に。
 何が怖いのか。その時のヒナには分からなかった。だが、今思い返せばおかしな事だらけだ。とんでもなく無茶苦茶な傷を自分の手に付けていたのに、そこには傷跡すら残っていないのだから。
 それ以降も怪我をする事はあったものの、あれは夢だと意識すればそれが起こりはしなかった。
 あの時握り締めていた赤い石が何なのか、何故自分の目の前であんな事が起きたのか。それがどんな事なのか。
 確認したくても答えをはぐらかされたままで、その後すぐに母親は亡くなった。そして聞く間も無く父親と辺境を転々としていく。
 赤い石は母親がブレスレットにして、それが母親の遺品としてヒナの細い手首に輝いていた。
 戦場で母親の友人と再会し、ヨリを選んだその時まで。

「あんた達の人生を私が振り回してしまったのかもね。」

 母の友人・ソフィーの言葉が今もヒナの記憶に残っている。