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天国へのパズル - ICHICO -

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 家族の名残も何も残らぬうちに、ヒトという生物の作り出した檻の中に囲われ、彼らの願望の中で飼われる時間を過ごしてきた。
 生きる事の快楽は主人から与えられる食事と睡眠のみ。それ自体が生きる時間の大半かも知れないが、不快を解消するだけでしかなく、快楽はほんの少ししか残らない。
 檻の中にいても喜びを感じる事はあった。その中にいる限りは生存権が認可されている。動かされるか、身体を切り刻まれる以外は困る事が無い。
 褒美に与えられる食事と達成感が、彼の心を醸し続ける不思議な感情を打ち消していた。己が他者よりも幸せだとは思えなかったとしても。
 既に此処に来る迄の間に彼の感覚は麻痺している。快楽以外の部分が、彼から幸せな記憶を再現させる余裕を奪い取り、他に対して抱く一つの感情がどうしようもない妄執を形成していた。

 彼が欲しかったのは与えられる試練に対する褒賞ではなかった。
 彼の欲しいものは他者の記憶を見れば嫌という程残っていたのだから。
 彼等の中にあったのは死への恐怖。
 慈愛で労ってくれる存在と、自分の所在を認識させる場所。
 そして、それらを求める感情。
 それは彼の持つ記憶と経験には無いものだった。他者の記憶は目の前にある現実とは全く違い、それに対する憧れは彼の意識を簡単に他人のものに染め上げてしまった。
 染まったというのに現実は変わることなく続き、望むだけでは何も変わらないままだった。それ以前に彼は己の人生の進行過程について何の選択権も持っていなかった。既に彼の腹には大きな傷跡が残っている。大きな傷痕だというのに、彼はそれが何故腹に付いているのか覚えていない。
 だが、覚えのないその傷跡が彼に痛みを与え続け、その存在を主張している。
 その痛みと他者の記憶が彼の焦燥を加速させ、自分に与えられる全ての事象を肯定させた。

 己は何かを起こすためにここにいる。
 己は何かを得るためにここにいる。
 拒絶は許されない。

 誰が刃を向けてくるのか分からないというのに、彼は漠然とそんな事を思っていた。

「ああ、これで馬鹿共に干渉できる。」

 刀に貫かれ、少女は呟く。
 彼女の一言で血に染まった刃が砂塵の様に飛び散った。左手に持つ鞘は赤い糸に変わって、彼女の体に巻き付いていく。
 少女は少年の顔から手を放し、ゆっくりと手のひらを掲げた。淡い光が放心する彼の口から零れ出る。
 仄かに光るそれを掴むと、少女は倒れていく少年を見下ろした。

「またな。」

 彼女の瞳が微かに潤んだ。気付けば瞳孔が真っ白に変わっている。
 少女は掴んだ光を握りしめ、赤く染まる拳で少年に触れた。少年の体が形を崩し、鞘と同じ細い糸に変わっていく。彼女の手に集まって、掌全体が光の塊となった。
 男はしゃがみ込んだままの少女を指差し、再び十字を切った。
 しかし、男の傀儡は消失している。彼女をどうするつもりか、彼には想像が出来なかった。
 少女が息を吐く間に足下は黒い影が落ちる。しかし、彼女はそこにしゃがみ込んだままだ。六角型の黒い影から細い槍が飛び出してきた。
 少女は何かを呟きながら、周りの文字や影を巻き込む様に腕を回した。
 光の運動は一瞬だった。その一瞬の間に影は彼女の作り出した渦の中に取り込まれ、細く長く形を変えていく。
 出来上がった細い棒を振り、少女が立ち上がる。腕に集まった光の渦は散開し、彼女の右手には刀が握られていた。
 先程あったものよりも一回り小さく、黒く艶やかな鋼が光っている。

「さて。久しぶりだが、如何なものか。」

 中年の男の発した押し潰す様な重い雰囲気は緩み、穏やか彼女の笑みで捕食者の気配が満ちていく。
 彼女が中年の男が持つ駒を一つ潰し、新たな武器を手に入れた。それだけの事なのに簡単に辺りの空気は変わっていた。
 客席にいる男二人はそれぞれに何か呟いていたが、遠すぎて聞き取れない。
 少女は笑っているが、既に彼女の足元は穴が空いた様に真っ暗に変わった。
 戦局の変化に男は急いで指を滑らせ、光の帯を作り出す。同じ事の繰り返しだ。

「阿呆が。」

 少女は呟きながら踏み切り、軽々と跳び上がった。
 彼女が跳ぶと同時に、後を追い掛ける様に足元から黒い槍が飛び出す。少女はそれを見切って槍に刀を向けた。
 勢い良く旋回する刃の勢いに振り払われて黒い槍は霧散していく。そのまま宙を舞い、彼女は黒く変わったコンクリートの塊に刀を立てる。反射していた淡い光が彼女の周りを漂う。
 彼女は黒い闇に飲み込まれた刃先を眺める。

「これだけ出来るのなら充分。」

 彼女は足先で地面を叩いた。
 途端にコンクリートの床に亀裂が走る。彼女を中心にコンクリートが盛り上がり、亀裂をなぞって荒々しい風が吹き上がった。
 彼は咄嗟に飛び退いて、飛んできたコンクリート片を避ける。無事だったものの、自分の気配が彼女に気付かれてしまった。危害を与えられるかも知れぬと言うのに、こちらを向いて笑む姿に何故か安堵と感情の高ぶりを感じた。
 複数の傍観者の存在に少女は微笑み、刀を支える腕へ指を滑らせて手の甲を叩く。

「ああ、鬱陶しい。」

 コンクリートの亀裂は遠くで対峙する二人にまで届いた。
 ずっと黒髪の男と見合って動かぬ状態だったが、飛び散るコンクリートの塊を避けて、金髪の男が後方へ跳ぶ。
 男が床に右手を着いた瞬間、何かが爆発する音が響いた。黒髪の男は怯んだ瞬間を狙って彼の右腕を引き込み、肩を押さえて手の甲を掴む。
 再び同じ音が響いた。
 辺りの照明が弾けて光をなくし、非常灯の微かな光が辺りを照らす。
 金髪の男は掴んだ腕を引き寄せると、そのまま胴から持ち上げて思い切り投げ飛ばした。投げ飛ばされた男は少女と同じように転がるが、軽々と受け身を取って起き上がり、少女の背を守るように立つ。
 金髪の男は反撃ですら想定内だったのか、ただれた手の甲を振りながら歩をこちらに進める。
 少女は額から流れる血を拭い、笑った。

「まだ動けるだろう?」
「お前…ヴィンセントの亡霊か。」
「亡霊って…まぁ、そんなものか。とりあえずアレを止めるのを手伝ってくれないか。お前にとって損な話じゃ無い筈だ。」
「壊す時間がどこにある。ここでその子を殺すつもりか?」
「だから助けを求めてるのさ。アレを壊さなきゃこの子は開放されないし、この子に死ぬ気は毛頭無い。…全く、とんだはねっかえりを捕まえてくれた。」

 淡々と話す様に黒髪の男はため息を吐く。唐突な戦況の変化に冷静な顔をしていた中年の男は声を荒げた。

「只の狗が何をほざいている!」
「この子がソフィーから逃げる事を止めた。それで充分分かるだろ。どうせ外野にいる奴らも分かってる筈さ。」
「黙れ!」

 再び同じ事が繰り返される。黒髪の男が少女の背に手を当て、何かを呟いた。
 見た目は何も変わらない。だが、傷跡から流れる血が止まり、彼女を覆っている。
 黒髪の男は苦々しい顔をして、遠目の見物をする金髪の男を見据える。折れた刀の柄を拾い上げ、こちらに近づいていた。
 男の切る十字に併せて、地面についた亀裂から槍が2人を狙って飛び出した。