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天国へのパズル - ICHICO -

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 対して、ジンの他人に対する行為は8割が境界線だらけ。hollyhockのメンバー以外にも、彼の身体に残る傷跡の場所を知っている女性は何人かいる。しかし、それが何で付いた傷なのか知る女性は一人もいない。嘘と愛想に騙されて、あの眼鏡が伊達だという事すら知らない者が殆どだ。
 一人一人を取れば腕が良いのに、二人合わされば傍迷惑な事この上無い。
 仕事の速さと秀逸ぶり、そこへ緩急激しすぎる態度にやきもきして、既に威厳を無くした雌狐や豹の顧客が幾人もいる。どちらかが欠ける事になれば、ヘブンズドアのネットワークでバレるのは目に見えていた。助けなければそれに対する非難が滝の様にやってくる。
 アンジェラはビルの隙間から覗く灰色の空を仰いだ。
 お互い思う部分は違う筈なのに、同じ様な調子で表情は憂いでしまった。
 揃って歩くのを止めていた為、物音ひとつしない事が更なる切なさを呼ぶ。

「あいつら揃って役立たずの金持ちになれ。」
「……そこは扱いやすい馬鹿にして。うちでがっちり囲ってるのに、腕を落とされたら堪ったもんじゃない。」

 沈黙に耐えかねてお互いに文句を口にした瞬間、誰もいない筈の周囲に気配を感じてアンジェラは後ろを振り返る。ルカは前方に意識を向けた。
 しかし、際立った変化は無い。細く狭い路地を塞ぐ様に邪魔な物が押し込められ、先程飛ばされたゴミの蓋が呆気なく地面に転がっていた。
 アンジェラが視線を戻そうとした瞬間、後ろから衝撃音が連続して響き始める。
 横から来る。近い場所に回って構えるとすぐ後ろのビルの窓が割れ、満身創痍のアルトが飛び出して来た。生ゴミをクッションに転がる。
 まさかこの場所で捜索者を発見するとは思わず、アンジェラはふらつくアルトの元へ走る。しかし、それに続いてルカの真横に立つビル壁が内側から吹き飛ばされ、ルカはその衝撃を避けて壁を蹴り上げて跳躍した。
 アンジェラとルカの間を切って、灰色の土煙と共に壁を吹き飛ばした男が立ちはだかった。スーツ姿なのに右手の甲が鉛の色に染まり、無機質な緑色の瞳が3人を眺めていた。既にアルトと競り合った後なのか、スーツの元の色は分からなくなっている。

「数を増やす為か。」

 貴方は敵ですか。味方ですか。

 そんな馬鹿な問を投げずとも答えは分かっている。同性に喧嘩を売るのが得意でも、アルトは売るべき相手を選ぶ。それに、逃げる時には気配を断つ様な事はしない。その辺の要領を持ち合わせている男だ。
 現れたスーツの男の眼は、ヘブンズ・ドアにやってくる人間とは思えなかった。暗く淀んだ緑色の瞳は感情を無くし、機械人形が如く命令を聞いて動いている。イデアに落ちた人間よりも質が悪い。直ぐ傍に狂人の暗い穴がぽっかりと開いていた。

「やっぱ俺、天才。」

 アルトが起き上がり、血塗れの腕を支えながらにやりと笑った。顔と胴は無傷だが、左手は血塗れで元の形を何とか保っている。喧嘩と酒がお友達の男は戦力を確実に削がれていた。
 持ち物の無くなりかけた時に、制限だらけの場所で出会うとは。占い等信じた事は無いけれど、今日は余程運が悪い。
 アンジェラは不運を憂いつつ、持っていた絹袋の中身に手を伸ばす。
 それよりもルカの動作が早かった。男の足めがけて棍を一閃する。元の長さならば壁に当たり勢いも削がれていただろうが、今の短さは狭い空間に丁度良い。あっさりと土煙を切り裂いて、男の膝裏に打ち込んでいく。
 しかし、綺麗に空を切る。対象の不在にルカは勘で棍の方向をそのまま回し、男の位置を確かめようと顔を上に向けた。瞬間、腹をえぐる様な衝撃を受けて呆気なく吹き飛ばされる。
 穴の開いた方向に転がり、瓦礫の中に放り込まれた。

「邪魔だ。」

 罪悪感の欠片も無い言葉を投げ捨てた瞬間、腹に黒い弾丸が迫って来た。掴もうとすると、するりとすり抜けていく。
 そして、再び同じものが空気を切る勢いで真横から顔に迫ってきた。
 ヘブンズ・ドアは派手な街だ。礼儀を知らぬ子供は挨拶代わりに殴りかかってくるし、女は女で下品な容姿を振りかざす。派手な武器を持って攻撃してくる。情けをかける気持ちは微塵も感じなかった。
 トニーは軌道を眺めながら弾丸を避ける。しかし弾丸は弧を描いてトニーを追いかけてきた。
 どうやら只の鉄の玉ではないらしい。しかし、こんな狭い空間で追撃する鈍器を使うとは。数を狙うにも1人を狙うにも、壁が動きを制限して威力も半減する。それを選ぶとは素人以下。戦闘を知らない。
 腹の立つ男がそんな馬鹿に助けを求めた事に、笑いが込み上げていた。

 このコミュニティが、己に何をもたらすというのか。

 眼鏡のフェイクを被るあの男が、自分達の列から逃げ出してこいつ等を選ぶ。彼が自分達の元から離れた理由も、この者達を選んだ理由もトニーは知らない。知った仲でもない。
 しかし、ここまで使えない奴等を選んだ事実は、王様として敬われたいだけの小さな理由を想像させた。
 一匹ずつ潰していこう。周りの壁を足場に跳躍し、気ままに動く鈍器を持っている女の元へ降りる。馬鹿な脳ミソから潰してやろう。
 赤髪の女は笑顔で構えていた。両手を押さえたまま、拳を握り締めている。

「らっしゃい!」

 降り立った瞬間、トニーは左肩に衝撃を受ける。それと同時に後頭部へ打撃を喰らった。乾いた音が響き、久しぶりの衝撃で目の前に火花が飛ぶ。右腕に紅色の布を巻き、鎖のついた小振りの鉄球を振り回していた。
 よろめきながらも、トニーは後方に立つ者へ右手を向けた。右腕が形状を変え、先の尖った刃物に変わっていく。
 背後には埃を被った黒髪の少年が笑い、後方へ飛んだ。

「外れだよ。」

 刃物が彼の眼前に迫った瞬間、腹に強烈な一打を受け、トニーは膝を突いた。右手の形は鉛の色が抜け、手の甲にはカイザーナックルが形を現す。

 誰だ。何だ。

 胃から突き上げる感覚と、遅れて感じた頭への衝撃でトニーの意識は混濁していく。
 ふらつくトニーの土煙を切り、アルトの踵がトニーのこめかみにしっかりとめり込んだ。


***********************


 つまらぬ場所へ追いやられてから、彼は己が気配を絶つ事にばかり終始していた。
 目の前の事象が向かう様を眺める事は彼の身体の事を思うと楽な話だ。何もせずに傍観者でいる事は過去の自分を否定する事でしかなく、心に息苦しさとあらがえぬ苦痛を与えていた。
 今、それが彼にとって意味のある事だった。似た目的を持つ男と、生気と中身の無い人型の器。それに命じられるまま、己が血肉の糧となった男の名残を辿る。
 彼らの行き着く先には己の存在意義を食らう奴がいる。
 その場所がどこなのか、一番の敵が誰なのか。
 彼がその全てを理解するは足りないものが多かった。そしてそれを自覚していた。それでも消え続ける自分という存在を取り戻す為には、それを見極めねばならない。
 見極めた上でその肉を食らい、命を絶つ。それが今ここにいる理由であり、彼が心から求める願望だった。

 既に彼の平穏は子供の頃に消失している。