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天国へのパズル - ICHICO -

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 恐ろしく固い。黄の工房に置かれた鋼の塊を叩いている気分だ。全力で突いたというのに関節が外れる感触は無く、ただ揺らぐ振動が左手まで響いている。目の前のインテリ野郎が鎧を着けている訳でも、子供騙しのトリックでもない。
 おとぎ話の魔法そのまま。変幻自在の鉛の狩人が目の前にいる。己の身こそやわに崩れる果実そのもので、それが泣きたくなるほど情けない現実だ。
 殺人鬼、爆弾魔、傀儡師。その中にこれを足してしまえば、止めるブレーキは見当たらない。全身凶器にできるジン一人が対処するには、流石に無茶な話だ。
 1が0になる訳では無い。けれど、目の前にいる男一人は相手にしてやろう。
 アルトは覚えている情報と状況から思慮を巡らす。痛む左手を抱えた今、勝負をするには多少の保険が必要だ。
 距離を保ちつつ後方に引き、コンクリートの破片を男の顔狙って蹴り上げた。
 男は拳によって呆気なく砕き、鉛の腕で足を捕む。しかし咄嗟にアルトが足を振った事で、掴んだのはパンツの布一枚きり。好機とばかりに、アルトはその足を踏み台にして跳ぶ。掴まれた布は綺麗に破け、男の顎は蹴り飛ばされた。防御に挙げた腕は空を泳ぐ。蹴りの衝撃でよろめいている間に、アルトはふらついた足で着地すると幾分か間合いを取った。

「ンな程度で死ぬか。」

 腕が鋼になろうが、この男の初速は先程のタックルと変わらない。更に直線でしか素晴らしいスピードは出てはいなかった。先程から踏み切られた瞬間に動作のパターンを変え、端々に目につく関節を狙えば一端停止をしてしまう。
 フットワークは上等でも、この男のウイークポイントは経験の無さだろう。しかも主人をけなせば、やってくる内容は単純明快。自分と同じで戦略も糞も無くなる。
 その様相でアルトの顔には笑みがこぼれていた。ルカやウォルトより経験と才能を持っているだろうが、今の状態だけでかなり話は変わっていく。そのフォローで持たされたであろう武器も、己の力量も把握しきれていない状況は、こちらに利を与えるだけ。
 この男がいる組織は全身凶器になる化け物集団。抜けた奴の後釜とするには、非常に中途半端な奴だった。
 何も無い場所で生まれ、罵られる現実を生きてきた者の性分として、純粋培養されたヒヨコから二発目を食らう気持ちは微塵もない。
 ふらつくマシンガンに罵りの笑みを向けた。

「頭まで鉛にできねぇのか。テメェのご主人様も節穴の目をお持ちだな。」

 貴様に何が分かる。
 トニーは顎からの衝撃で朦朧とする頭を振り、重心を落として目の前にいる男の陣中を狙って踏み切る。先程から躱されているが、時折ふらつくこの男の状態を見ればダメージの具合は分かる。
 ケビンの行為はこの男にちゃんと効いている。
 だが、この男の地力はまだある様子だ。疲れた体でこちらの拳や蹴りを軽々と避けていく。その様に、逃げ出した男と同じものを感じた。

 こんな奴の我儘が、何故この世をまかり通るのか。

 トニーの望みはただ一つ。
 己の上に君臨した脱走者の存在を打ち消し、自分の存在を認識させる。ただそれだけだった。
 彼らの輪の中では『法』を統べる絶対君主が認めぬ限り、己の存在は何処にも形を残さない。その絶対君主の一端を担う幼子達にさえ、人として扱われる事は無い。
 ただ人形の様に彼らの定めた規律を守り、それに反する者を排除する。馬鹿げた規律が半世紀も続けば、慣例と卓上の理論が組織を動かしていく。

 それが残ったモノを守る行為であり、再び生を受けた人の性。

 物心付いた頃からそんな説法を受け続け、規律に柔順である事が己の存在意義を残す事と盲信する。まさにトニーは組織にとって可愛らしい人形そのものだった。
 しかし柔順な人形だからこそ、処遇は酷くおざなりなものになってしまう。彼の仕事は組織のペーパーワーク、もしくは尻拭いと後片付けばかり。
 それらしい経験はこれといってないままエリートと呼ばれ、組織のトップに君臨する者に飼われる身。
 トニーの人生はまさに理不尽との戦いだった。
 訓練だけでは戦闘スキルの不足を埋める事もできず、規律に反する者ばかりが愛される。
 その所為だろう。トニーにとっての組織への愛情は誰よりも深く、それに対する憎しみも色濃く染まっている。
 トニーは希望を捨てる程の年を取っていない。それは彼の行動の端々に現れていく。
 己の生き方を否定しないと言うのなら、皆は自分の存在を認め敬うべきだ。何故見下し、理屈の無い者と蔑むのか。
 燻り続けるその感情が、他人に対する恋心の焦躁だったなら、どんなに楽だったろう。
 焦りは逸る気持ちを加速させ、性急な行動を起こす。
 結果として、トニーはケビンの頼み事を快諾し、この場所にいた。
 己に定義された存在理由を打破するには、絶対権力の目前で何らかの成果を挙げるしか道は無い。ベルガモットの護衛とケビンの遊戯を手伝う事は、彼にとって一番手っ取り早い方法だった。
 それはは聖者の列から外れた者をあぶり出し、特定の人間にのみ混沌と絶望を与えるだけのもの。
 自分達の準ずる法規を違う境界線を渡る残酷で不都合だらけの遊戯だ。それに構いは無く、全ては己の処遇と日常の不満、苛立ちを祓う為の作業だ。

 苛立つ感情を押さえ、トニーは眼前にいる男を訓練プログラムにいる対象物と見る。
 狙うポイントは一点のみ。相手の隙を狙い、ただそこを打ち続ければいい。
 アルトの重心が微かに緩んだ瞬間、トニーの拳がアルトの左肩を抉った。カーテンの様に逸らすが、痛みに顔を歪める。
 その顔にトニーは更に拳を振り上げた。アルトは必死に後方へ飛ぶが、足を滑らせた。呆気なく転ぶ。

 これで終わりだ。

 その様にトニーが愉悦の笑みを見せた瞬間、アルトは咄嗟に拾ったコンクリートをトニーの眼前に投げる。
 トニーは避けようと右手を振り上げる。それを契機にアルトは窓ガラスへ駆け込み、ビルの中へ飛び込んだ。
 ジンを送ったビルとは反対側にいる。別に構わない。ここに来るのは久し振りだったが、辺りのビル構造はちゃんと記憶に残っていた。1人でやるのは疲れるが、使える手数が2人もしくは3人増えるなら問題は無い。
 喧嘩を売ってきた馬鹿とは違う、慣れた心地よい気配に期待しながら、アルトはビルの中を全速力で疾走していく。

 その後を追ってトニーもビルの中に入って来た。アルトの残した血痕の道を眺めて、耳を澄ます。
 逃げる足音は一つだけ。かなり遠く、上層階で動いていた。ほんの数分で何処から上ったのか分からない。
 壁の塗装が禿げたコンクリートの壁を蹴った。


***********************


 人気のない細い裏路地を、赤毛の女と黒ずくめの少年が歩く。
 狭いところにダストボックスが置かれ、闘技場や場外スペースの店から出たゴミがひしめき、壊れた立札や看板等が道を更に狭めていた。人がこの区画を通り切る頃には、埃やゴミでしっかり汚れてしまい、浮浪者とそう変わらない外見になっている。
 それでもここを通りたい時がある。
 寧ろ、アンジェラとルカはそこを通らねばならない状況にあった。