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天国へのパズル - ICHICO -

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 少女の腕を見れば、レオとは違って黒い染みが彼女の腕を浸食していた。
 柄に触れていた右手は染みの色を濃くして、指先からゆっくりと形を崩していく。
 彼女の手が黒い砂に変わり、光を放ちながら崩れていた。
 淡々と己の右手を眺め、溜め息を吐く。

『死んだ駒を使いやがって。憎らしい。』

 ヨリが少女を見ている間に、レオの左手は刀を突き込んだ。振る度に黒い血が辺りに飛び散る。両手で突いているからかリーチは短くなり、ヨリは止めようと必死になって突きをかいくぐる。そして、気ままに反抗する左手首を追いかけた。
 少女はその様を眺めて安堵の笑みを浮かべ、虚空に指を翳した。動きに併せてぽつぽつと淡く白い光が点り、それをつなぎ合わせる様に指先を動かす。

 『流石はウルスラの構成だ。でも、これ以上好き勝手をされるのは御免だね。』

 点った白い光は指を辿って一本の光の帯に変わり、指先を彼女の肩に伸びた。光が彼女の腕を貫き、少女の腕だけが落ちる。
 光は腕の断面に吸収されていく。腕は地面に転がり、黒い砂に変わって霧散した。
 それに合わせた様にレオの動きが緩慢になる。ヨリは隙を狙って鞘を振り、肘を払う。刀を握り締める腕は衝撃から崩れるが、何故か柄を持つ手が刀から離れた。柄に付いた黒い血が飛び散り、二人の顔を染めた。

『ヒナの命を奪い、その身体を手に入れた。それで私の時間は決まったというのに、これ以上何を望む!』

 少女は残された腕をくるりと回して円を描く。現われた淡い光の円を叩き、リズムを刻んで指を鳴らすと、レオの持つ刃に微かな煙が立ち始めた。
 レオは動揺した顔のまま鞘を掴む。血まみれの柄をヨリへ向けて振り切る。
 ここからどうすれば刀を落とせるのか。考える間にヨリの体は反応して動いていく。
 打ち込まれるタイミングに合わせて、ヨリの手は額に構えられていた。レオの血で黒く染まった柄は、ヨリの腕の中に収まる。
 振った勢いで血は砂の様に舞い落ちていく。微かに肉の焦げる匂いが漂っていた。

「これはいい。抵抗は新たなる進化を生んでいく。」

 男は指先をくるくると回し、少女と同じ様に現われる光をなぞっていく。なぞった指先から再び黒い糸が降り、地面を辿って二人を囲う五芒星の円陣を作り出した。
 少女は先ほどと似た印を切る。小さな光の輪が手元に幾つも現れ、少女は二人の足下にある円陣を指差す。
 刃から光るものが落ち始め、円陣の接触点に触れると黒い円を消して行く。

「しかし、話にもならない。」

 男は手のひらを叩き、五芒星の形に印を切る。微かに残った黒いラインは足下の円陣を浸食し、コンクリートを黒い円に変える。
 目に見えるものを気にする事無く、ヨリは鞘を掴む腕を巻き込み、回転をかけて振り下ろす。腕の交差を回転させて懐に飛び込み、柄と鞘を引いた。
 刀はレオの手から離れない。背負おうにも引き手は鞘を持ったままで、思うように動かせない。黒い円が足下に現れてから、レオは異様な叫び声をあげていた。
 少女は腕の無くなった肩を押さえて蹲る。
 崩れゆく己の体を抱きながら、少女は諦めた顔で天井を見上げた。

『ああ、本当に憎らしい。』

 ヨリは柄を手放し、引き抜いた鞘を構えて振り返った。レオの手だった部分は変形し、黒い蔓となって鍔に絡み付いている。絡み付いた蔓は植物のように何本も分かれ、刃に絡み付き、硬い刃へ根を生やしていく。
 レオは涙を流し、憎しみの眼でヨリを見ていた。
 望まぬ場所に己が存在し、自分の領域である手が別のものに作り替えられていく。
 人間らしい幻影が現れ、彼女を先導している。
 そして、形の変わった意識を揺さぶる程の痛みが襲っていた。

 原因なんて何処にも無い。
 目の前にいる彼女が何もせぬというのなら、ここにある全てを拒絶する。
 レオは笑顔で刀を構えた。

「さよなら、ニナ。」

 それは誰の名前?
 
 ヨリには分からない。だが、向けられた刃を避ける事も、払う事もせずにそのまま立っていた。
 衝撃が胸を貫き、重心を揺らす。胸を貫いた金属を見下ろすと、レオの鼓動と金属独特の冷たさが己の体を貫いていた。
 世界の中心と感覚の全てがそこに集まっている。

 これは死ぬだろう。
 ここで終わってしまうのかな。

『ここで死にたかったのかい?』

 音を感じなくなった耳に蹲る少女の声が聞こえる。
 その言葉は、ヨリの頭の中にある意識を簡単に反転させた。

 馬鹿だと思う頭で考えても、自分の置かれた状況は理解していた。
 忘れてしまった昔に、命の恩人である先生と同じ顔をした男に出会った。そして大切なものを無くしたくない一心で、その男と契約を交わしていた。
 記憶のないままであっても、ずっとその契約に沿って動いていた。
 しかし、男の計画には狂いが起きた。
 人間の皮を被った奴等にヒナが殺されてしまった。それは男の計画や想定に含まれておらず、助けを求めていた。
 そんな男の元に善意の手が差し延べられた。特別な力を持つ何処かの誰かが、不測の事態を収拾する事を引き受け、代償に先生の持っていた刀を要求した。
 恐らくこの場所で起こっている事は、彼等の計画にある通過点。この場にいる全員が死のうとも、高みの見物をしている。

 誰が悪いのかは分かっている。それなのに、ヨリは止まる事を選ぼうとした。ここで終われば只の犬死にだと言うのに。
 破壊された街の中に転がっていた時と何ら変わっていない。
 人殺しの善悪や自分の立場、色々な事を無視して当たり前の感情が溢れていた。

 死にたくない。

『なら、お前は分かってる筈だ。全てを掬い上げるには、私達の手は小さすぎる。』

 少女の声の言うとおりだった。
 考えずとも、ヨリは今どうすればいいのか知っていた。記憶ではなく、感覚が覚えている。
 しかし、その代償はあまりにも大きい。全てを思い出す事が怖くて堪らない。
 思い出せば、もう元の場所には戻れない。
 有り得ない理想は形を無くし、逃げ出したい現実ばかりが押し寄せる。息が出来ない。声が出ない。もう嫌だ。

 誰か助けて。

 貫かれてから何時間も経った気がしているが、ほんの一瞬の事だった。
 考える事よりも、体は本能に忠実で素直だ。刃を掴んで一歩踏み込み、右手はレオの顔を掴む。

「Auto Play Nina」


***********************


 より早く。
 より頑丈に。
 何にも動じる事の無い様に。

「死ね。」

 鋼色に変わったトニーの腕は鞭の様に変形し、アルトに向かって伸びた。
 先程からのダメージの所為で足元もおぼつかないと言うのに、あっさりと打撃の死角に入り込んで避けていく。トニーは拳を元の形状に戻し、メリケンサックを握り締め、アルトを狙ってその辺りに拳をぶつけていく。
 コンクリート、パイプ、屑鉄。
 周囲は砂塵が舞い散り、視界は簡単に狭まっていく。それを考えての事だったのか、再び形を変えて死角に迫り、アルトの左肩めがけて拳を振り上げた。迫る鉛色の拳を傷だらけの左腕で逸らすと、関節の裏側めがけて右拳を突き込む。
 顔をしかめたのはアルトだった。