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天国へのパズル - ICHICO -

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 ケビンの言う通り、指し示した出入り口から血塗れの少年が駆け込んできた。細い先程こちらを睨んだ者とよく似た顔立ちをしている。
 この面々で何の賭けが行われるのか。
 考え出すうちに対峙する二方を見る己の経歴と、先程ベルガモットの話していた童話が、ピーターの頭の中で螺旋を描きだす。

 人の願いを叶える魔法のグッズ。
 他人の名誉が欲しくて、『本』に書かれていた薬を作った男。
 それを使う事で裏切る男の伴侶。
 父親の妄執と不審死。
 その全てを無視していた母と祖父。
 男の願いを継いだ人間。
 医療倫理を外れた実験行為。
 血を分かつ兄弟の連鎖。
 近付いてきた絶対権力者の一端。

 どれが現実で、どれが妄想なのか。
 その全てがフィクションの様に妄想めいているのに、一部は彼の人生において起こった現実だった。今目の前にある狂気との縁は、その現実としか繋がっている様に思えてならない。
 混乱するピーターとは反対に、2人は至って落ち着いた様子で座っている。ガラスの向こうにいる知人は何かに気付いたらしく、懐からメモを取り出していた。その姿に、ピーターは何故か安堵し、消えかけた心の落ち着きを守り始める。
 どちらでも関係ない。
 ここにいるのはたかが年端もいかぬ子供2人。カードゲームの勝敗を論じる様に人の生死を論じても、所詮は金に塗れて育った餓鬼共の妄想だ。
 力で非力なこいつらに、俺の命は取れやしない。

 ピーターは己の心に言い聞かせ、荒ぶる呼吸を整えた。
 ベルガモットは寝転がるケビンのすぐ傍にある椅子に座った。己の姿を留めようと頑張る男の存在を無視し、くだらない三文芝居を責める調子で、ガラスの向こうにいる男を嘲る。

「また無駄な文句を言い始めたわ。」
「あれ、何も出来ない訳じゃないんだろ。」
「ええ、あれできちんと使っているつもりなの。彼が担当したイデアの被験者には何ら作用していないのに、あの犬にはプログラムが機能していると思い込んでる。……それはそうよ。だってあれは私の飼い犬だもの。私が初めて構築したものよ。それなのに、人の組んだものを己のモノと言う。ハーンやグレゴリー、弟の影に囚われて動こうとする。人間らしくてとっても中途半端。」
「そのちぐはくな感じ、逃げ出したクソ虫とタメ張れるぜ。」
「まだまだよ。駒が無ければ戦えないなんて、あの人の足下にも及ばない。」
「どっちも変わんねぇじゃん。」
「いいえ。彼は自分が汚れる事をしたがらない。だから、ノートとの『契約』に持ち時間を食い尽くされてしまってる。しかも、それに気付かない不感症なのよ。折角母さんが作ったモノを使ってるのに。呪いの品にでもしたいのかしら。」
「呪い云々抜きにしても、所詮は小物さ。どう転んでも本物になれない。持つ者の状態を反映してるじゃん。見せてくれる内容が楽しすぎだぜ。」
「確かにね。全員が欲張りで自分が大好きな馬鹿ばかり。たった一つの奇跡を奪い合い、他人に己の醜い姿を投影して殺す。素敵なショーだわ。」

 あのノートに何の力があると言うのか。
 子供二人が疎む物言いと、先程から己の身に感じる恐怖から、何故かピーターは立ち上がってベルガモットの首を掴んでいた。
 首は締め上げれば簡単に命が消えてしまう。彼女の首は片手でも簡単に折れそうな程細く柔らかいのに、掴むばかりでピーターの手はずっと震えていた。
 脂汗を流しながら恐怖の表情で首を掴む男を、ベルガモットは笑顔で見つめる。
 己の培程かさの張る男の行為を嘲笑い、慈愛という名の侮蔑を添えて。

「ごめんなさい。貴方もその一人だったわね。」
「お前はあの人に何をした?俺に何をした?」
「言ったでしょう。私達はあの人に力を貸してあげただけ。破綻しそうな下らない計画に、私に対する利潤と大切な品物の回収ができる様にしたまでよ。」
「俺達でも警告を出す。それも聞かないまま、勝手にあいつらは自分の命をプログラムに食い尽くされたんだ。それだけの事さ。」
「貴方はグレゴリーと同じ螺旋の中にいるのよ。馬鹿な人でも魅力的な要素を掛け合わせれば、新しいモノを生み出すわ。全ては貴方達の器量にかかっているけれど。」

 小さな手が動くピーターの震える手が添えられた。罪悪感から離れる事を拒む様にしっかりと押さえられる。
 現実とは時にフィクションよりドラマチックな衝撃で構成される。彼等の確証の無い回答から、ピーターの目には何故か涙が溢れていた。
 只の妄言と片付けたくなる回想と、証拠の無い情報の羅列。ピーターはそれら全てが、己に刷り込もうとする暗示を打ち消すものだと気付いている。笑う子供の2人の首を締めれば暗示の効果は有効だ。今ここにある彼の恐怖は簡単に消えて無くなるだろう。
 だが、ピーターはそこまで出来ない事も分かっていた。当たり前に刷り込まれた倫理観が激しくそれを押しとどめ、その罪を隠匿する術を何ら持っていない現実が、ピーターの心に巣くう恐怖を煽る。

「私達は新しいものが欲しい。それを生み出すのが貴方になるのか、あの子達になるのか、あの男になるのか。全ては選ぶだけ。……貴方が出会った頃の様に野心的なままなら良かったのに。今の貴方は面白みに欠けるわ。あそこにいる馬鹿な人よりも、あの2人よりも。」

 何の比較だ。
 心からの叫びは声にならず、ただ唇を噛み締める力が増していく。
 ずっと世界は自分を裏切らないと思っていた。しかし、その思いとは裏腹な自分がここに存在し、無知である彼らの言葉に揺らぎ、漠然と起きる恐怖に震えが止まらない。
 何が新しくて、何を古いと呼ぶのか。時間で考えるものではない事くらい、ベルガモットの首を掴むピーターには痛い程分かっていた。
 ピーターは記憶の中にいる過去の人々の事を振り返る。
 どうしようもない人だったかも知れないが、母は父を裏切る様な事はしていなかった。ピーターの記憶にあるその人は貞淑な妻であり、優しさに満ちた母親そのものだった。
 それなら何故父が死してから、父の話をしなくなったのか。
 祖父は、自分の息子のしている事は知ろうとしない人だった。ピーターに何も教える事もなく、ただ金儲けの話をする即物的な男だった。
 父親は自分に何も残す事無く死んだ。
 しかし、母は遺品の一部を父親の友人に譲っていた。あの兄弟のどちらに何を譲ったか、彼等の興を惹くものが何故父親の手元にあったのか。
 思えば、周囲の考えに疎いまま大人になっていた。
 そして、古い記憶の中にいる知人の死を望んではいない。

 ベルガモットはピーターの手の甲を撫でた。
 冷たい感触が伝わる。ピーターは今頃になって、彼女が沢山の指輪をしている事に気がついた。
 ピーターは撫でる小さな手を振り払った。指輪の装飾が当たったのか、手の甲に痛みが走る。鮮血が飛び散り、ベルガモットの白い指を赤く染める。
 ベルガモットは血の付いた指を舐め、呆然とした顔のピーターに淫靡な笑みを向けた。

「貴方の顔、とっても素敵。」
「俺の父さんもお前達が殺したのか。」
「そうね。貴方の目で見ればそうなるんでしょうね。」

 あっけらかんと語られる自供に、何ら罪悪感は無い。