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天国へのパズル - ICHICO -

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 揺れる事なく向けられた真っ直ぐな刃を掴み、レオに笑いかけた。黒い塊の様な血が地面に落ちる。

「この刀を本物にしない限り、あんた達は私と同じ生きる屍の道。本物への道はたった一つ。」

 刃先を手放し、ヨリを顎で指す。
 今、何が本物で何が偽物なのか分からない。
 分かるのは、弟がヨリに刃を向けた事だった。その顔は純真な微笑みに満ちて、ヨリは切なさを感じた。
 人になりたければ、死の恐怖に怯えて逃げればいい。レオと家族でいたいのならば、後悔の思いを叫んで、この場に泣き伏せればいい。
 そのどちらを選択する事なく、ヨリは落とした刀の鞘を拾い上げる。
 鞘の先は微かに揺れている。ヒナは見た目にそぐわぬ下品な笑い声を上げた。

「やっぱりあんた達最高。最高に狂った姉弟だ。」

 ヒナが後ろへ一歩引くのを契機に、レオは踏切って跳躍する。
 ヨリはレオの高く振り上げた刃を避けるが、その打ち込みから刃の向きを変えて振り上げ、そのままヨリの右肩を狙って打ち込む。ヨリは何とか鞘で受けたものの、重い打ち込みに顔をしかめ、刃を右へ流して素早く間合いを空ける。
 再度踏み込もうとレオが駆けるが、ヨリは最初の跳躍からレオの速さを目算し、間合いを取る。
 たった少しの時間だったが、ヨリとレオの差異を明確にした。力と勢いではレオが有利だが、速さと戦略はヨリが優位にいる。その苛立ちにレオの目付きは殺気立ち、ヨリの息はあがっていく。

 これ以上の時間を取るのは厳しい。何とか刀を落とさねばと逸る気持ちと、レオを傷つけぬ方法をと思うヨリは、落ち着こうと息を吐く。
 その一瞬にレオはヨリの左脇に駆け、右手に持つ刀を振るった。

 刃がヨリの脇腹を切り裂いていく。焼けるような感触に、ヨリは先程見た狂気を思い出す。
 そして、自分のすぐ傍にいる死を感じた。


***********************


「んな事こいつに言っても分かんねーよ。とりあえずいるだけで良いんじゃね?」

 ケビンの一声でピーターは地面に座り込む。こげ茶色の髪と恰幅の良い体型をしている事で、座り込むと熊に見えた。

 何かが起きている。

 目の前にいる者が理知的な事を述べている訳でも、下手に凶器を持って暴れ回る訳でもない。それでも、ピーターは傍にいる子供2人に激しい恐怖を感じていた。
 今ガラス窓の向こうにいるのは、ピーターの良く知る人であり、双子の片割れだ。どちらも研究者だ。2人のうち片方は医師免許を持ち、彼に父親の仕事や色々な事を教えてくれる心安い人だった。もう片方は、父親の死の顛末をピーターに囁き、父親を秀才と崇めていた。
 2人に会ったのはかなり昔の事、更に一卵性の双子だったものだから、彼等を区別する方法を全く思い出せなかった。だが、どちらであろうと知り合いには変わりない。確認しようとガラスに張り付き、ピーターは向こう側を眺める。
 少年と犬。そして知人のいる舞台は、打ちっぱなしのコンクリートだけの味気無い空間だった。血と埃で汚れた床との相違からか、動く人の姿をはっきりと浮かび上がらせていた。ピーターが目を放している間にも、その舞台の登場人数は一人また一人と増えていく。
 黒服の少女に付き添って金髪の男が現れ、そのまま少女を残して去って行く。犬は男の後を付き添おうとするが、金髪の男に追い返され、消沈した様子で舞台の端へと姿を消していく。こちらと同じ様に、この舞台を眺めるのかも知れない。
 中央に立っている少年が、不意にこちらへ顔を上げた。
 その瞳はガラスの向こうにいる自分達を見ていた。向こう側から見る限り、スモークガラスの効果で何も見えない筈だった。だが、窓に張り付く大熊の彼とベルガモット達をしっかりと睨み付ける。
 殺気ともとれる無言の圧力に気圧され、ピーターはガラスから飛び退いた。ベルガモットはその様子を見て、ガラスの向こうにいる少年に笑う。

「良い子ね、あの子。」
「あいつはこれから何が起こるのか判ってる。だから神経立ってんだろ。」
「生きる為の正義、善良なる死。どちらもあの子は嫌ってくれそう。」
「俺はあいつがここに来る頃、死体が1つ出来ている。で、今連行中の奴があの馬鹿を潰す。それが外れたら、この賭けに勝った奴へ俺の首をくれてやるよ。」
「いいの?そんなに豪華で。」
「豪華で結構。かなり楽しませてもらったからな。それにあそこまで倫理を捨て去れる畜生、この辺りに来ない限りは見る事も無さそうだし。ベルはどうする?」
「あの子を殺すのは惜しいけれど、皆殺しの後にお姉さんが自決する方に賭けるわ……賭けるモノは、お姉さんの持って来るモノでいい?」
「大きく出たねー。ズルは無しだからな。」
「勿論、当たり前じゃない。」
「そういえば…あれは、兄貴の方?それとも弟の方だっけ?」
「どちらでも。片方の死体はあの犬の餌になった。」

 ケビンの笑い声が狭い観覧室の中に響いた。ベルはしてやったりといった面立ちで笑う。
 『あの犬』とはどの犬だ。さっきいた黒犬か。ピーターの心臓の鼓動は、否応無しに早まっていく。
 人間の大多数が持つ倫理観等何処にも無い。ここにいる子供2人は他人の見せる狂気に喜び、冷静さを装うピーターだけが道化を演じていた。ピーターは自分の感じる物が何なのかやっと気が付いた。
 これは漠然と忍び寄る死の恐怖だ。自分は今まさに、この餓鬼共に頭から喰われようとしている。

「あの人達は?」
「ビル入口辺りにいる。デリックに頼んでたオートプレイのトラップが発動中。徹夜続きで萎えてた俺のやる気を、さっきからギンギンに勃起させてくれてるよ。」

 ケビンは椅子に寝転がり、傍にいる者を無視して瞳を閉じる。両手を揺らし、何かの合図を送るように指を動かす。
 その爪は全てが真っ黒に染まっていた。
 指の動きに合わせて、爪から黒色のラインが指を下り、手の甲を這い回る。生き物が水を求める様に蠢く。
 何かを感じているらしく、楽しげに笑いながらその手で数回指をならした。彼の指先にまとわりつく黒色のラインと爪の色が消え、部屋のガラスが軋む。
 指を鳴らした数だけ黒いラインは消失し、爪の色も肌と同じ色に変わっている。薄目で汚れた天井を見上げ、ケビンは黒いまま残った薬指の先をくるくると回し始めた。

「……これでも死にやしないだろうな。ま、トニーが足止めしてくれてるだろ。ガキの方は只今連行中。」
「すぐに来る?」
「せいぜい4〜5分って所かな……っ……」
 
 不意に指が痙攣し、薬指の爪から鮮血が溢れ出す。血は黒のパーカーに染み込んで同化していくが、彼の爪の色を黒から鮮血の赤に変えていた。
 ケビンは手を下ろして傷ついた指を舐め、愉悦に満ちた笑顔を浮かべた。
 ベルガモットからハンカチを差し出され、ケビンはそれを受け取ると、適当な調子でぐるぐると巻き付ける。勢い良く起き上がり、出入り口の一か所を指差した。

「そろそろ悲劇のヒロインがご登場だ。」
「拍手で迎えてあげましょう。」

 ベルガモットの拍手が、狭い部屋の中を鳴り響く。