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天国へのパズル - ICHICO -

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 戦える大人は兵役で前線に送られ、守る人はどこにもいない。無法と狂気の蠢く戦場で、彼等は生を受けた。
 戦い方を知らなければ生きていけない。母親は家族を守る為、政府から外れた組織に身を投じる。兄はゲリラに少年兵として参加し、それを羨ましく思う自分と弟がいた。そして、兄の傍にいつづける。
 全ての悪から身を守る術が、その行為の中にある様に。
 それが家族全員を畜生に落とす事になるとは、誰も予想していなかった。

 目の前の男は、ヨリが敬うその人と同じ顔だった。違うのは、物を眺める冷徹な笑みを浮かべて現れた事だろう。
 初めて会った時、ヨリの状態は今と同じものだった。己が持つ全てを奪われ、求める答えは全く見えない。
 只、彼は言うがまま動けと言った。そして、自分と同じ顔をした男から、全てを奪い取って来いと言った。
 ヨリがその約定を受けた理由は一つしかない。
 それをせぬ限り、身内が殺される。全てを奪われた中でもたらされた家族の情報は、戦場から逃れた少女を狂気の中に呼び込んだ。
 己の世界が元に戻らないのなら、一つでも零れぬ様にすがりつく。それが彼女に残された希望だった。

 約束する。レオを此の場所から出してくれるなら、私は貴方の人形になる。

 ほんの少しの時間とひと欠片の記憶。その衝撃が、ヨリの手から刀と鞘を落とした。
 目の前の現実が攻め立てる。愛しいと思うものを守りたいと思いながら、選択によって全てを捨て去ってしまう。
 それがヨリの選んだ道だった。残っていると思っていたものは指の隙間からすり抜け、その手の中には何も残っていない。
 切なる願いと当たり前のものを求め続け、結局何も持たぬ己の姿が、鏡の様に心へ突き刺さる。

「そこまで記憶が飛んでいたとは。その様で、良くもまあ俺の元に来れたもんだ。」

 フラッシュバックに混乱したヨリを見て、男は溜め息を吐いた。
 彼の嘆息は呆れた思いを表すモノではない。己の嘆きを伝える為だけの常套手段で、他人事は見下す行為だ。
 落とした刀を拾い上げ、呆然としているヨリの顎を掴む。

「ほら。必要とされたいのなら……俺に愛されたいのなら、さっさと止めろ。」

 顎を掴んだその手で頬を叩く。頬を叩かれても、ヨリの思考は混乱のまま止まってしまい、されるがままのものだ。
 男はその様に溜め息を吐き、手に付いた血を拭う。悲しい表情を浮かべるヒナに歩み寄り、小さく冷たいその身体を抱き寄せた。ヒナは無邪気に微笑む。全ての答えが彼の言葉である様に。

 愛されたくて、必要とされたくて、あの窓から飛び出したのか。
 それとも、この場にいる誰かに何らかの答えを求めていたのか。

 そんな事を考えても、目の前にある現実と後悔は何も変わらない。考える事をやめる事で、ヨリはやっと刀を手放した事に気がついた。
 男は拾った刀を少年に投げ、ただ呆然と立ち尽くすヨリを顎で指す。

「それで始末しろ。どうせすぐ止まる。」

 神と崇める死体を連れていく男の後ろ姿と、ツギハギだらけの身体で笑顔を浮かべるヒナを見ながら、ヨリは思う。
 レオは負けず嫌いで悪戯が得意な子だった。同じ場所にいた彼を助けたかった。そして、お互いが己の半身の様に戯れていたからこそ、裏切り者を殺すだけでは許さない事を知っている。
 少年は表情を変えぬまま、刀を拾い上げた。

「……レオ?」

 思い出した名前で問う。
 記憶はまだとぎれとぎれの部分が多い。しかし、目の前にいる少年は確かに記憶の中にいる弟と似ていた。肩幅や背丈等は違うだろうが、顔立ちは昔の姿を思い出させた。
 劇的な再会だが、こんな状況では涙も笑顔も出やしない。未だ混乱する思考の整理をするだけだ。
 自分が巻き込まれている訳の判らぬ現実と、その本質の形は何なのか。
 渦の中心はどこにあって、その軸は何を以て止まるのか。
 逃げる事も出来るのに、ヨリはただレオを見ていた。
 褐色の瞳がヨリを見つめる。微笑みのうちに刀を持ち替える。先程使ったところだというのに、その刀は白く輝いている。
 傍をすれ違った男に向かって、レオは刃先を向けた。

「お前が邪魔。」

 言う間に男との間合いへ踏み込み、下段より刃を振るう。鮮血が飛び散り、男の左腕が空を舞った。
 ヒナはそれを分かっていたのか、素早く飛び退いている。己の身を守る為に男の腕を逸らし、糸に引かれる様に跳躍した。
 レオは斬られた衝撃にふらつく男を突き飛ばし、マウントを取る。刀を振り上げて笑う。先程見せたヒナに似た、無邪気な笑顔だった。

「な…」
「まず、お前が黙れ。」

 答えを聞く間も無く、男の喉には刀が突き立てられた。唇だけが動き、それを疎む様にその頭に何度も刀を刺す。噴出した血がレオの身体を赤く染め、手帳が彼の右手から落ちる。彼のメモに使われていた群青色の布張りの手帳も、血に染まり真っ黒なものに変わっていく。
 人の軸は心臓と頭。そこを潰せば簡単に死ぬ。思い出した記憶を辿れば、見慣れた光景だった。
 ヨリは叫ぶ事もせず、その凶事を見ていた。ヨリの心には先程疑いをかけられた恨みも、その人が殺されて欲しいと望む気持ちも、愛しい人の一人が殺されたかも知れない悲しみも、何も感じていない。
 整理のつかぬ静かな感情が、ヨリの心を占めていた。

 ここにある全てのモノが狂っている。
 真面な顔でおかしな事を言う男。
 死んでも動いているヒナ。
 何か判らぬ力に守られる刀。
 その刀を持って笑う弟。

 こんな状況になってもどうにかしたい。そんな事を考え始める自分自身が一番狂っていると思った。この原因の一端に自分がいるかもしれないというのに。
 ヒナは呆然と立ち尽くすヨリとレオを遠目に見つめている。

「まだ終わらないよ。寧ろ、これが始まりのゴングだ。」

 ヒナは優しい笑みをヨリとレオに向けた。高く掠れた声が耳障りで、レオは顔をしかめてヒナを睨み付ける。
 楽しげに笑いながら飛んで行った腕を拾い上げ、ヒナは倒れた男を指差した。

「この男は何度でも甦る。自我ってシステムを他人に食わせてしまったから。」

 ヒナは拾い上げた腕を傷の上に乗せる。
 錯覚染みたリアルが直ぐ目の前で起こっていた。
 男の手から離れた手帳は勝手に開き、ページが風の無い場所で動いていた。真っ赤に染まる紙面がページを捲る。流れ出た血、はその動きに合わせる様に手帳の周りに集まり、血溜まりを作り出す。男の流したものが手帳に集まっていく。
 紙面には何かが書かれていた筈なのに、真っ白になっている。
 紙束が色んな物を吸い込んでいた。
 いつの間にか男の体は、流れ出た血を除いて傷が塞がっていた。先程から見飽きた螺旋の糸が、手帳の周り囲い、傷口を縫い付けていた。
 笑顔でヒナは言葉を続けた。

「こいつはもう少しすると起き上がる。起き上がってしまえば、この手帳に綴られたメモが有効になってしまう。そうなれば、あんた達は一生この男の犬だ。」

 ヒナの言葉にレオは素直に反応した。
 再び男の顔に刃を当てる。が、ヒナの馬鹿にした笑い声を聞いて、刃先をヒナに向けた。