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天国へのパズル - ICHICO -

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 疑いの感情を抱いたまま、その全てを彼に渡す事なんて出来やしない。
 彼女の震えた声での応酬に舌打ちをすると、男はヒナに視線を向けた。
 悲しい顔をして2人を見ている。隣りに立つ少年は、感情の見えぬ瞳で眺めていた。
 今ここで言い争う2人が、彼等の興を惹く事なのか。はたまたこの全てを主導する傍観者か。
 少年の様を無視して、こんな事を言い合う暇など無い様に、男はヨリを捲し立てる。

「何を言ってるんだ。ほら、ヒナも悲しい顔をしているじゃないか。」
「違います。あれは確かにヒナですけど、ヒナじゃありません。ヒナにあんな痣は無かったでしょう?」

 訳の分からぬ理由で説教され、ヨリは熱く言い返す。
 操作されていれば、白痴も賢者も変わらない。操る者の言うがままに笑う。泣く。怒る。動く。
 そんな事を言うにしても、この状況を説明するだけの情報を持っておらず、当たり前の事しか言えない。
 目の前の彼はヒナを指し示すと大袈裟な素振りでヨリを責める。全ての悪が、我を通す少女にあるかの如く。

「あれが生き返る証拠だ。お前の持っているモノをある人に譲る事で、あの子の顔に付いた痣は消して貰える。心臓が動く。彼女は生きているんだ。」
「嘘!そんな事、あり得ない!」
「嘘なものか。光を当てれば瞳孔もきちんと閉じる。呼吸もする。現に今此所にいて、俺達に笑う。泣く。怒る。あと少しで元に戻るんだ。」

 彼の言うとおり彼女は笑うのだろう。しかし、それが現実とはどうしても思えない。
 言葉が足りぬ事で伝えられぬもどかしさに、ヨリは必死に頭を振る。刃先は地面をなぞり出す。
 これは間違ってる。
 言い聞かす様に心に浮かぶ言葉は、声としては出る事のないままに消えていく。その言葉ひとつで何もかもを嘘にできるのなら、ヨリは目の前にある全ての事を嘘にしてしまいたかった。
 ヒナが死んだ事も、目の前の彼が無茶苦茶な事を言う事も。
 そして、自分がまともな人間だと思われないでいる現実も。
 そんな魔法が無いのは、ヨリにも分かっている。だからこそ、こんな事になった本当の理由を知りたいと思い、彼に現実の不自然さを分かって欲しかった。

「生き物は死んでしまうと動かない。人は他人の記憶に残るだけ。」
「ああ。しかし、死して生き返る人間がいる。宗教において聖人という敬虔な存在がまさにそれ。なり損ないは腐るだろうが、ヒナは腐らないんだ。ヒナは聖者になるべき人間だから。……そう。聖者であり、神になるべき者なんだよ。」

 果てしなく方向性の判らぬ論争は解決の糸口すら見えず、苛立ちと不安からヨリは刀を握り締めた。
 彼の傍らに立つ少年が、ヨリを不思議なものを見る目で見ている。赤褐色の瞳は、まるで足掻く彼女を哀れに思い、その姿を愛おしむ眼差しだった。
 何も言わない。なのに彼の瞳は、ヨリの不安を見透かす様に映す。
 逸れてしまった討論の筋をこちらに引きつけ、ヨリが忘れてしまった事象を捉えて離さぬ様に。
 男は何かに気付いたらしく、呆れた笑顔で頷いた。

「ああ、そうか。やっぱりお前がヒナを見捨てたんだな。」
「なっ……違う!そんな事しません!」

 あっけらかんと思いを叩き斬る一言に、ヨリは激昂した。
 未だに彼が守ってくれと言ってくれた事を、自分の使命と思っていた。彼の言う通り、その願いを実行する。それが、自分を当たり前の人間として認識する手段だった。

 希望。恋心。愛情。執着。

 全てに当て嵌まり、その一言では括れぬもので、感情の赴くままこの場所まで走っていた。
 自分の中心に残るものが揺らぎ、その中にある感情を否定され、世界中全ての者が敵以上のモノに姿を変える。

「お前の所為じゃないと言うなら、何でお前がそれを使う事が出来るんだ?」
「それは…・」
「それが使えるからヒナを見捨てたんだろう。妬ましいのならそう言えばいい。」
「そんな事言ってません!」
「なら、その身体に付いた返り血を何と言う。お前みたいな出来損ないに言われても、弁明にしか聞こえないよ。」
「…っ……」
「そうしなければヒナが死んでいたと言うのなら、何故ヒナが生きているうちにしなかった。俺の到着を待つ事も出来ないのに、どうやってヒナを守っていたんだ。その刻印を持って窃盗か?ヒナは自分の手を汚さず、お前の稼ぎで生きている。その様が妬ましくて恨めしかったのか。人間らしくて分かりやすい解決方法だ。暴力でしか物を言えず、質の悪い開き直りの妄言。そんな言い訳を言うよりも、自分のやるべき事は分かってるんじゃないのか。」
「……違…っ…」

 年相応にもなれない身体と人でなしの痣がある限り、まともな仕事は貰えない。
 その為、手の痣を嘘で包んで隠し通し、仕事を手に入れた。暴力とは程遠い体力仕事ばかりだった。
 仕事と言っても扱いは悪く、確実に風俗の階段を登る道だろう。与えられる細やかな賃金は簡単に家賃と食費へ消え、ビル管理の男共に嫌らしい目で見られる。
 それでもヒナとの生活を守りたくて、人として生きていたい。
 残されていた誇りや生き方全てを拭い取られ、残っているのはあるがままの姿だった。そして目の前の男に隠されていた本心を朗々と読み上げられる。

「どっちにしろお前は人間にはなれないんだよ。慈しまれて守られるなんて、暴力の輪の中にいる奴には到底無理な相談だ。分かるだろ。」

 地面が揺れる。世界が壊れる。
 奥底に閉まっていた暗く澱んだ感情の全てを整然と並べられ、一番言われたくない人に犯した罪を問われる。その人に確証は無いにしても、問われる罪は果てしなく重い。ヨリは唇を噛み締める。

 ヒナが羨ましかった。

 自由きままに笑い、泣き、怒る。その全てを許し、存在を認める人がいる。彼女と同じ様に自分を認めてくれる人が欲しかった。
 しかし彼女は大切な人の不在も、幸せな時間が戻って来ない事も分かっていた。自分とは違う形で、彼女も必死に生きていた。
 だからこそ、目の前にいる人と己の無実が欲しいと思った。ただ、それだけの為にヨリは走っていた。
 いつの間にかヨリの瞳から涙は止まっていた。慣れる事は無いと思っていたものの、痛みを通り越すと涙も流れなくなる。ヨリはそんな事にを気がついてしまうのが、無性に情けなかった。

「俺にとっても、ヒナは守られるべき、愛しいものだよ。誰かと比べ様が無いものだ。」

 先程から目の前にいる男は、ヒナと何と比較しているのか。
 考えなくても、ヨリはその対象を知っていると感じた。
 それは、ずっと思い出さずにいた記憶の断片だろう。少女によって切り捨てられた残骸が、答えへの近道になると分かっている。

「レオ…」

 意識せず出て来たその名前に、鼓動がはぜた。
 記憶の端で切り捨てられ、ずっと燻っていたものが形を成していく。
 爪先、膝、足、腰、腕、首。
 
 記憶の中で形成されたのは、彼女の前に現れた人間に関する記憶だった。
 少年は今よりも一回りは幼い姿だった。自分と同じ様な薄茶色の髪をしている。赤褐色の瞳が揺らぎ、あどけない笑みを浮かべている。同じ場所で過ごし、笑っていた。

 走馬灯の様にクルクルと記憶が巡る。

 母がいた。兄がいた。弟がいた。