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天国へのパズル - ICHICO -

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 愛には愛を。侮辱には更なる侮辱を。人が生きる有史の頃からの約定が彼らの法であり、その約定を破る事は形の無い戦争を引き起こす。囲われた箱庭で起こる生物の淘汰。勝手に作られた自然の摂理の中で、幾人が狂気に喰い殺されたのか。アンジェラは育った環境と、育ての親が残した教えで知っていた。
 今必要としているのは、守秘義務で商売する奴でもなければ、こちらの邪魔をしない兵。黄に替わる人間を探す方が、彼の誘い文句以上に難しい。
 ここで生きる意味が分かるのは、一体何時になるのだろう。アンジェラは空になった碗を黄に差し出した。

「コレでルカが死んでも知りませんよ。」
「アレがこの程度で死ぬタマか。」
「まあ……確かに悪運強い子ですけれど。」
「だからだよ。恐いもの知らずのあいつにはいい刺激になるだろ。」

 命を賭けるとはどう言う事か。
 そう言って黄はアンジェラから碗を受け取り、笑いながら洗い場へ盆を持って行く。
 全てを愉しそうに言う黄に、アンジェラは台所へ向かって声を上げる。

「あいつらは絶対ピンピンしてますよ。簡単に死んじまう様な奴に惚れる程、リリーは馬鹿な女じゃありませんから。それに、あの世にジンがやってきた日には、リリーとあいつの母親がこれでもかと説教し倒してます。」

 黄は納戸の間から首を出し、笑いながら天井を指差した。

「上にいる。どうせ大体聞いてるだろうから、連れて行ってくれ。ついでにこれもおまけに付けてやる。お前なら使えるだろ。」
「そりゃどうも。」

 放り投げられた袋を掴むと、アンジェラは窓に足を掛け、ベランダ真横に取り付けられた錆だらけの鉄梯子を登る。
 数段登るだけで、黄の工場から彼らの住まいへ続いている。
 強引に取り付けた屋上のほったて小屋の前は、屋台の台所の様相だった。大鍋いっぱいにスープが煮立ち、塩漬け肉が盆に盛られていた。徹夜で仕事をする上役の夜食を作っていた様で、ルカは牛刀をまな板に起くと、来訪者を仏頂面で睨み付けた。
 
「若さを買うなら余所へ行きな。童顔年増」
「折角暇を持て余す奴へ仕事を持って来たのに…・私に喧嘩売ってる?」
「ああ。あの金欠野郎より腹が立つ。」
「アレと私達を一緒にしないでよね。まだ払うもん払ってんだから。」

 アンジェラは鍋の中身を眺めると、座っているルカを上から見下ろした。雇い主が我儘なら従業員も横柄だ。
 軽く嫌味な調子で笑うこの女が、ルカは苦手だった。
 元々激しい気性から、気心の知れた身内以外で好む人間はいない。その上、年上だろうが客だろうが、目下に扱われる事を滅法嫌う。
 心臓に病を持つ姉を連れ、勘当された父親の元からこの場所に辿り着く迄の間に、彼の価値観は金銭のみに固定され、己の利益を物差しに変えてしまった。
 ルカは塩漬けの豚肉を乱暴に切り取ると、直ぐ傍にあるスープ鍋の中に放り込む。

「せめて俺へのギャランティを準備してから来い。」
「先生にギャラ払って、あんたへの許可を貰ってる。師に従わずしてあんたは何の弟子よ?」
「知るか。」

 小鍋に張られた水の中へ春雨を入れ、ブツ切りにされただけの大根を無造作に掴むと、スープの中に投げ入れた。
 黄の元に引き取られて早3年。身内びいきと言えど、祖父の仕事の顔は利益重視の志向を嫌う職人だった。まだ重火器の内容や名前、その構造しか教えてもらえず、彼の仕事は武術の基本と功力、黄の知り合いから語学基礎をたたき込まれるのみ。己の武器として持たされるのは棍にもならぬ只の木の棒。軽いばかりで、打てば簡単に壊れるものが武器と呼べるのか。
 鍛錬ついでの使いっ走りでは小遣い稼ぎ程にしかならず、何を以て弟子なのか分からないまま、黄の工房に一番弟子として席を置いていた。

「あんたが来ないって言うなら、替わりに近所の使える子でも連れて行くけど。」
「そんな適当な事言っても無駄だからな。先に爺へ通す内容の癖に。」

 苛立ちのままに、ルカは刻んだ葱を掴む。鍋に放り込もうとした瞬間、アンジェラから強引に襟を引き下げられた。日の当たらぬ首筋を露にされる。手を払い除けると、今度はシャツを捲り上げられ、細身ながらも万遍なく筋肉が付き、引き締まった背中が晒される。
 ルカが着ているシャツは、シークレット・ガーデン近くの蚤の市で買った安物だ。汚されても伸ばされても構わないが、刃物を持っている時にやられては堪らない。ルカは牛刀の刃先を向けた。

「何の嫌がらせか?」
「いや、なに。ただの確認。」
「は?」
「だって一昨日メイが店に来た時、変な打ち身と怪しい痣見つけたのよ。あんた達って双子並にそっくりだし、実は冗談で化けてるのかと思って。」

 平然と質問に答えるアンジェラの顔めがけて、ルカは牛刀を突き込む。迫る刃を慣れた手つきで滑らせて腕を掴むと、アンジェラは相手のこめかみめがけて拳を打ち込んだ。
 骨に当る鈍い音ではなく、拍手の様な軽快な音が響く。
 ルカはアンジェラの拳をこれでもかと握り締め、強引に己の傍へ引き込む。地味に拳へくる痛みに、アンジェラの表情が微かに歪んだ。

「お前か。姉さんに手を出す畜生は。」
「馬鹿。ノーマルの私が天然記念物みたいな子に手出す訳無いでしょ。」
「ビッチの分際で言い訳か。上等だ。」

 ルカの憎悪に満ちた目付きで、目の前にいる者へあからさまな殺意を向ける。物の言い方も乱暴なものから暴力そのものに変わってしまった。
 何の気無しの話題で気分を和ませるつもりだった。が、ルカの姉弟愛を超えたその様は、アンジェラの予想を遥かに超えてくれた
 少しばかり、彼の人生に一抹の不安を感じてしまう。
 アンジェラは内輪から男の食指が幅広いと言われる事が多かった。金と機会があればヘブンズ・ドアにいる男娼をあらかた買い付け、貴族遊びをしてやりたいと思う位だ。が、金を抜けば人としての情にかなり左右されてしまう。ルカの様に病弱な姉だけを盲目に慈しむ美少年など、素性が分かってしまえば腹一杯の気持ちになってしまう。そんな男を欲しがる奴など、性格の歪んだマダムが相場。無論、金を積まれても誰も食指を動かさない。
 アンジェラは姉が健気に身内から自立しようとしている事を知るだけに、やらずとも良い説教を始めていた。

「ああ言えばこう言う。姉離れを願うあの子の気持ちを察してやんなさいよ!毒舌シスコン!」
「やっぱりお前か!」
「違うって!それでいいのか、お前の人生!だから何にもさせてもらえないんじゃん!」
「お前には言われたくない!素面の酔っ払いから勝ち星取って無い癖に!」
「憎らしい子っ!あんたも私と同じでしょうが!」

 言い合いのうちに固まっていた組み手も、いつの間にやら頬を抓り合う子供の喧嘩に変わっていた。これからやらねばならない激務とは正反対の様に、アンジェラは馬鹿らしくなってルカを抓っている手を放す。

「って、あんたの人生観に時間取ってる暇無かったわ。行くの?行かないの?」

 若さで無駄に潤った肌を羨ましく思いつつ、ルカを椅子へ放る。
 質問を無視してルカは伸びたシャツを脱ぎ捨て、バラックの中へ入った。身仕度に物々しい音を響かせている。