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天国へのパズル - ICHICO -

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 だが、高く響く声は、少年の足をその場所に縛り付け、その手に黒服の男達が手錠を嵌める。
 その人の願いは露と消える。
 しかし微かに残った記憶が、人としての意識の掠れはじめた少年の心に語り続けた。

 逃げろ。

 その声は、少年を答えの見えぬ深い闇に縛り付けた。
 幼くして置かれた処遇、精神を摩耗させる状況、脳細胞の破壊を続ける中で、その声だけがずっと形を止めていた。母親でも、兄でも無い。焦点の定まらなくなってきた彼の記憶は、その声の主を只一人の血縁者に認識を変えていく。気付けば少年の希望の形は、その人ひとりだけになっていた。
 全てが憎らしく思えるのに、記憶の中で叫ぶその人は少年の心を裏切らない。
 彼一人を求めていたその声は、消えてしまった愛の残り香そのものだった。そして、傷付いた彼の心を甘く癒していく。
 彼の願いは周りにあったものを再構成だ。それが少年の希望であり、彼の意思を動かしていた。

 選択権も持たぬまま、少年はこの場所にいる。
 観客席から少女が降り立ち、2人の元に歩み寄った。すぐ近くに立っている金髪の男は手に持つ刀を振り上げる。辺りを照らすライトが、彼等の立つ位置一か所のみに変わった。
 この男が、変態の金持ちに寵童として買われた少年を雇い、傍に立つ男に引き渡し、そして仕事を与えた。
 仕事内容は、指定をした人間を片付け、その骸に虫ピンを刺しておく事だった。彼らから渡された虫ピンを頭に刺すと、死んだ筈のそれが動き出す。その替わりに、虫ピンが消えて、その周囲に真っ黒いラインが浮き上がってつなぎ目を作った。動き回るコレが人ではない事を知らしめる様に。

 柵の向こう側から金髪の男の傍へ、喪服姿の少女が歩み寄っていた。
 顔に付いた傷は綺麗に縫い合わされ、豪華なサッシュの付いた帽子を被り、無表情のまま遠くを見ている。
 彼女顔にも黒い模様が張り付いている。それが死した彼女だと知らしめるように。
 彼女もまた、少年と同じ者を待っているらしい。死んだ人間にそんな記憶が残るものなのかは知らない。
 ただ金髪の男曰く、虫ピンを刺して起き上がるまでの時間が早ければ早い程、記憶と感情は残るらしい。だが、自由は無い。動き回ると、腐敗の進行が格段に早まる。
 つい最近までいた奴は、彼女よりも死ぬ時期が遅かった。なのに、移動している間に腕が熟れすぎた果実の様に落ちた。腕がもげて、脚が外れ、首が落ちる。うめき声を挙げながら、酷い臭と腐った汁を垂れ流して止まる。
 始末をせず放置した分が殆どで、少年もそれがその後どうなったのかは知らない。多分、金髪の男の仲間が片付けたのだろうと、少年は考えていた。

「ちゃんとあんたへデータとリストを渡しただろう。……あんたの主人なら、もう少し都合ついたんじゃないのか。」
「其れ独り残っただけでも充分だろ。じゃ、俺は席を外す。全てが終わる頃に迎えに来てやるよ。」

 男のすぐ傍にいた犬は、立ち去る彼の後を追おうとするが、男2人に制止されてしまい、生き場を失ってしまった。仕方なしに、明かりの無い場所へ行って座り込む。
 黒毛に黒い瞳とはいえ、狩猟の習性を忘れた獣の筈だ。男のロボトミー行為によって意思すら無くしたのか、それとも虫ピンの刺さる死体なのか。そのこの場所での気配を全く消してしまった。
 少年にとっては、犬がどうなろうと、金髪の男がどうなろうとどちらでも構わない。己の邪魔をしなければ、犬でも人でも只の傍観者だ。
 その状況は金髪の男の興味を惹いた様で、笑いながら悠々と立ち去っていった。男が聞こえるように舌打ちを打つ。

 悔しがらずとも、お前はここで死ぬよ。

 そんな事を思いながら、傍に立つ男を見上げた。身体をぶつ切りはせずとも、コンクリートで仕切られた部屋に監禁し、散々手足に注射針を刺し、少年が力無く打ちひしがれる様を罵った馬鹿な男だ。とっくに彼の我儘は聞き飽きている。
 彼が文句を言わずとも、仕事を与えられた時には、少年と同じ立場の者が数人いた。その者がこの男へ牙を剥く事を望んでいた。だが、彼以外の者は消えてしまった。
 自決。抹殺。何とでも言い様のある方法で死んでいった。
 少年は死体を見ても別段何も感じないが、他の者は血の赤を見ると興奮したらしい。すぐ傍にいる者にまで手をかけ、自分もそのまま喉を掻っ切る。その難を逃れた事で、今この場所に残ったのは彼一人だけになってしまった。
 そして、そんな人間を扱う医者、尚且つ少年達の状態に精通した者として、傍に立つ男は容疑者対象として警察に追われている。更に少年達の実験資料を持つ一人として軍にも追われる身だ。
 この男の願望が為に、自分の益にならない血を被る事を、少年は望んではいなかった。
 この闇は、あの黒服の男達がもたらした闇だろうと感じている。
 それ故、自分を束縛する声の主が、この男の無駄口を出す喉を掻き斬る事で、全ては片付くと考えていた。
 あの時叫んだ声は己を生かす事を望み、己を残す為に死にゆく者なのだと、少年は漠然と思っている。
 愛する者が死ぬ。己の為に命を散らす。少年は共に散る事も厭わない。

 少年は吹き抜けの壁に並ぶガラス窓を見上げた。
 己を殺す者など何もないと思い込む畜生が、そこにいてこの状態を刺激的な舞台だと覗き込んでいるのか。
 自分独りが生き残ったとしても、その後に歩く場所がこんな馬鹿らしい世界ならば、それこそ疲れてしまう。

 怨恨と渇望。
 目の前でこの男を殺してくれれば、きっと全てが終る。
 終わってしまえば、貴様らともおさらばだ。

 彼らの背後から足音が響いてきた。振り替えると、同じ年頃の少女が駆け込んで来た。その場にいる3人の顔を見て、強いまなざしで皆を見据える。
 少年の赤褐色の瞳が、待ち人をじっと見つめた。その手には血に染まる布が巻かれていた。下にはお互いに同じ刻印が彫られている筈だ。

 似た顔立ち、同じ姿をしていた彼女に、少年は心地よい愉悦を感じていた。酷く歪んだ彼の感情は、行き場の無い渇望だった。
 同じモノを傍らに立つ男も抱いている。

 全ての交錯と連鎖の終着点は、今この場所だ。
 その後の形を、『希望』にも『絶望』にも変化させる。全ては只の取捨選択。

 待ち人は刀を抜いたまま、血塗れで現れた。さあ、貴女の出番だ。


***********************


 黄は真っ赤に染まる月を眺めながら、椀に急須を傾けた。仄かに薫る茶の匂いは、部屋に漂う鉄臭さを現実に変えていく。

 馬鹿者の休息とは、かくあるべきだ。

 その思いと温い椀を月に掲げ、黄は笑顔で烏龍茶を飲み干した。
 黄は休息時に眺める月が好きだった。
 母親の歌う子守歌に月を用いたものが多かった。そして、ドームの外郭と砂埃で紅く染まる月は、幼き頃に見た故郷の風情と、その季節の移ろいを連想させた。
 泥の様に纏わりつく黄砂が舞う乾期、濃く深い霧が辺りを包む雨期の頃。
 先の混乱期に跡形も無く消えてしまったその場所は、もう二度と見る事が出来ない。
 同じ時間を過ごした友の殆どと共に、権力を持つ馬鹿の行うぶつかり合いによって綺麗さっぱり消えてしまった。