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天国へのパズル - ICHICO -

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 戦い方も知らず。戦う為の武器も持たず。同居人からも独りで外に出るなと言われていたのに。
 同じ様に玄関からパトカーの行き先を眺める人を見掛けた。それが更に気持ちをはやらせる。
 サイレンの方角をたどってアパートメントから少し離れた交差点に行くと、侵入禁止の非常線を貼る警察官と、そのテープの向こうに飛ぶ黒い色の痕跡が見えた。その様相は彼女の頭に浮かんだものをリアルにしていく。
 すぐ傍にいた警察官を捕まえ、何があったのか問い質すと、たかが子供といった応対であっさりあしらわれた。

「こんな時間に独りで危ないだろう。帰りなさい。」

 警護の為に付き添おうとする警官を無視して、ともに暮らす大切な人を探す為、街灯もまばらな道をひた走る。街灯もまばらな暗い道で、その人の姿を探し続けた。
 母親は死んだ。父親は姿を消した。
 そして帰りを待つその人までいなくなる事は、その手にあるもの全てを奪われてしまう事と同じ意味を持つ。生命線を絶たれるのと同じだ。
 そんな恐怖心のまま必死に走り回るうちに、己のいる場所が何処なのか分からなくなり、日頃の運動不足とも相俟って、道端に座り込んでいた。騒ぎのあった場所から少し離れてしまい、様子を見ようとする人もいない。
 いるのは、大きな犬が一匹だけ。
 黒毛の垂れ耳をした犬だった。この辺りの野犬は駆除されたところだったが、首輪をせず彼女を見ている。
 威嚇も無く、懐くでも無く。いつの間にか近寄り、彼女の顔を覗き込んでいた。

「ねぇ、貴方も一緒に探してくれない?」

 私の大事な人を。

 一声吠えた目の前にいる犬の頭に、彼女はそっと手を伸ばした。
 その頭に触れた瞬間、彼女の胸を何かが貫く。不意の衝撃は彼女の意識を揺らした。
 声が出ない。息が詰まる。
 己の胸を貫いた刀先に視線を向けるものの、そのまま刀を抱えるように前のめりに俯き、仰け反る様に倒れた。

「アウト、セーフ……お前はどっち?」

 空を仰ぐ彼女の視線の先には、空ろな目をした男が血に濡れた刀を持っていた。その隣りに少年が立ち、力尽きた彼女を見下ろしている。彼は彼女の探した人に面立ちが似ていた。
 男は何度も何度もその刀を彼女の胸に突き刺し、同じ言葉を繰り返す。
 遠のく意識の中で感じた切なさは、嫌でも彼女を攻め立てる。

 やっぱり私は、何もできない。

 父親を追う人々から逃れ、行き着いた先は政府からの地域独立を願う戦場で、そんな中では何処にも味方はいない。
 抗争のど真ん中の場所で父親とはぐれ、見ず知らずの連中に捕まった時、彼女は死と同じ恐怖と絶対的な正義に出会った。
 同じ様に捕まった身なのに、銃身や武器を持つ大人へ殴りかかる。
 全てが怖かった。しかしその時、その人が彼女の中で「勇者」であり「正義」だった。
 隠れる事もできず、迷惑ばかりかける己の存在には、一体何の意味があったのか。


 そんな憤りを感じて息絶えた今、彼女は暗闇に満ちた場所に立っている。
 彼女が昔見た正義は無い。勇者等どこにもいない。
 ピンスポットの当たる吹き抜けの中心に立ち、勇者を気取る男に笑いかけていた。
 男はその笑顔を見ながら、彼女の細い肩を引き寄せて背を撫でる。

「馬鹿共の所為で痛かったろう。これから罰を受けてもらうからね。」

 父親にそっくりな顔をした男が、何故か彼女に親しげに語り掛ける。その姿も声もそっくりだが、濁った視界の中でもこの男は父親ではないと気づいていた。
 彼の言う痛みは全く覚えていない。しかし、意識の遠のく瞬間、この声を聞いた気がしている。
 ただ眺めるだけの少年と、刺すのに飽きて彼女の体に歯を立てる男を引き離し、少年にその男を殺せと命じた。
 己の手は血に染まっていないと思いながら、他人の手を血で汚す。
 父親がそんな酷い事を目論む人間なら、逃げ回るなんて選ばない。そんな事をする人じゃない。
 だから、自分はこの男の間違いで死んだと思っていた。お陰で、父親と同じ顔をしていても、この男に何ら愛しさを感じていない。
 それでも、この男の言うがままに笑顔を向ける。動き続けている。感情を無視した事しかできず、自由は全くない。
 その合間にも、刻々と二度目の死に近付いていた。物に触れても感覚は無いし、どんどん意識が遠のいていく。
 薄れる意識の中、彼女はこの男の言葉と態度は、陳腐な家族ごっこでしかない事に気付いている。そして、自分達が愛しい人を思ってやっていた事も、似た様なものであると感じていた。
 その人と出会った頃に感じた正義に見合うだけのものを、まだ何も返していない。

 空ろな意識の中、彼女は思う。

 愛情、喜び、悲しみ。
 全てを忘れてしまう壊れた世界がここにある。
 そんな場所、あの人は来るべきじゃない。もしもあの人が来るのなら、今の私に何ができるのだろう。


***********************


 少年は終局を待ち続けていた。

 彼がいるのは広い円形の広間だ。柱はヤワな癖に背が高く、吹き抜けのお陰でかなり広い。だが、スポットライトが中央を照らしてくれている事で、広いのか狭いのか全く分からない。だが、先程隣に立つ男から命じられた内容は覚えている。

 もうすぐ、ここに俺が来る。言う事を聞かなければ、俺が殺す。

 心の中で反芻してみるものの、あまりに馬鹿らしい内容で、髭面の痩せこけた男に哀れみの目を向けた。

 彼は全てにうんざりしていた。
 この街、傍らに立つ男、その男が憎むべき者。
 そして屍体を食らう屍体、それを餌とする同種の生き物。
 何もかもが馬鹿らしくて、どこまでも憎らしくて堪らなかった。

 全てを無くした彼には、昔の記憶が少しばかり残っている。
 その場所では周りの人々が彼を守り、彼の全てを愛してくれた。心地よい温もりと程よい冷却を宿すその場所は、今でも彼の幸せの形だ。彼が望めば、望むものをもたらしてくれる。
 母親はただ愛してくれた。彼の腹具合を察して、食事を与えてくれた。そして、彼に仕事とは何たるかを教えてくれた。兄姉は彼と共に此の世界が何たるかを共に学んでいた。
 だが、その幸せは黒服の男共が、徒党を組んでやってきた事によって、唐突に終わりを告げた。
 少年に与えられる無償の愛と庇護は、何処かの馬鹿の遊興に巻き込まれて、そいつらの戯曲の一場面に変えられてしまう。
 黒服の男達に連行され、着いたその先では体を切り刻まれ、馬鹿ほど薬を飲まされる。その繰り返しに、少年の心は形を変えていった。
 只、全てを無くした訳でも無く、彼の心には同じ者がずっと寄り添っていた。
 それは同じ場所で育ち、同じモノを食した『人間』の存在だった。
 全てが奪われた時、彼の幸せを作る者の殆どは手錠を掛けられていた。兄は銃で打たれ、母親は顔を腫らして黒服の男達に連れられている。
 そんな中、少年に手を掛けた狩人を、誰かが殴り倒した。
 その行為自体は慣れたもの。彼らの『遊び』に乗っ取った、他人を片付ける簡単な方法だった。

 糞ガキが。

 罵る言葉と暴力。そのまま取り押さえたその人は、悪意から少年を逃そうと必死に叫んだ。