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天国へのパズル - ICHICO -

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 コーヒーが入っている筈の陶器には、煙草の灰と吸い殻が入れられている。ジンの吸い殻ではなく、禁煙のこの部屋ならではの灰皿である。
 カウンターの中に置けて、傍目に見ても灰皿と分からない。
 この部屋の火災警報機は昨年から故障している。全館禁煙の建物だからとジンが言っているのにも関わらず、捕まらないのをいいことに、嫌がらせの様に吸う。火事を出されては厄介だからとジンが考えた苦肉の策だった。
 コーヒーカップは以前からカウンター裏の事務スペースにあったものだ。来客用なのか誰の私物なのかジンも知らない。とりあえず誰も取りに来る気配もないので勝手に拝借していた。
 ただし、最初は薄いクリーム色だったカップが、今は煙草のヤニで所々茶色く黄ばんでしまっていた。持ち主が現れてもしらばっくれるしか無いだろうし、ここに来客が来たとしても、こんなカップでお茶は出せない。
 そんな持ち主不明の不運な灰皿を渡し、ついでに積み上げた本をバランスを崩さぬように解体した。先程まで並べていた順にきっちりと本棚へ仕舞っていく。
 横から落胆する声が聞こえてきたが、いつもの事なので聞こえないふりをした。

「アルトの方こそ休憩の度にこんな所で油売らないで、少しでもサービス残業しろ。カス程しかない収入が上がる。」
「やなこった。あの薄毛のボンボンにゴマするぐらいなら、俺はヘソを噛んで死ぬ。」

 アルトと呼ばれた男はそう言って紫煙を美しい輪にして吐き出した。
 薄く広がる輪の中に続けて小さな輪が二つ、三つ。柔らかな午後の日差しの中に溶けていった。
 不安定な政府、不安定な治安、そこかしこで起こる紛争等で未だに緊張の続く時に、どうにも暢気な人を食った態度。この調子だとその男の髪がストレスに根を上げ、毛穴から綺麗に姿を消すのもそう遠いことではないだろう。
 薄毛の上司が哀れに思えた。

「しかしお前の眼鏡は笑いのネタだな。辛気臭い顔が更に辛気臭く見える。」
「その不精髭ほど見苦しく無いと思う。いい加減剃れ。」
「一日ですぐに伸びるんだから仕方ないだろ。面倒から発展したオサレだよ。オサレ。」
「どこがお洒落だよ。不衛生が5割増されてるだけだろ。」
「酷いな。今ので俺のガラスのハートはヒビだらけになったぞ。」
「ガラスのハートが聞いて呆れる。強化ガラスの間違いじゃないのか。」
「そんな口を聞くとは……お兄さん悲しい。」
「アルトみたいなふざけた血縁者を持った覚えはない。」

 お互いに男だけのむさ苦しい空気に飽きて、段段と貶しあいになってきた。
 端から見ているとコントにしか見えないのだが、言葉の端々の毒は着実に増えていく。
 それと連動するように、ジンの根気も限界を迎えてようとしていた。

「とりあえずお前相手にボケるのは飽きたから、美人司書を呼んでくれ。眼鏡の似合う美脚美乳、ついでにスカートのスリットが強烈そうなのを頼む。」
「…ブチン。」
「おいどうした。ブチンって何だ。」
「キレたんだよ。3本ぐらい。」
「3本?何が?」
「俺が!」
「うーわー。ギャグみたいなキレ方しやがった。」
「アルトみたいな鈍感野郎、キレたらキレたと言わなきゃ分からないだろ。」
「ああ。確かに。」
「納得するな!」
「そう言えば、昔はキレると色々手が付けられなかったのに…あの奔放さを思うと成長したなぁ。お前も。」

 怒りを買っている本人は何も感じてはいないらしい。とんとんと軽く肩を叩き笑顔で思い出に浸り始めた。
 言葉とは不思議なもので、何気ない普通の一言でも、時と場所が違えば途端に不愉快なものに変わる。
 アルトの一言でジンの怒りは頂点に達した。本を片手に一気にまくし立てた。

「だから変に話を飛ばすな!人の邪魔もするな!ここにあるのはお前用の積み木でも、トランプでもない。本だよ。本。分かるか?これを整理するのが、ここにいる俺の仕事だ。それが分かったら、いい加減自分の仕事に戻れ。この給料泥棒!」

 アルトは言い返す間もなくずんずんと追いつめられ、勢いに押されてカウンターまで後ずさりしていた。衝突した衝撃からか、カウンターに置かれた蔵書類の一角がばさりと落ちる。
 普段から言い合いは何度もしているが、ジンがここまで怒るのも久しぶりだった。ひさしぶりな顔をアルトは真面目に観察してみた。血管が浮くまではいかないものの、目が据わっている。ここまで殺気だった顔はそうお目にかかれない。

「お前……。」
「やっと分かったか。」
「疲れてるんだな。こういう仕事が辛いなら辛いって言えよ。胃に穴開けるぞ。」

 一撃必殺。
 怒りは真っ直ぐに対象へ向かっていたが、天然の惚けにあっさりと砕かれた。
 もう文句を言う気力は削がれて、出てくるのは溜息だけになる。

「……もういい。好きなだけ遊んでろ。」
 
 全てに諦めた空気を漂わせながら棚に本を並べ直す。
 不意にギッと木製特有の擦れる音がした。
 素早い動きでアルトの吸いかけの煙草をむしり取り、コーヒーカップと共にカウンターに隠す。ついでに先程のように引き替えされぬよう営業顔で扉の方へ視線を向けた。
 人の気配は無く、扉が半分ほど開いていた。自然に開くほど軽い扉ではない。とりあえず扉を閉めに向かうが、なんとなくのカンで振り返ってみた。
 アルトの背後に黒衣の来訪者が立っていた。
 小さな体にフード付きの黒いロングコート。そのフードの影に隠れた顔はモンゴロイド独特のそれだった。切れ長の黒い瞳が特徴的で、ぼさぼさと伸びるに任せた髪と服装さえ整えれば、目を引く美人になる。
 だが来訪者にそんな気は全くないらしい。目深に被ったフードの影から、威嚇する瞳が此方を伺っている。

「なんだ、ルカだったか。」

 来訪者は名を呼ぶと此方を確認するように見上げた。ルカと呼ばれた少年の黒い瞳が微かに歪む。

「今日もここは暇そうだね。」
「アルトがいる所為で見ての通りだ。今日は何の用?」

 十中八九、手伝いに来た訳ではなく、あまり嬉しくない情報をジンへもたらしに来た。そうであって欲しくないと思いながら、ジンはアルトに灰皿を渡して扉を閉める。再び本を並べ直し始めた。皮の背表紙から、紐で綴られた紙の束。深く考えることの無いよう、規則的にゆっくりと。

「クローディアのお使いで来た。」

 嫌な事が続く時は続く。どうやらジンの予感は的中し、憂鬱そうな表情を浮かべる。その傍で不敵に笑み始める男が一人。彼にとってはその言葉が、退屈を紛らわす福音に聞こえた。

「頼み事ってのはあっち側の仕事か?」
「クローディアはジンに頼み事があると言ってた。」
「待て。俺のことはさらっと無視か。」
「……彼女の事だからまた面倒事だろうな。」
「って、お前も無視かよ。」
「面倒事かどうか内容を聞いてないから知らない。クローディアは詳しいこと話すから、ここの仕事が終わってから店に来いと言っていた。あと…」

 苦笑いをするジンの横で淡々と用件を伝え、アルトに向かって皮肉な笑みを浮かべた。

「うちの爺さんの我慢もそろそろ限界だ。お前はうちのツケをさっさと払った方がいい。この安月給。」