天国へのパズル - ICHICO -
「そんなのおかしい。もし先生に助けて貰わなかったら、私は死んでたんだよ。生きたい気持ちがなかったら、貴女の力を借りたりしなかったと思う。貴女はそうじゃないの?生きたいと思わないの?」
派手に噛み付くヨリの真剣な顔に、少女は驚いた顔をした。そして、派手に笑った。彼女の唐突な笑いに全て冗談に取られたかと思ってしまい、ヨリは真剣に言い返すものの、更に笑われてしまった。
「全く…普通にしていれば良い体と性根持ってる上に、あたしの事を人間だと思ってる。どこまでいっても面白い。あいつの呪縛が本当に憎らしいわ。で、どうするんだ?このまま一人で出る?」
「分かってるんじゃないの?」
「全ては形を作らないと、只の幻想でしかない。あたしは形を求めてる。」
「貴女の力を貸して。」
「対価は貰ってる。必要なのは理由だ。一番最初にあたしと会った時、あんたはトラウマで戦う事を選んだ。さぁ、今度は?」
「分かんない……でも、私がやらなきゃいけない気がする。」
改めて理由を聞かれて、ヨリは言葉に詰まってしまった。
誰の為に何をするのか。
自分の為では無い。それに、いなくなってしまった人の為と言うには、恐らくその人達が物凄く心配をかける事しかしていないだろう。自分が何をしなければいけないのか分かっていれば、もう少し賢く立ち回れたのかもしれない。
そんな事を考えてしまうと、結局はあやふやな言葉しか出て来なかった。
「多分、何かを取り戻す為に。」
「何を?あんたのもの?」
「違うわ。誰のモノでもない。」
多分取り戻したいのは形のあるものでは無い。自分の持っていたモノであり、死んでしまったヒナが持っていたモノであり、まだ生きている先生の持っていたモノだ。
人間という生き物である尊厳だけは、誰にも譲れない。大切な人のモノが、勝手に奪われて踏み付けにされていたら、不愉快極まりない。
そう思った瞬間、ヨリはやるべきものが見えた気がした。
こんな馬鹿みたいな事をやる人間は、自分よりも『人でなし』という呼び名が似合う。
ヨリが探している人は正しい人だと思っている。その人を餌に仕掛けた罠に飛び込んだ所で、お互いに『人でなし』の称号を持っている。そいつ等を殴り倒そうが、思い切り大怪我負わせようが、誰も怒りはしないだろう。
「あの人たちが持っていた当たり前のものが、馬鹿な奴等に奪われた。だから、人でなしの私が取り返すの。」
怒りの感情むき出しにして手の甲を掲げた。そんなヨリを見て、少女は刀を差し出す。
「多分、あたしの手を借りてあんたが戦っても、それはあんたの記憶とコレを欲しがる奴等にズタズタにされてしまうよ。いいのかい?」
「誰に?」
「さあね。あんた自身で考えてよ。」
「なら、構わない。」
差し出された刀の鞘を掴む。沼の底まで落ちれば、這い上がるだけ。助けてくれた人達とも引き離されたヨリにすれば、今程悪い事が起こるなんて考えられなかった。
ドアを引くと、その向こうは先ほど見た暗闇と同じだった。何が起こるか分からない。死なない自信なんて無い。
でも、死ぬ事は考えない。後ろを振り返り、刀を掲げた。
「私の『人』としてのプライド。一緒に取り戻せたら、それも貴女にあげる。ドアの向こう側で一緒に暴れて。」
「それはいいチップだ。じゃ、スタートラインに立ちな。先に向こうで待ってるよ。」
軽い跳躍で、ドアの先に広がる闇へ飛び込む。少女の笑顔が一瞬で闇に溶けていく。
***********************
真っ暗闇から、見覚えのある暗闇へ。
普段より頭一つ分上の視界で、ヨリの目は覚めた。先程見たビルの中程にいるらしく、ヒビの目立つコンクリートがゆっくりと流れていく。その床がやけに下に見えた。
それもその筈。ヨリの腹に拳を打ち込んだ男が、ヨリを担ぎ何処かへ向かっている。担ぐ腕が冷たく、その男の顔には先程見た模様が張っているのが分かった。
ヨリの腕には、散々中身の分からない袋の紐が絡み付いている。
散々中を確認したいと思っていたが、何となく中身が分かれば、紐は自動的に解けてくれるらしい。ヨリは絡む糸を引き揚げ、その柄を掴んだ。
『さぁ、とっととウォーミングアップを始めて。そんなに考えなくても、コレ位は大丈夫だろ。』
掴むと同時に、頭の中に声が響く。思い出せば楽な話だ。
この貴重品が、さっき会った少女とヨリを繋ぐモノ。彼女が認める者の声をコードとし、ヨリの一言で彼女が暴れはじめる。
「system open」
袋にきっちり結えられた紐と袋が、形状を崩して細い糸となり、ヨリの手に張り付く。糸が更に解けて、皮膚を突き破り腕の中へ侵蝕を始めた。腕に走る電気的な感触は、考える方向を一点に集約していく。
そこは普段見る事の無い世界だ。色も音も、ただの刺激に変わる。彼女が自分の本体システムと肉体と同調している。全身の血が腕に集まって熱くなった。あっという間に、夢の中にいるような浮遊感が、体中に満ちていく。
腕は瞳と同じ暗紅色のラインに染まっている。ラインは顔の半面まで伸び、ヨリの風体を異様にしていた。ヨリの手の中にあるのは一振りの刀。
多少の不安は残っていた。多少至らない部分は、あの子が何とかしてくれる。しかし、刃を落とさぬ太刀回しは、身体が覚えてくれているだろうか。
『馬鹿、ここでそんな事考えるな。』
無理な注文を付けられ、考える事を止める。己に言い聞かせるように、腕を振り上げた。
今なら、何だってできる。限界なんて感じない。
「離せ。離さないのなら、腕を落とす。」
刀を抜き、肘の裏に切先を当てる。
その警告をあっさり無視して、刃先を突き付けられたまま、男は歩き続ける。刀の先では黒く澱んだ血が溢れていた。
この先にいるのは人ではない。畜生なのに。
それが分かっていても、ヨリは警告を出す。恐らく記憶の中で再会した二人への礼儀の意が込められていた。きちんと言う事で免罪符を得て、心には平穏が訪れる。
その礼は尽くせども、彼はその先にいる者の趣味の悪さを体現していた。
死して尚、利用されるなんて誰も思いやしない。もし彼と同じ立場だったなら、プライドの高いヨリはそんな事を拒絶する。哀れまれるなんて真っ平御免だ。そのお陰で、ヨリの心に迷いは無かった。
「警告おわり。」
その言葉はヨリが言ったものか。それとも、システムと繋がる少女が言ったものか。
その言葉に続く様に、ヨリは腹を反らせて足を振り上げ、切先を支点にして前転する。その回転に合わせて、刀を一閃。更に鞘を男の額へ打ち付けた。
青白い光が走り、電気的な音が反響する。眼前に広がる血飛沫は、灰色のコンクリートを黒ずんだ赤色に染めていた。
「ごめんなさい。」
ヨリは倒れた男の顔を見た。その目は何も語らない。語れなくなった彼に謝っても、何も変わらない。だが、彼のお陰で戦い方を少しだけ思い出した。その謝辞の気持ちを表す方法は、謝るぐらいしか知らない。
作品名:天国へのパズル - ICHICO - 作家名:きくちよ