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天国へのパズル - ICHICO -

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「あたしは只の傍観者さ。この場所を介してあんたの場所を見せて貰うだけで、あんたに何もしやしない。でも、あんたがあたしを扉の向こうへ連れて行こうって言うんなら、あたしを『使う』だけの理由と、それに見合う通行料を払ってもらう。あたしの事を忘れても、それ位は覚えておいて欲しかったよ。」

 偉く態度の大きい傍観者は、このドアの向こう側で何をしてくれると言うのか。
 しかし、ヨリは何ら不自然に思わなかった。彼女の事はきちんと覚えていない。だが以前に、こんな事があった気がしていた。
 何の為だったのか。何がしたかったのか。誰がいたのか。
 まだ細かい部分は思い出せないものの、誰かから力を貸して貰った事は覚えていた。それで思い切り足掻いて、何かを取り戻して、自分が今ここに立っている。
 多分その時、ヨリは何かを渡した。だが、何を渡したのか思い出せず、何か切っ掛けか替わりになるものは無いかと、再び身なりを確認していた。
 彼女に助けを求める理由を、きちんと説明出来るかどうか分からない。ましてや代償など、形として『払える』ものを何も持っていなかった。コートは汚れて色が変わっているし、シャツとパンツは泥と埃で雑巾と張り合える程汚い。握り締めていた貴重品はいつの間にか消えており、先程結んで貰った青いハンカチも無くなっている。
 手の甲にある黒いコードと数字の羅列が目に入る。戒める黒い数字は、お前は何も出来やしないと生意気に自己主張をしてくれた。

「必要なのはお金?」
「お、やっぱり忘れたか。」

 何を渡したのか説明してくれるのかと思いきや、やはり教える気は無いらしい。ヒントを出してやると言い、ゆっくりとヨリの周りを回り始めた。

「ヒントその1。あんたはその時、さっきの女の子を守らせてくれって言った。ヒントその2。私と最初に会った時、あんたは自分のモノを差し出した。」

 確かにヒナを守ろうとした事は何度かあった。思い出そうと順に遡っていくと、不意にヒナが泣き叫ぶ顔を思い出した。
 少女は持っている黒い鞘を、ヨリの眼前に突き付けた。花と雪の模様が掘られた鍔が、さあ思い出せと迫ってくる。

「ヒントその3。たった一度っきりの事で、あたしはあんたに大きな代償を払わせてしまった。こいつがそう認識しているから、対価については今後もチャラにさせて貰う。」

 少女の一言と、思い出された映像記憶を切っ掛けにして、色々な記憶がヨリの頭の中を走り抜けていく。
 ヒナの泣く顔。爆発と衝撃。軍服を着た男。一振りの刀。黒いコートを着た初老の女性。そして、この部屋のコンクリートの壁。
 呼び出された古い記憶で、ヨリはこの場所についてはっきりと思い出した。
 この場所は、研究施設の一室だ。この閉鎖された場所で、ヨリは気が狂う程に薬を与えられ、ただ戦う事を叩き込まれた。それを教えられる事には何ら違和感を感じなかったが、薬を投与されると吐き気や気分の悪くなる事が多く、それ以上の不満と不快感から、ヨリはその人達へ散々抵抗を試みた。
 食事を取らない。点滴を引き抜く。とりあえず他人を片っ端から殴り倒す。
 研究していたのが毒薬ではなかった事で、ヨリの抵抗は形となって現れた。そして真っ暗闇の独房へ連行された。
 そして、派手に抵抗する実験台に業を煮やした研究者と、その場所で約束を交わした。
 唐突に施設から開放されても、誰かの所有物として扱われても、先生とヒナに出会ってからも、その約束は続いていた。しかし、ヨリは無意識のうちに愛しい人達を天秤に掛け、その約束を破った。

 途切れた記憶を思い出していく間に、普段は隠している感情がヨリの心を占めていく。

 平穏を脅かしているのは彼女だ。
 全てを奪う者は彼女だ。
 その息を止めれば、己の平穏が訪れる。

 駄目。今、出て来るな。そう呟きながらヨリの眼は、焦点を彼女の急所に向けている。必死に平静を保とうと、自分の腕を握り締めた。

「最後のヒント。今のあんたが使ってる名前は、さっきの男が亡くした子供の名前だ。それをあんたに借してくれた。あの子の前に生まれる筈だった子供のね。」
「だから、私は……」

 瞬間、少女との合間にノイズを被った何かが現れた。
 素早く少女は黒い鞘から刀を引抜き、するりと一閃させる。空を斬る光の線が、ノイズとそれによって乱れた部分を元の状態へ戻していく。
 彼女が持つ刀は、滑らかな弧を描いた刀身で、弱い光の下でも青白く輝いていた。彼女の優雅な動きで、ゆらゆらと細い光が舞って、流れる様に鞘に納まる。
 
「思い出しそうなのか?あんたとあの男の間にあるもの。」
「……分かんない。」

 今のノイズは何だったのか。今この場所と関係ある事を、ヨリは思い出せそうになっていた。しかし、彼女の一閃でそれは簡単に断ち切られてしまった。
 それでも良いと思った。思い出そうとすると、あの狂気と正面から向き合わねばならない。
 先程から頭の片隅で唸り始めてたものは、やっと収まってくれたものの、まだ暗い物陰で息を潜めていた。今それが牙をむいていたら、多分目の前の少女を潰している。もしくは、行為を拒む自分の腕を引き裂いている。
 ヨリは彼女が言う『あの男』が、この狂気と関係している様に感じていた。
 ずっと彼女の声を聞く度、それは先生の事だと思っていたが、彼女の雰囲気と今までの事を考える限り違う。一体誰の事なのか。思い悩むヨリに、少女は溜め息を付いた。

「今この場所でなけりゃいいんだ。あいつの保護もだいぶ薄れてきているからね。」

 少女は切り捨てたノイズの跡を眺めた。
 人の靴形に切り抜かれたノイズが、コンクリートに穴を明けている。
 何とか堪える時に選んで欲しいもんだ。彼女の呟きを聞き、ヨリは不甲斐なさと憤りで唇を噛み締めた。
 全てを知らないと選べないと思って、アパートの窓を叩き壊した。しかし、全てを知って今の状態を保てるかと聞かれても、ヨリにはその自信が全く無い。
 少女はヨリを見ている。

「ここから先、思い出そうが出すまいが、昔のあんたの名前はあたしのモノだ。その頃のあんたの記憶は、バックアップの意味であんたの中に残してる。あたしの保護も解くから、これから嫌って程見る事ができるよ。それはあんたにとって、只のトラウマと刷り込みの地獄でしかない。それを踏まえて、この後を選ぶんだ。」

 少女の真直ぐな瞳は、ヨリの心に住んでいる狂気を見ていた。
 此所からも、外からも。もう、逃げる事は許さない。

「あたしを殺すか。もしくは、あたし達を殺すか。」
「どうして私達が死なきゃいけないの?」
「終わらす為には誰かが死ぬ。記録だけになる。そんな場所にあたし達は立ってるんだ。」

 彼女の眼は清冽で穏やかなのに、言っている内容は物騒で容赦無い。このドアの向こう側が自分の死に場所と定め、悠然と構えていた。それが、ヨリには不思議で仕方がなかった。
 誰でも死ぬのは嫌なもの。それでも、死ぬ覚悟が無ければ勝負の出来ぬ場所がある。その覚悟を持たないで、全てを望む事は出来ない。だが、自分の死を他人に選択させる彼女は、本当に生きている人間なのか。