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天国へのパズル - ICHICO -

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「そうだよ。痛くて当たり前なの!失礼な男の人に思い切り殴られたのよ!お父さんがあたし達を見つけてくれたから良かったけどっ!!」

 不意に金髪の少女がヨリの顔を見上げ、小鳥の囀りの様に捲し立てた。
 目の前にヒナが現れた途端、一瞬のうちに真っ暗な世界は、窓ガラスを叩き割って逃げ出した部屋に姿を変えた。
 仄かにランプの灯が、ヒナの編み上げた髪を照らしている。

「そりゃ、いっつもお父さんは助けてくれないけど……殴り合う喧嘩はしちゃ駄目っ!絡まれたら逃げる!巻き込まれても逃げる!いい人そうでも逃げる!私も気をつけるから、ヨリも気をつけてっ!」
「……ヒナ?」

 用件しか喋らず、こちらの問いには答えず。
 何かのリプレイの様にヒナは訳の分からぬ理由でずっと怒って、姦しく捲し立てている。
 これだけ激しくヒナがヨリに怒ったのは、確かに以前あった事だ。この街に来て最初の頃、ヒナと第5区の場外市場に出掛けた時、質の悪そうな男共に騙されて、うっかりヘブンズ・ドアの売春宿に連れて行かれそうになった時だ。
 所用で近くの場所で待ち合わせていた先生と、連れ合っていた先生の知り合いに助けられて事なきを得たものの、それ迄にヨリは顔や体にちょっと派手めの打ち身を作り、連れて行こうとした男共は数人が肘と肩の腱を壊し、一人の顔は人外じみた輪郭になっていた。

「ヒナ、それはお前が言う事じゃないだろ。」

 怒り顔のヒナの頭を軽く叩く人がいる。濃い茶色の髪をした背の高い男の人だった。
 ヒナとこの人の事は、嫌でも覚えている。名前で呼ばない様にと、ヨリに『Dr.(先生)』と呼ぶ様に言い続け、ひたすら身元を隠し続けた命の恩人。そして、開業していないフリーター医師のヒナの父親だった。多少呆れ顔、そして愛おしむ笑顔でヒナを見ている。

「方向音痴のお前を、ヨリが一番に見つけてくれたんだ。お前が知らない場所をうかうか歩き回るんじゃない。うっかりの多いお前が、派手にヨリを心配する事にお父さんはハラハラするよ。」
「お父さんは甘い!お父さんこそ、怪我したら一番怒るくせに!……まあ、私が悪いのは分かってるわ。でも、この人は何でも一人で抱え込もうとするんだもん。だから一人になってしまったら、また大怪我しやしないか怖くてドキドキしちゃうのよ。」
「ああ、確かになぁ。」

 ヨリの頭を撫でながら、彼はゆっくりと語り掛ける。ヒナは真剣な顔でヨリの手を握り締め、ヨリを見上げていた。

「お前一人でどうにかなる事ばかりじゃないんだ。痛みに鈍感なままのお前が、怪我や病気になってしまったら、当たり前の事も大変なものに変わってしまう。だから、無理はするんじゃない。」

 頭に置かれた手はじんわりと暖かくて、ヨリの手を握りしめる小さな手は、細くて頼りないのに優しかった。
 申し訳無さと有り難さで、自然と顔は俯いてしまう。そして、どうしようも無い程にこの人達が愛しくて、ヨリの目には涙が溢れていた。

「ごめんなさい。」

 その呟いた言葉が切っ掛けなのか、不意に周囲が姿を変えた。
 暖かい手のひらの感触は一瞬で消えて、今度は薄暗い部屋にぼんやりと立っている。細い蛍光灯の明かりの下の狭い部屋で、後ろを振り返っても、コンクリートの壁に囲われていた。見慣れた場所からの唐突な変化で、何処なのか全く分からない。しかし、ヨリはこの場所を知っていた。
 だが、この場所であった事は思い出そうにも思い出せない。此所にいる間に思い出せばいい事だと、目の前の扉に凭れかかる人に意識を向けた。
 白いコートに、濃赤色のキュロットパンツ。元々小柄なヨリとそう変わらぬ体格なのに、態度はひたすら大きく、手に持つ黒い鞘を揺らしていた。艶のある黒い髪が流れる頭を掻きむしり、優しい瞳で微笑む。頬に鱗の形に繋がる赤い刺青が浮かんでいる。それが笑顔で歪んで見えた。

「本当に仕様のない子だ。あの男に会う前に、先にこっち側へ来やがった。ま、あたしへの被害は無いから、それはそれで良しとしよう。」

 どうやらヨリが此所へ来るのを待っていたらしい。それに、何らかの悪意を持って待っていた風体でもない。お陰で待ち人へ何か言う前に、ヨリは記憶の模索に必死になっていた。こんなにインパクトのある人なら、覚えていない筈はない。
 潤んでいた目を擦って必死に少女の事を思い出そうと悩むヨリを見て、少女はけたけたと楽しそうに笑った。黒い革靴を踏み鳴らし、軽快に歩み寄るとヨリの顔を伺う。

「久々に偽物の家族と会えて嬉しかったのかい?」

 いきなり涙の理由を言い当てられて、咄嗟に涙を拭った。
 先生ともヒナとも血の繋がりも無い。そして、恩と義理で繋がった二人とヨリとの関係は、確かに偽家族だ。しかし、他に言い様がないのか。不躾な言い草に腹が立って少女を睨み付けると、彼女はまた楽しそうに笑う。

「確かにあいつのお陰で会うのは久々になってしまったね。あたしを忘れてしまっても仕様が無い話だけど、相変わらず素直な子だ。選んでくれたソフィーに感謝したい位だ。」
「誰?ソフィーって。」
「聞くだけであたしが答えると思った?必要な事以外は、例えあんたでも教えてやんないの。」
「…いじわる。」

 妙にけち臭い物言いと、はっきりとしたその声で思い出した。
 ヨリが必死に先生を探していた時に聞いた声の主は彼女だ。ならば、ヨリが必死になっていた理由も、久しぶりに会った二人の姿と言葉に涙が溢れた事も、何もかもが全てお見通しだろう。ヨリが軽い溜め息を付くのを見て、少女は人の悪い笑みを浮かべた。

「あんたは傍目に何考えているか、ばっちり顔に出るんだ。あの二人も、さっき出会った素敵な男達の信用も、あんたのそれで買ったんだ。感謝しておきな。」

 何を考えても、何を思っても顔に字が浮き出るわけじゃないのに。言いたい文句を言わずに顔をこすると、顔には何もついていないと派手に笑われた。
 顔の事は別にしても、恐らくは全部筒抜けだ。それが分かったら、下手に悩む事が馬鹿らしくなった。開き直ったヨリは態度も大きく構える少女に、色々な疑問をぶつけていく。

「ここはどこ?」
「あんたの記憶の端っこで、あんたとあたしを繋ぐ部分さ。恒温動物なら『夢』って便利な機能を持ってる。それとあんたの記憶の情報を使って、リアルに近いものを形にしているのさ。だから、あんたは此所を知ってるし、さっきは久々に会いたい人に会う事が出来た。そんな事を言うあたしの姿も、中身以外はあんたの記憶の借り物で出来てる。他に聞きたい事は?」
「どうすればここから出られるの?」
「出るのは簡単。このドアを開けて外に出ればいい。」

 少女はすっと身をそらす。彼女の後ろにはスチール製のスライドドアが立っている。
 つるんと真っ平らの鋼鉄のドアに、堅い頑丈なドアノブが付いている。いかにも重そうなドアだったが、横に引くと簡単に動いた。だが、ヨリは此所からまだ出ようとは思っていない。ずっと気になっていた問いとその答えを、まだ聞いてもいないし、彼女から何も聞いていない。

「貴女は誰なの?何の為に私の記憶の隅っこにいて、ここで何をするの?」