天国へのパズル - ICHICO -
分かってくれる様に言ったつもりが、笑いのツボをついていた。二人に大笑いされ、悔しそうな顔をしているウォルトと二人を見ながら、オリバーはウォルトにグラスを差し出した。
「そんな派手に笑える立場じゃないだろ。お前らもまだまだウォルトと変わらん。昔のお前等の方が相当面白いぞ。」
グラスにリキュールを注ぐオリバーを、ウォルトは尊敬の眼で見た。年の功を経た者の言葉は魔法の呪文だ。笑っていた二人は、大体の経歴から握られている男の一言で水を打った様に静まった。恥ずかしい過去の量と重さは、先程ウォルトを笑っていた発言と比較出来ない。
心底惚れている癖に、クローディアとの関係を変えぬラルフ。
他の男には愛想良くとも、アルトを相手にすると何時でも喧嘩を売ってしまうアンジェラ。
オリバーにしてみれば、殻の付いたヒナ鳥の罵り合いは昔の自分を思い出させて、聞いているだけでこそばゆい。
更に言葉を続けようとするオリバーを、ラルフはお手上げの顔で制止し、アンジェラは頭を抱えて突っ伏した。
「それ以上は待ってくれ。まだ俺が酷くて痛いのが分かった。すまん、ウォルト。」
「っつか、その後は言わないで。恥ずかしくてウォルトを地底に埋めたくなる。」
「埋めるの俺?!昔の自分を埋めるんじゃなくて?!」
「そう簡単に埋めないわよ。あんたはあたし達を追い抜くんでしょ。あたしを超えたいんなら、まずはこれ位の事を笑って流して。」
「は、はいっ。」
アンジェラが労いにプレッツェルの袋をウォルトに投げた。今日は全員へとどめをさすクローディアがいなかったので、ウォルトは素直に受け取る。
こっち側の生まれではない事で、とっとと元の場所へ追い返す。その為に取ったオリバーとアンジェラの策が、変な形で未だに現れる。反応から物言いから直球しか持たぬ正直者への、彼らなりの無茶苦茶な愛で方だった。しかし、愛でられる方は、とても愛されているとは思えない。
ウォルトとしては最初の頃に比べて、とっとと家に戻れと言われなくなっただけ、マシなのかもしれないと思っている。
次の目標は、命の恩人であるアンジェラに『一人前』だと認めて貰う事だ。
その思いが『恋愛感情』だと言われてしまえば、それまでの話だが。
「そういえば、オーナーは本当に寝たんですか。俺が連絡から戻って来ても、店長には散々絡んでると思ってたんですが。」
「もう寝たわよ。何でそんな事聞くの。」
「いや。オーナーが外から帰って来た時、ずーっと変な事呟いてたんで。」
「変な事?」
「何が?」
二人の声が同調した上、二人揃ってウォルトを見る。眼まで揃って開いていた事で、ウォルトはその揃いっぷりに驚いてしまった。
「『普通』の私にそんなの分かる訳がないのに……って。あの人が『普通』と『変』を使い分けるのって、店長と自分のお父さん、後はジンに対してだけですよね。絶対色んな事を聞き倒していると…・」
オリバーは何かに気付いた様に、クローディアの置いたメモや紙面を確かめ始めていた。
ラルフが口を開く前に、オリバーが溜め息を付いて呟く。
「大元を持っているのはクローディアだ。」
「やっぱりか。」
部屋を飛び出したラルフに唖然としているウォルトを、アンジェラはオリバーの隣りへ追いやり、机の上に広がっていた菓子類の包みを片付け始めた。
「今日、クローディアが寝るのは此所でいい?」
「此所だろうな。ウォルト、いい所に気がついた。」
「…またですか。」
「ああ。他人様にアレが出るのが久々過ぎて、儂らは忘れかけてたよ。」
オリバーに頭を撫でられ、ウォルトは複雑な気分で廊下に視線を送った。
クローディアの基本は負けず嫌いで出来ている。普通に働く時には、活力の源としていいものだ。しかし、疲れ切っている時にその火が付くと、自分の身体が弱い事を忘れて、勝つ為だけに自分の命を簡単に投げ捨ててしまう。
数日まともに寝ないで動いていた彼女を、この場から追い出す事に皆が神経を逆立てている。皆の応対に渋々折れて、あえて触れなかったネタを持ったまま眠った。そんな状況は、まずあり得ない。
恐らく、先程の乱闘は出来ない自分に対する欲求不満が、周囲の人間に心配を掛ける様な形で爆発させたのだろう。クローディアの部屋は古いながらも防音設計している為、マシンの稼動音は漏れてこない。普段から出ている悪癖が悪い方へ働いてしまい、久々にhollyhockのメンバー全員が振り回されていた。
廊下から響くラルフの声が止んだと思ったら、木材独特の乾いた音と金属類の騒音が響いてきた。崩れたマシンのボックスによって築かれたバリケードを、ドアごと叩き壊したらしい。修理代がかさむ事で二度と叩き壊したくないと言った人間が、それを壊す運命にある。
けたたましい音は止んでも、盛大な言い合いが始まっている筈だ。
ラルフに戦闘スキルをを仕込んだのが、彼女を平和な場所へ置きたがった男だからかもしれない。そんな感情までラルフは仕込まれてしまっていた。この仕事の大方を担っているのはクローディアだが、身体にガタがきた日には、閉業祝いとばかりにクローディア所有のマシンと部屋を叩き壊すだろう。
今日の所はこれ以上の破壊等起こらないと思いつつ、ウォルトは廊下を指差した。
「俺、向こうに行ってきます。多分、オーナーがごね倒してるんだと思うんで。」
「そうしてくれ。あいつを担いだついでに、辺りに積んでる紙束から全部屋根裏に持って行け。」
常時休まないでで動ける人間なんぞいるか。全員が思っている事を言い捨て、オリバーは毛布を取りにクローゼットへ向かった。
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ヨリは真っ暗な場所に立っていた。
前後及び上下左右。全てが一面真っ暗で、周囲は何があるのか全く分からない。なのに、自分の手足は発光している様にはっきりと形が分かる。足が付いている地面は、少し触れればふわふわと頼りないくせに、足が乗っかるとがっしり堅くなった。
夢の中にしては地味で素っ気ない。なのに現実感がまるで無い。お陰で、二人の男に捕まった事や良くしてもらった事、先程不意打ちに殴られた事までリアルな夢に思えてしまった。確認の為に頬を叩いてみたところ、地味に痛かった。痛覚までリアルな事に少し空しさを感じた。
ついでに先程拳を打ち込まれた胸先にも触れてみた。少しの感触でも痛みが響いている。軽く叩いた頬よりも痛みが強いので、相当派手に殴られた事が分かった。息がし辛い訳では無いので、恐らく骨まで痛めてはいないだろう。しかし、明日には痛む場所に濃い濃紺色の痣が出来ている。
その痛みに、少しばかり不甲斐無さを感じた。
未だイデアプログラムでの後遺症の為、ヨリ自身では疲労や食欲以外の感覚がきちんと分からなくなっている。それに、自分が先に殴ったのだから、向こうに殴り返されても仕様が無い話だ。
だが、ヨリの中にあった『運動だけはできる』というなけなしの【誇り】は、殴られた痛み以上に傷ついていた。
作品名:天国へのパズル - ICHICO - 作家名:きくちよ