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天国へのパズル - ICHICO -

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 ころんと丸いティーポットと、真っ白なティーカップ。それを傾ける人間の腕。イブニングドレス姿でうつつにソファーに転がる女。それだけが切り抜かれた様に白く浮上って見える。

「姦しいのを5曲。それを真面に聞く奴がいなくて良かったや。真面に聞けば、こっちの疲れを聞いた奴に移したかもね。アンジーが戻って来なけりゃ、誰かが吐くまで弾いてたわ。」
「それでいいのか?」
「いいんだ。あの人達はピアノ聞きに来たんじゃなくて、情報を買いに来たんだもん。皆のエゴイズム受け取る代わりに、私もエゴイストになってやる。」
「お前らしいな。我が儘で人嫌いのお姫様。」
「その呼び方、腹が立つから止めて。」
「別に構わんだろ。俺にとってはお前もマリアも少々じゃじゃ馬の過ぎるお姫様みたいなもんだ。」
「だからお姫様じゃない!母さんと私を一緒にしないで!」
「ああ、分かっているよ。分かっているとも。」

 皺だらけの手が女の前にティーカップを置いた。脇にはガラス容器にドライフルーツが置かれ、ハーブと甘い香りが漂う。
 彼にとってのお嬢様は、まだ呼び方に不満を持っているのか、ソファーのカウチに凭れながらぶつぶつ文句を呟いていた。しかし、起き上がって怒鳴りつける体力は残っていない。鍵盤に触れると絶頂の気分になるまで弾く癖が直らず、体力の乏しい彼女は店に出る度に毎度力尽きていた。
 彼女の両親と同じ時間を過ごした独り者のオリバーにとっては、何でも全力でやろうとする姿も、勝手な我儘を言う様も、ただただ可愛いばかりで、娘か孫を見ている気分だった。

「クローディア、今は外で見せる仮面を外せ。商売用のカラーコンタクトも外しとけ。文句をたれてる間に折角のお茶が冷めちまう。」
「うん。」
「あと、飲む前に服は着替えろ。皺が付く。」
「もう皺だらけだよ。オリバーみたいに。」
「お前達が無鉄砲な事をしないで安心させてくれれば、儂の皺も綺麗に無くなるさ。身体が弱い癖に無茶ばかりしやがって。こっちはゆっくりとバカンスも出来ん。」

 こう言われると、クローディアは我が儘も文句も言えない。
 共に笑う仲間と人生の半分。神様の気紛れによって、彼はそれを根こそぎ奪われた事を知っていた。オリバーに残っているのは仲間と生きた記憶、そしてhollyhockの表看板を切り盛りする体力のみ。その辺のゴロツキより動けると言っても、戦う為の力は老いによって全盛期から格段に衰えている。
 その彼が、生きてきた場所を自分達に譲り、尚且つ自分達が最後まで立派に走り切る事を願っている。分かりやすい老兵の引き際だった。
 簡単に嘘つく人間なら嫌いになれたのに。そんな事を考えながら、のそのそと体を起こした。
 クローディアは簡単に嘘を付く奴が大嫌いだ。真面に我儘気ままをぶつける事が出来るのは、オリバーは嘘を吐く性分ではないのが分かっているから。しかし、こんな時に彼の願いを言われてしまうと、我が儘をぶつけている方の見苦しさが際立っていく。そんな見苦しい自分の姿が、クローディアは一番大嫌いだった。
 まさに彼にしか出来ないクローディアの窘め方だった。

「毎度心配かけてすいません。」
「おう、明日も頑張れ。とっとと着替えて、今日はちゃんと寝てくれ。」
「はいな。」

 酷い悪態を付く事もなく、クローディアはよれよれと起き上がり自分の部屋へ向かった。
 それを見送るとオリバーは自分のカップにもハーブティーを入れた。ブレンドは適当だが、クローディアはその適当なものを気に入っている。カモミール等は知り合いからの貰い物だ。しかし、ローズマリーだけは彼が屋上で育てている。栽培の知識が無くても育てられると、市場の露店で買ってきたものを気ままに育て、聞きかじりでドライハーブにしたものだった。好き嫌いの多いクローディアが気に入っているので、彼女の舌にとって間違ったものではないらしい。
 ローズマリーのように手が掛からないのが良いか、クローディアのように手が掛かる方が可愛いのか。
 オリバーにしてみれば、どちらも愛しい気持ちに違いはなかった。今、傍にいる人間は皆、血の繋がりは無い。だが、その殆どがいなくなった奴等が残した子供達だった。
 ここに独り残されたからこそ、彼らと過去の自分達を繋ぐモノを守る。そんな事を願って何が悪いのか。
 理想のエンドロールを目指す意地と、その後に育つ者を眺める享楽。それは、彼の過去と同じぐらいに甘美で、この上もなく上等な老後の過ごし方だった。
 お茶受け代わりに彼女の残していった依頼を纏めたメモを眺める。昔と変わらず、とんでもない用件でクローディアのスキルを依頼するものが多い。依頼する奴等の自尊心は見事消え去っているのか、浮気調査やストーキングにはトチ狂った値段を付けていた。
 黒くない借金返済滞納者の調査が、まだ真面目に思えるこの商売。
 クローディアはそれを楽しんでいるものの、彼女の両親は黄泉の向こうで肝をつぶしている筈だ。同じ場所を歩かないで欲しいと、彼女を親に預けて育てて貰った位なので、オリバーには大騒ぎする彼女の父親の姿が目に浮かんだ。

「オリバー、暗いと読み辛いでしょ。」
「ん……ああ、ありがとう。」

 照明のスイッチでモノクロームだった周りが一気に色を持った。
 クローディアは着慣れた青いギンガムのチュニックと、濃い色の掛かった眼鏡を掛けて戻って来た。先程は色も分からない位に暗かったが、瞳の色は藍色がかった紫に戻っている。そのまま布張りソファに座ると、気の抜けた顔でのんびりとお茶を啜り始めた。その調子でドライマンゴーをかじり、至極幸せそうな顔をしていた。
 店では酒と肴を出すけれど、彼女が好むのはお茶と甘いお菓子。それが自分の目に合った暗い場所で、気の抜ける相手が居れば文句は無い。

「満足か?」
「うん、満足。今なら何でもできるよ。」
「そう言えばあの二人に渡した一件、関連したものが少し出たって言ってたな。」
「見る?程々に元気出たから取って来る。」
「急いで廊下は走るなよ。お前はすぐ転ぶか…・」

 オリバーが注意をかける間にクローディアは部屋から飛び出していった。そして間を置かず、けたたましい音と性別をかなぐり捨てた叫び声が聞こえる。
 クローディアも外面は完璧を造りあげていても、その仮面を外せば只の馬鹿。0と1で構成された世界の言葉、五線譜と鍵盤で綴る88の音以外は恐ろしい程そそっかしい。
 至って普通の顔をして戻ってきたものの、したたかに打ち付けたのか腰をさすりながらソファーに座った。

「やっぱりな。」
「オリバーがラルフみたいなこと言ったからだ。絶対そうだ。」

 クローディアはオリバーに持っていた紙束を投なげやりに放り投げた。
 この依頼を受けた時、最初に出て来た名前は一人だけだった。

 ショー・F・イスミ

 只の医者。だがここにいる人々には、その名前に覚えがあった。
 一昨年前に人を探して欲しいと依頼をしてきたクライアントで、依頼を受ける前にクローディアが経歴を探り、ウォルトが身辺調査をした人物だった。
 その男が今現在、連続殺人事件の最重要参考人になり、よく情報交換をする警察官が事件の指揮担当をしていている。