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天国へのパズル - ICHICO -

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piece2 遭遇




 暗闇の中から荒い息遣いが響く。だが、この気配に気付く者はどこにも居ない。全てが光指す窓の外からの罵声、と物々しく走り回る足音で掻き消されていた。窓の外に響く足音への憎らしい感情を抑え、ヨリは剥げかけたリノリウムの床に座り込んだ。

 先生が生きているのか
 ヒナが死んだことも関係しているのか
 何が原因でこうなったのか

 当たり前の疑問を抱いた時から、ヨリの選択は決まっていた。
 目の前にある事実を素直に受け入れれば、実感の無い事実を受け入れねばならない。
 勝手に用意されたそれは、彼女の望む答えでは無かった。そして、善悪の判断も付かない人形紛いの烙印の許諾自体が、本気で拒絶したいものだった。
 抗う術も、否定する根拠も、事実を覆す為に必要なものも、その時のヨリは何も持っていなかった。
 アパートメントの窓ガラスを叩き割りながら、ヨリの心は決まった。

 何があったのか分からない。
 だからこそ、全てを自分の目で確かめないと。

 心に決めて早一週間。
 持っている物と言えば空になった財布、水の入ったペットボトル、そして先生が大事に保管していた長い筒状の袋ぐらいだった。濃紅の布で、袋の口は紐で固く縛られている。紐は解こうにも複雑に絡んでいて、鋏の刃も負けそうな程に頑丈なものだった。
 分厚い布袋に触れば、中に何か持ち手のある筒状のものが入っている事が分かった。しかし、袋の中身については全く知らない。
 知っている事といえば、袋の中には昔の患者から預かった貴重品が入っていて、不用意に封を開けたりしてはいけない物だというぐらい。窃盗の多い昨今、金銭的な価値のあるものなら、貸金庫等に預ける。しかし、問題の貴重品はここにあった。
 移動する度、厳重に中を見ることの出来ぬ様にして持ち歩き、触れる事の無い様にと注意を受け、訪れる人には判らぬ様に家具の中へ隠していた。
 隠し続けるパンドラの箱。これが全ての原因に繋がっているのかもしれない。そう考えて、逃げる時に持ち出した。

 逃げ出してまず最初にヨリが始めた事は、生きているかもしれない命の恩人を探す事だった。
 訳の判らぬ事が起こり過ぎて混乱していても、ヨリにとって頼れる人間は、姿の無いその人しか思い至らなかったのだ。
 ヨリが知っていたのは、命の恩人である先生の名前は「スミ」。
 それが姓なのか名なのかは分からず。
 黄色系と白人系の混血で、背の高い外科医。
 豪快に逃げ出した事もあって、ヨリには捜索を依頼する金銭を持っていない。それに、これだけの情報では誰かに頼む事もできない。そんな状況ゆえ、ヨリは頼りない自分の記憶を辿り、行った事のある場所を巡っては、知っていそうな人間に話を聞いて探し続ける。

 中身も使い方も分からない目立つ荷物を抱えたど素人。かつ、お互いに警察の標的にされている。そんな人間を、先回りして見つけなければならない。
 調査関連の人間が聞けば、まさに愚の骨頂。馬鹿の大行進。
 そして暗中模索のヨリが怪しい記憶の場所に向かえば、探し人と関わりがあった人間の、ヒトから血まみれの肉に変えられてしまった現場ばかりに遭遇していた。そして出会うのは、探し人ではなく自分を捕まえようとする人間のみ。

 他人には真摯な気持ちで接しなければいけない。思えども、向こうが真摯な気持ちで接してくれない状態をどうすればいいのか。
 当たり前に思考は追いつかず、追いかけられる度にヨリは何度も拳を振り上げていた。
 既にヨリの脚は悲鳴を挙げはじめ、腕は只の荷物。不躾な他人の掌を振り払う為に動き回って、棒切れのようにぶら下がっている。そして逃げる為に他人を殴る感触が、腕を振り上げれば振り上げるだけ、ヨリの肩に纏わりついていく。肉体の疲労も精神力も限界に近づいていた。

 これをいつまで続けるのか。
 自分一人で探し人は見つかるのか。
 願い事なんてただのエゴイズム。望む事全てが叶うなんて無い。
 
 疲労と共に増してゆく絶望に段々と飲み込まれていく。悲しみに取り憑かれまいと、ヨリは微かに震える腕を掴んだ。

「まだ動ける?」

 静寂の中に響く声。微かな言葉がヨリの耳に届いた。
 警戒して周囲を見渡すがヨリの周りには誰もいない。目の前に見えるものは窓の外の薄い月光と月光も差さぬ暗闇、ヒビの入ったコンクリートの壁ぐらいだった。
 自分の感覚がおかしくなったのかとヨリは頬を抓る。普通に痛みを感じて手を離すと、また同じ声が響いてきた。

「動けるみたいだね。」

 ゆっくりと静かな言葉が再び聞こえる。
 聞き慣れたヒナの可愛らしい声とも、先生の落ち着いた低い声とも違っている。
 馴染みのない声だが、穏やかで落ち着く。誰が喋っているのか。誰の声なのか。そんな疑問などお構いなしに声は笑いを含んでヨリに響いた。

「あんたが見たがってるモノにはまだまだ遠いのに。こんなところでくたばったら、話にもならないよ。」

 分かっている。私は立ち止まるような根性なしじゃない。
 知らぬ声に励まされるというよりも、知らぬ声にヨリの本性が姿を表した。答える代わりに震える腕を壁に叩きつける。鈍い振動が腕を通して伝わり、はらはらと砂埃が舞い散っていく。そんな景気付けのアラームに声はゆっくりと息を吐いた。

「誰なの。どこにいるの。」
「それだけ喋れるなら、まだ大丈夫そうだ。もしあんたが動けなくなったら、あたしがあんたを動かさなくちゃならない。それはあんたが一番嫌な思いをする事になるだろうから、最後まで走り抜いて。」
「誰か分かんない奴に頼るつもりは更々無いわ。口を開くなら、文句よりも役に立つ事を言って。」
「これ以上は言わない。あんたが何も知らなくても、この暗闇を走り抜ける事が出来たら、どういう事なのか嫌でも分かるよ。」
「…・・勝手な理屈。」
「勝手な理屈でも、まずはあんたが探している男でも見つけて。そうしたら、あんたに選んでもらうから。」
「何を?」
「私達が残るべきか、消えるべきか。あんたを待ってる現実が、気違い染みて吐き気がする程嫌なものだったとしても、ね。さあ、さっき追いかけてきた奴等がここに近付いているよ。」

 それを教えてくれればいい。ヨリは素早く立ち上がり、入口へひた走る。
 次に進む場所は分かっているし、声の正体を確かめる暇など無い。それに、自分の進む方向に何が隠れているかなんて見当もつかない。
 優しい言葉も、穏やかな愛情も、もう誰も与えてくれる事は無いだろう。


 ***********************


 世界は正義と非道が相俟った混沌の力で動いている。そんな世界だからこそ、天国があれば地獄もあるのが必定。

 ヘブンズ・ドアのほど近く、第6区のシークレット・ガーデンは軒並みブラックマーケットが立ち並んでいる。
 ここに集まる商品の殆どは、法的に違法なモノのみ。人身売買、ドラッグ、重火器や刀剣の違法販売と改造。カジノ、スポーツギャンブル何でもござれ。その名を反映する様に咲く花は幅広く、アンダーグラウンドにいる人間には無くてはならぬホームタウンだった。