卒業文集
買ったばかりの文庫本をぱらぱらとめくる。たかだか紙にインクが写っているだけのものなのに、どうしてこんなに魔力があるのか。文学なんて高尚なものに興味はあまりないけれど、低俗な私にも手が届くそれに、私はどうしようもなく憧れる。
『頁のはしにこいをかたる』
まち針でつついたような、あまり鋭くはない痛みが肌を刺す。ほのかなアルコールと一日を時間に引きずり回された人間の疲れの臭いが車両を跋扈する。洗練された埃っぽさとは少し違った、田舎者の誇る都会の匂いだ。
『排他する街Sの二両目から』
「泣いた赤鬼って話があんじゃん」唐突に奴はそう言った。「あれ、節分で豆ぶつけられて痛くて泣いてんのかと思ってた」「へぇ」確か大工の話だったはずなんだが、ぶつけられて泣いた鬼もいるのかもしれないと思ってしまった。
『ないたあかおに』
寒さで何度も目が覚める。眠い目を無理矢理開けてずり落ちた布団を直す。寒いのに眠りに落ちた体は暑い。ふざけんな、小春日和!
『3月下旬、ただし2月上旬』
恋に落ちて、夢で溺れて、愛に墜ちる。生まれた時は天使だったのに、蝋の翼はどろどろに熔けてしまった。傍にいたものたちを掴もうとしても手は空を切るばかり。死に堕ちるときは、たったひとり。
『ひとりぼっちのイカロス』
ぼくの知らないきみの人生の半分。その過去に置いてきた感情の水滴をぼくは知らない。頑なに乾いたままのきみの涙はきっとすごく綺麗だ。
『みずたま』
背筋をなぞる指を止めた。どうしたの、と訊かれてなんでもないよと誤魔化した。その背中に抱きつきたかったんだよ、なんて絶対に言えないから。私はまだもう少し、この距離でいたいんだ。
『曖昧、愛迷』
冬の月は不気味だって昔の誰かが言ってたらしいけど、冬の月って綺麗だと思うなぁ。こんな空気の澄んだいい夜は、きみにあいしてる、って言いたくなるね。
『あの作家の言葉を借りてさ』
12が1に、31も1に、52も1に、11は0、59も0になる。コンマ数秒を超えた爪先が降り立つのはもう新しい世界。
『10+365=11』
鏡で見た自分の顔は夢も希望もなくなったような顔をしていた。ふたつの空っぽな目に頭から吸い込まれて、濁ったちいさなビー玉がそこに転がってかちん、と音を立てる。人生で2度目の失恋だったけど、これはきっと初恋だった。
『ガラス玉ハートブレイク』
いとおしい日々。三角ベンチでいつまでも語り続けたこと。寒くて泣きながら帰ったこと。脈絡のない会話。ばらばらの歌声。賑やかな部室。たくさん笑った帰り道。額を突き合わせて辿った英単語。ココアとコーンスープの味。いとおしい日々。
『Viewtiful Days』
電車が来るまでの2分が遅く感じる。iPodが流すお気に入りの電子音はちっとも頭に入ってきやしない。変わってたらどうしよう。私の知ってるあの人じゃなくなってたらどうしよう。言葉はどっちを使えばいいの?これからの私?これまでの私?
『405日後の朝』
声を張り上げた。叫んだ。言葉にならない音が外界に漏れ出して。かき回した頭はごちゃごちゃのまま。腕を振り回して。めちゃくちゃに喚いて。いつの間にか頬を流れるあたたかな水。驚いて。苦しくて。自分の首に手をかけた。
『感傷事変』