はるかな旅の空
答は無い。皆、必死に走り去った。
ショウは、非常シュートで十メートル下の中央委員室に向かった。
扉を開ける。
五人居た。中央委員のメンバーが揃っていた。ショウを見て、フェヘが言った。
「どうする君は?どこに行く?」
「えっ!いえ、村に。」
「無理だ。推力が足りない。そこまで戻れない、君には責任はない。全て、中央委員の責任だ。圧力はおかしかった。いや、もういい。終わったことだ。プログラム通り指示を出した。全員、脱出する。」
「エッ!どこに?脱出って?」
「Pテンは、教えてなかったのか。そうか君には、プログラムが無いからな。Pテンも教えられなかったのか。もう時間がない。行くんだ!X―101に行くんだ。予備がある。一人しか乗れない。行くんだ。」
「どこに?どこに行くんですか?」
「行くんだ、我々も脱出する。どこまで戻れるか、アースサーティーの始まりには戻りたくないが、行くんだ。それぞれの歴史を作るんだ。そうさ、アースサーティーは終わらない。新しい歴史を探すんだ。後は、衝撃に耐えられるか。きっとあるさ、緑色に覆われた大地が。もう会うことは無い。生きるんだ。いいな。」
ショウに念押しして、5人は出て行った。
中央テーブルを見る。指令済みの下に、X―番号と名前が書いてある。
そうか、そんな設備があったのか。脱出する。どこに。何のために。いつの時代に。どうやって。行けるのか。行くしかない。
ショウは走った。床が揺れる。転びそうになりながら、廊下の案内表示を見る。
X棟。ここから近い。廊下の脱出シュートを探した。X棟への脱出シュートは、すぐに見つかった。101の番号を探した。廊下には扉はない。ただ番号の表示だけがある。
壁を押した。突然、体が浮かび、丸い機械の中のシートに体が坐った。自動的に、頭に蓋がかぶさり、目の前の赤い点滅が青に変わる。…年の表示がくるくる回っている。
”何年なんだ。”
とにかく5つのボタンを押した。
”あっ!しまった。花瓶を忘れた。”
白い花瓶が落ちていくのを見た気がした。
”あっ!割れてしまう。”
衝撃がきた。胸が締め付けられる。
”落ちてしまう!メーサ!”
おていは、太市を見た。むしろに横たわった太市は、水をすって膨らんで見えた。
昨日も太市は、おていが、ちょっと目を離した隙に、いなくなった。
”まこて、またや。”
そう思いながら、番台のおかつを横目に見て、浜まで歩いた。
”どけいったろかい?”
いない。いつものように砂浜に座り、海を見ている太市がいない。悪い予感がして、小船の上で網を片付けている漁師に聞いてみた。さっきまで居たらしい。
”どけいったろかい?”
探し回った。
「えー、あんじいさんや。行ったで。どうしてん、船を貸せ。言うて。いつも断っとたけど、今日は、金まで出してな。そこまでいうんやったらしょうがなか。ちょっとやで。いうて、貸したで。大丈夫かいな。」
おていは、へなへなと砂浜に座り込んでしまった。
”とうちゃんな、ないごて、いったんな。ないごて、海が良かったんな。”
浜は、大騒ぎになった。大店の源一のおやじがいなくなった。浜に繋がれていた小船が一斉に沖を探した。しかし、見つけ出さずに夜となった。
次の朝早く、浜から連絡があった。打ち上げられたという。
安らかな表情であった。逞しかった顔が、痩せて、そして、ボケた顔になっていた。
しかし、今、砂浜の筵に横たわる太市の顔は、安らかに見えた。まるで、庄吉に会ってきたかのように。
庄吉に会ったのか。庄吉に会えたのか。海で会ったのか。海にいたのか。毎日、太市は砂浜に座り、海を見ていた。会いたかったのか。庄吉に。息子に。
何故かわからないが、おていには、そう思えた。
陸を探しても見つかるはずが無い。海にいた。太市にとって、おていにとって、命を繋ぐ庄吉は、海で生きていた。そうに違いない。きっと生きている。太市がおていに与えてくれた命。きっと生きている。
”ショウ!ショウ!”
メーサが呼んでいる。暑い。まぶたを通して、太陽が目に焼きつく。足がざらざらする。
”花瓶は!白い花瓶は!”
と言おうとしたが、喉がふさがっている感じで声が出ない。
「チンチョン!チンチョン!」
子供の声がした。誰?と思いながら目を開ける。太陽の光が一度に入ってきた感じで、まばたいた。
自分は横になっている。手を握ってみた。ざらざらした感触があった。唇をなめて、声を出そうとしたが、塩辛さがして、咳き込んだ。
「チンチョン!ネーム、ネーム?」
「…しょうきち」
「チョウ?チョウ。」
そういいながら、子供が走っていく。ざらざらした白い土の上を。
音が聞こえる。ザーッという規則的な音。少し目が慣れてきた。ザーッという音は、大きな水がこちらに向かって、又、向こうに行ってしまう。
体を少し起こしてみた。水は白くくだけながら、こちらに向かったり、あちらに行ったりしていた。
その向こうに小さい島が見えた。その横には、もっと小さい島が。その向こうに青い空が見える。
青い。こんな青い空があるのか。
ざらざらした白い土は、遠くまで続いている。その向こうに高台があり、その上になにか尖った建物が見えた。
そうだ、灯台だ。確かアースサーティーの図鑑にあったように思う。
ここはどこなのか。アースサーティーは?あの時、もう押しつぶされた。あるはずがない。深海の圧力に耐えられなかった。全てが押しつぶされた。
”花瓶は?白い花瓶は?”
ちょっとあたりを見回してみた。きらきら光る白い土の上には何もない。いや、あの黒い子供の足跡が残っている。
“黒い。あんなに黒い人間がいるのか。夢を見ているのか。”
”自分は、生きているのか。ここは、あの世とやらの場所なのか。やはりそうか。そうだったのか。自分は死んでしまったのか。やっと死んでしまったのか。“
“ここには、父と母がいる。太市とおていがいる。やっと呼んでくれた。良かった。”
”ここにメーサはいるのか。別の所なのか。あの世はいくつもあるのか。”
何かボーッとする。暑い。白い土も暑い。
”あの黒い少年は、どこに行ったのか。”
ザーッという音を聞きながら、気持ちが良かった。まるで母のおていのお腹の中にいた時に聞いたような気がする。いやそんな音を覚えているはずがない。しかし、そうに違いない。
”かあちゃん!やっと会えた!おいのかあちゃん。”
そのまま意識を失った。
「マミー!カム!カム!」
夏、戦争が始まった。隣の国、清と戦っているという。港からも、若者が戦争に出て行った。
源一は、忙しい。戦争特需で、物が動く。物が動くが人が足りない。おかつも源一を手伝って忙しい。源一の店は、人気があった。新鮮で、安い。主人は信頼出来る。人が寄ってくる。又、忙しくなる。
そうして、月日が瞬く間に流れた。
この忙しい時、息子達も戦争に駆り出された。二人とも源一に似て、痩せている。体も弱い。それでも戦争は、若者を引っ張り出す。
おていは、毎日、神棚に手を合わせ、仏壇のろうそくに火を灯し、祈った。“孫”の無事を。