はるかな旅の空
息を呑む。それ以上言葉が出なかった。今日はちょっと気分が悪いから、といって、メーサは休みを取っていた。
”くしゅん。風邪ね。直らないのよね。”
と言っていた。
白いドレスを着ていた。手を合わせ、上を向き、ちょっと微笑んで見えた。ベッドには、透明のカバーが掛けられ、遺体に触る事は出来ない。原因不明である。感染があるかもしれない。
突然の死。
繰り返す原因不明の死は、全員を不安な気持ちにさせたが、アースサーティーの“歴史”でもある。これが自然の死、皆がそう思い込もうとしていた。原因は、わからない。
ただ、共通していることは、いつもと違う何かが起きる。それはいろいろで、つかみようがない。後から、そういえば、という感じである。
初期、特別班が作られ原因究明にあたったが、その後、解散した。事実を認める事から、歴史を見つめるという方針になったという。
メーサは、額に少し髪がかかり、上を向いていたが、目が開く事はもう無い。
ビージュとショウだけが、最後に残った。
「メーサは、君を好いていたよ。君を待っていたように思うけどね。君が言ってくれるのを。」
「そうですか。」
「君はメーサを…。」
「はい、いいえ、ええ。だけど、僕は生きてるんですか。わからないんです。でも、もういいんです。わかっても、わからなくても、もう、いいんです。」
「そうか、もう、いいのか、いいよな、メーサは、生きてるさ、君の心の中で生きてるさ。そうだろう。」
「はい、いいえ、ええ。」
「不思議だね。人間って。一人では生きていけないから。だから、好きになるんだね。好きになるから、生きてるって思えるんだよね。だから死んでも生きてるんだよね。好きな人の心の中に生きてるんだよね。生き続けるんだよね。」
透明のカバーが少しずつ白くなってきた。
もう戻っていく。どこに。原子の世界に。そこは、天国それとも極楽?それとも…新しい宇宙の星?
中央委員会は、認めた。認めざるを得なかった。
メーサの死がきっかけである。委員会は、三年間、悩み続けた。それまでは、原則を変えることは出来ない、の一点張りだった。Pテンの廃棄が決まっていた。嘆願書で法律を変えるなら、この狭い社会は混乱してしまう。そんな当たり前の意見が全員の意見であった。
しかし、メーサの死は早過ぎた。前例がない。原因は不明である。それはもういい。原因はわからないでいい。
しかし、早過ぎる死は、これからも続くのか。不気味である。このままでいいのか。何かしなければ。メーサの死は、特別である。ある程度の年令まで、健康プログラムは、完璧である。そう誰もが信じていた。
しかし…。
法律は変えられた。第二世代が全員亡くなるまで、Pテンをなんとか動かしていこう。Pテン延命の研究チームが作られた。ビージュがリーダーとなった。
そう、ショウの嘆願書が認められた。Pテン延命の嘆願書である。
Pテンは、ショウにとっては、生きた証しであった。ショウに関する全ての記録がPテンの中にある。ショウには、アースサーティーの“戸籍”はない。アースサーティーの歴史には、残らない。
やはり、ここは、現実なのか。生きた証しは、現実であって、あの畑の土の匂いが幻想なのか。
嘆願書が認められたのに、ショウは気分が晴れなかった。
「どうしていくのかね。これから。」
ジロームは覗き込むように、ショウを見る。
「アースサーティーの循環が崩れてしまうよね。だけど早くも死にたくないし、ノンノに結婚を申し込もうと思っているんだけど。どう思う?やっぱりおかしいね。この圧力。ひどく振れてるよ。」
「あー、指示通りに調整したんだけど。ひどく振れてるね。ひどいね。おかしいよ。ちょっと報告に行ってくるよ。これは、直接の方がいいから。」
ショウは、すぐに廊下に出た。丁度、ビージュが子供を抱いて、歩いていた。
「やー、ショウ、こいつ歩いたんだよ。昨日。」
にこにこしながら子供を降ろした。
「いや、すみません。急な報告で」
子供がよちよちするのを見ながら、ショウは走った。
メーサが亡くなって一年後、ビージュは結婚した。メーサの友達のハルと。そして、一年後、男の子が生まれた。歴史は、次の歴史を繋いだ。アースサーティーの歴史を。
しかし、ショウにとって、アースサーティーの歴史など、どうでもいい。Pテンの嘆願書が認められても、まだ、生きているという自信が持てない。
”幻想”の中を走りながら、ショウは、メーサの声を聞いた気がした。
「なんだって?」
メーサの必死な声に聞き返した。
港は、活気づいていた。
太市は今日も、港に行き、船をみながら、砂浜に腰を降ろしている。おていは、番台にどっしり坐ったおかつを横目に、店を出て、太市を探した。いや探すまでも無い。いつもここに来て船を見ている。
東京に来てもう一年になる。源一は、太市とおていの為に、敷地の中に離れを作ってくれた。
時々、おかつの子供たちが来て、町の様子の話をしてくれる。実の祖父母のように接してくれる。ありがたい、と思いながら、庄吉はどこにいるという気持ちを抑えられない。
東京に来た頃は、地理もわからないのに、歩き回った。庄吉に似た後姿を見ると、走って近づき、顔を覗き込んだ。
そのうち、歩き回る事が少なくなった。太市のボケ症状が出てきた為、その世話に時間を取られるようになった。
太市は、港に来て、いつも船を見ている。食事が合わないのか、急に痩せてきた。店の者は、親子はやっぱり似るものだ、と噂していた。痩せた店の主人源一と似てきたらしい。
源一には感謝しているが、庄吉に会いたい。自分の子に会いたい。しかし、自分ももう、終わりそうな気がする。もういい年だし、もう迎えに来る。あの世から。太市の手を引きながら、言った。
「はんな、海が好っやなー。海は良かいなー。広かでなー。」
廊下の赤い非常警報が点滅していた。警報があちこちで鳴っていた。
「何なんだ、これは、どうしたんだ。」
南棟青廊下ウミロウを走りながら、海を見た。赤い光が見えた。それが流れているように見えた。
「そうか、そうだったのか。何故気づかなかったんだ。」
自分の世界に閉じこもってしまっていた。アースサーティーと心の世界に。皆が自分の世界を向いていた。第三世代、第四世代に繋げるのか。関心は、それだけだった。
しかし、プログラム通り、近海の調査はしていたはずだ。何故気づかなかったんだ。何人かが走ってきた。
「フェへはどこだ!」尋ねた。
「わからん、早く逃げろ!」
「逃げろって、どこに?」
と、聞いたときには、走っていった。
中央制御室。誰もいない。
「どうしたんだ。なんで誰もいないんだ。」
制御盤の全ての警報は鳴り響いていた。メーターを見る。振り切れているメーターもあった。
何故気づかなかったんだ。地球は、地殻変動を起こしていた。そうだ、地球に住んでいるんだ。地球に住んでいて、地球を見てなかったのか。いや、そんなはずはない。
ショウは、中央制御室を走り出た。何人かが走っていく。
「フェヘを知らないか?」