はるかな旅の空
「さー?」
「精神分析委員会に送られたらしいわよ。初めてのケースだから。」
「そう。」
「私は認めるべきだと思うわ。私も小さい時からPテンと遊んだわ。ここで生きるって、そうでしょう。無駄は、ここの寿命を縮めるって、判っているわ。でも私達も生きてるのよね。」
「まーね。」
「Pテンとの思い出が沢山あるの。とっても楽しかったわ。生きてるのよね、私達、ここで。」
「そうだね。」
言いながら、ショウは、コーヒーを少し口にふくんだ。
定員百名。それ以上は生きられない世界。
アースサーティー。
歴史が始まった時、“住民”47名。大方、結婚し、子供も生まれたが、何故かというか、不思議にも、“住民”が百名を超えることは無かった。短命である。何故か、原因は判らない。しかし、百名に近くなると、誰かが亡くなった。
もう第一世代は誰も生きていない。歴史を語る人はいなくなった。歴史は本の世界になった。チップの中の歴史。
閉じ込められた空間の世界は、息苦しいのか。いや、そんなことはない。酸素は充分調整されている。生活環境は、物質的には、充分であった。全て、整えられていた。プログラムは、正常に動いていた。何も不足している物はない。
愛情さえ取り戻せた。それぞれ、幸せな生活である。人間社会の問題を全て研究されつくしたプログラムである。問題があるはずがない。精神的な問題もクリアーされたはずである。結婚という成果で。
まだ、地上に戻る事は出来ない。地上は、まだまだ生きる世界が戻っていない。
しかし、あと数十年か、数百年か、きっと、戻れる日が来る。その時は、プログラム通り、社会が、理想の社会が出来る。
人種を超えて、宗教を超えて。人がいがみ合う世界など、過去の事。そんな世界が待っている。待っているはずである。
くしゅん!メーサは、くしゃみをしながら続けた。
「だって、そうでしょう。Pテンだって」
「僕にはわからない。僕の嘆願書は、Pテンのためじゃーないんだ。僕が生きていけるか、それを聞きたかったんだ。僕が存在しているか、生きているのか、聞きたかったんだ。」
「生きていけるわよ。生きてるわよ。だって、私、…」
ちょっと頬を赤らめて、メーサはうつむいた。
ビージュは、自分の部屋で書いていた。最高委員会から、頼まれた。“この世界”の歴史を書くことを。
「それは、歴史委員会の仕事でしょう。私は、次世代機械委員会のメンバーですよ。まして、文才はないし。」
と断ったが、
「君は、アースサーティーの歴史なんだよ。歴史が新しい歴史を書くべきだ。」
と説得されて、書かざるを得なくなった。
”まー自分の個人的見解で少し書いてみるか”
という気にもなって、つい受けてしまった。今、原稿画面を見ながら、ちょっと後悔していた。
ふと、メーサの事が気にかかった。最近、彼女はよくくしゃみをしているなー。さっきも、南棟のサロンを通りかかった時、ショウと話しながら、くしゃみをしていた。
メーサは、ビージュの5才下。妹のように可愛がってきた。
五年から六年の間で、第二世代が生まれ、育ってくるに従い、あっという間に、第一世代が死んでいった。彼の両親、達麻と観音も同じである。
ちょっとした異変が体にあって、何が原因かわからないまま、死んでいく。皆、安らかに。命を繋いだ責任を果たせた。そんな安堵感が、死ぬ人、皆にあった。
メーサが大きくなり、年頃になり、美しくなり、ベージュは、彼女を想う気持ちはあったが、言い出せないでいた。
そんな時だった。ショウが突然、この世界にやってきた。なにか、ゆったりした、気持ちの大きいショウに惹かれていくメーサを、兄として、見ていた。
精神分析委員会からは、早く結婚を考えるよう、“指示”があった。
適齢期を過ぎたベージュは、委員会のもっとも頭の痛い存在である。何故なら、彼は、このアースサーティーの歴史だから。命を繋ぎ、歴史を繋ぐ、象徴である。
このままでは、研究が実らない証拠になってしまう。何かきっかけがほしい。考えた末、歴史委員会に要請した。
歴史を書くことを。彼自身の歴史を。自分を振り返ることで、自分自身を取り戻し、研究だけでない、自分の感情を表す事を、期待して。
ベージュは、電子ペンを持って、書き始めた。原稿画面は、自動的にめくられていく。Qテンについてである。自分には文才はない。事実としてのQテンの研究を書くことで、歴史を振り返ろうと思った。
Qテンは、Pテンに替わるロボットとして研究、制作された。しかしながら、全く新しい発想で設計された。Pテンの延長では、容量に限界がある。
より人間に近いロボットにより、子供達の教育をより充実させていく。心の教育を。完全でなければいけない。容量は大きくなければいけない。
自信があった。自分は、達麻と観音の子である。出来ない筈は無い。メーサの事が頭に浮かぶたびに、余計に研究に没頭した。そして、Qテンは、完成した。完璧である。そう思った。
ふと書く手を止めて、外を見た。海を見た。この先に未来がきっとある。輝く未来がきっとある。その時、何か赤い物が海の中で光った気がした。
源一は、東京にいた。
江戸と呼ばれた時代が終わった。ペリーとやらの黒船が、日本を変えてしまった。日本という感覚すらなかった。異国の人が来て、慌てて日本という自分の国を意識するようになったに過ぎない。
開国だ、いや攘夷だと騒ぎがあり、錦江湾にも黒船がやってきて、薩摩は、コテンパンに負けてしまった。そのうち、薩摩藩すらなくなってしまった。
しかし、西郷や大久保など旧薩摩藩士が日本の政治を動かしているという。長州や薩摩の外様の下級藩士が実権を握り、日本という国を動かす。この三百年、考えられない事であった。
力のあるものが実権を握る。戦国の世ではない。刀は不要である。才覚のある者がその力を発揮出来る。世襲はない。士農工商など、そんな身分制度はなくなった。
開国の世の中である。異国の制度や知識を取り入れ、追いつく為に、必死に走り始めた。中国の清の二の舞はごめんだ。属国の屈辱は、日本の歴史にはない。
新しい“物”を積極的に取り入れ、日本に合わせて改善していく。そのままの形では、日本の風土に合わない。
天皇を戴いた日本は、世界に君臨出来る素質を持っている。実力以上の自信を持って、新しい時代が始まっていた。
そんな噂を寺の空寛和尚から聞いた。もうすっかり年取った坊主だが、世間の情報は、いち早く知っていた。
志布志に知り合いの船主がいて、時々、新鮮な魚を丁稚に持たせていた。必ず世間の情報を書き添えて。生臭坊主は、生臭であるが故に、世間に未練があるのか、世間の動きを知りたがった。
源一も、世間を知りたかった。自分の力を試してみたかった。そう思うようになってきた。
この畑にしがみついて、2人の子供と、よく気が利いた妻と、隣のおじさんとおばさんと。幸せだった。食べるものは少ないが、飢える事はなかった。