看護師の不思議な体験談 其の参
薄暗い個室へと入る。部屋の入り口あたりにある、オレンジ色の電気だけが光っている。
○○さんへ近づくと、人の気配が分かったのか、○○さんがカッと目を見開いた。
「ああ、ああ、看護婦さん!」
「○○さん、どうされました?」
バイタルや術部は正常。ドレーンからの排液も問題無し。
「あいつをなんとかしてくれ。お願いだ!」
徐々に大きな声になる。
(あら、もしかして…)
「もう嫌だ!帰る!!」
汗をかきながら、必死の形相で訴える○○さん。
肝性脳症の症状が出始めたのだと私は思った。手術当日は、症状が出やすいので覚悟はしていた。
「○○さん、ここがどこかは分かります?私のことも知ってますか?」
「馬鹿にすんな!そんな話してる場合じゃねえ!」
○○さんは病院名も私のことも、自分の状況もちゃんと理解していた。
(…うーん、不思議…)
「○○さん、何が嫌なんです?」
「だから、さっきからそこに立ってる女をなんとかしてくれっつってんだ!」
「…!!」
ドキッとし、恐る恐る、ゆっくりと振り返る。
…誰もいない。
「あの、○○さん…」
「早く、早くしてくれ!目、開けるたんびに、ちょっとずつこっちに近づいてんだよ!」
温厚な○○さんからは考えられないくらいの剣幕。
「ああ、ああ、勘弁してくれえ!」
○○さんはまだまともに体を動かせないはずなのだが、ベッドの柵を乗り越えようとし始める。
(まずい!)
私はあわててナースコールを押した。
先輩スタッフが駆けつけ、一緒に○○さんを押さえつける。もう一人のスタッフも駆け込む。
「ごめん!異常時指示にある安定剤の点滴を持ってきて!」
安定剤の点滴でようやく落ち着き、再びうとうとし始める。
作品名:看護師の不思議な体験談 其の参 作家名:柊 恵二