WishⅡ ~ 高校1年生 ~
「それって、医師(せんせい)達の言っている“ストレス”にならないのかなと思ってね。確かに、前回はライブを行った事自体がストレスになったかもしれない。でも、一度その楽しさを体験してしまった今は、それを取り上げる事が最大のストレスになるんじゃないのかな?」
笑顔で問い掛ける小田嶋氏。
「それに……」
と今度は慎太郎を指差す。
「君もね」
「え?」
「泣いてただろ?」
言われて自分の顔をまさぐる慎太郎。その慎太郎を包み込むかのように小田嶋氏が微笑む。
「お客さんの一番後ろに君を見つけた時、涙目だった」
“だから、声を掛けたんだよ”と……。
「君も、やりたいんじゃないのかい?」
頭に響くほどのドキドキと胸を締め付けるほどの高揚。木洩れ日の中に響くギターと木立を通り抜ける二人の声。
慎太郎の表情に小田嶋氏が頷く。
「何が良くてどれが一番なのかはわからないけれど、君達を見てると、今の状態が最善だとは思えないな。あくまでも“素人考え”だけどね」
「……俺……」
慎太郎が拾った弦を握り締めた。
「さて! とりあえず、面接に行こうか。履歴書書いて、写真貼って……。時間が無いから忙しいよ!」
「は、はい!」
夕方の公園。小田嶋氏に連れられて、慎太郎は面接へと向かうのだった。
“コツン……コツン……”
ゆっくりと引き摺るように通路に杖の音が響く。ヒールや革靴が行き交う中、たったひとつ響く杖の音が、まるで自分ひとりが別世界にいるようで……。
家と反対方向の電車に乗り込み、財布を覗く。弦を買う時に祖父が渡してくれた札と今月の小遣いが入っている。
謝って来いと言ってくれた祖父、小田嶋氏と楽しそうに話していた慎太郎。
「……俺……行くとこ、ないやん……」
原因は自分のわがまま。今、胸の中に渦巻いているのは嫉妬。自分がとてつもなく小さな人間に思えて、それが更に悔しさを増長していた。
大きな駅の券売機に、航は財布の中の札を全額差し入れた。
面接……と言っても、小田嶋氏同伴のそれは、最初から採用が決定していたようなもので、大半が小田嶋氏とその友人とのお喋りに費やされたのだが……が終わって、家に着いた時、時計は七時を指していた。
「アルバイト?」
結果報告の夕食の時、母が目を丸くした。
「本当にやるの?」
「当たり前じゃん」
「週末だけ?」
「うん」
「よく見付かったわね、そんな都合のいいアルバイト」
驚きながらも笑う母。
「知り合いに紹介してもらったんだ。引越し屋なんだけどさ」
「知り合い?」
決して社交的ではない慎太郎の口から飛び出した言葉に母が驚いた。
「ライブやった時に色々相談に乗ってくれてた人。その人の友達のとこ」
「それなら安心ね」
「だろ?」
どんなバイトにしても、母に心配だけは掛けたくない。慎太郎が、母の笑顔を見て笑う。
「明日からなの?」
「んにゃ。来週。金曜日に研修して、土曜日から。毎週、金・土・日」
「はい。了解。しっかり稼いでらっしゃい!」
“来月は小遣いいらないわね♪”“それとこれは別だろーよ!”賑やかな二人の食卓が続く。
やがて、母が片付けを始め、慎太郎が胡坐をかいてテレビの前に陣取った。時計は八時を指している。
「ケケケッ!!」
テレビを見ている慎太郎の微妙な笑い声がリビングに響く。
「それ終わったら、お風呂、入っちゃいなさいよ!」
呆れるように飛ぶ、母の声。と……、
“♪♪♪♪♪”
慎太郎の携帯が鳴った。メールではなく、通話受信の呼び出し音だ。
「はい……」
テレビを見ながら、相手を確かめずに通話に出る。
『慎太郎くん?』
電話の向こうの声に驚いて、思わず正座。
「お祖父さん!?」
航の祖父からの電話だ。
『航がそちらにお邪魔してないかな?』
「いえ。航、どうかしたんですか?」
テレビの音量がうるさくて、スイッチOFF!
慎太郎の声しか聞こえないやりとりを母もキッチンから聞いている。
「……はい。こっちに来たら、必ず……」
慎太郎が通話を切ったのを見届けて心配そうに寄ってくる母。
「航くん、帰ってないの?」
母の問い掛けに慎太郎が頷く。
「俺に会いにくるって言ってたって……」
昼に通じなかった携帯。“きっとバイトだろうから、終わる頃に謝りにいく”そう言っていたと航の祖父が言っていた。繋がらなかったのは電池切れの所為。ちゃんと充電しておけば良かったと、後悔先に立たず。
「あ!」
昼間の出来事を思い出す慎太郎。
「……やっぱり、いたんだ。あいつ……」
「シンちゃん?」
「あいつ、勘違いしたかもしれない……」
母には何の事かわからない。
「公園でバイトの事を相談してる時に、航を見た気がしたんだ」
ここ一週間、連絡を取っていなかったから何も言わずに一人で公園へ行った。土曜日だし、航も病院へ行く日だから、わざわざ言わなくてもいいだろうと思ったのだ。なのに、公園で見かけた。もしかしたら、航も小田嶋氏に会いに来たのかもしれない。だとしたら、何も告げずに小田嶋氏と会っていた自分は、航の目に、どう映っただろう……。
「仲良しのお兄さんと弟……じゃないの?」
顎に人差し指を当てて、母が首を傾げた。
「……だといいけど……」
とにかくネガティブな方向に考えがちな性格だから……。参ったなとばかりに慎太郎が溜息をつく。
「もしかしたら、又、誰かから電話が来るかもしれないわね……」
“今度は航くんからかもよ”とウインクして、バスタオルを準備する母。
「あ。母さん、先に入ってよ。俺、電話来るかもしれないから、ちょっと待ってみる」
母に言われて、航からの電話を少し期待する慎太郎。それを見て、母が頷く。
「じゃ、お先に」
静かになったリビング。コタツに潜り込み、慎太郎は携帯をジッと見詰めていた。
そして、五分程経った頃、
“♪♪♪♪♪”
又もや携帯が鳴った。
「はい」
航の祖父からではない、今度は、
『慎太郎くん?』
航の姉からだ。
「はい」
何事だろう、と声が強張る。
『堪忍な、お祖父ちゃんから電話いったやろ?』
「はい、さっき」
『航となんかあった?』
溜息混じりの質問に、
「あの……まぁ……色々……」
答えに詰まる慎太郎。
『ここに居(お)るんやわ、航』
「はい!?」
思わず携帯を耳にくっ付ける。
「……って……。えぇ!?」
『なんや、お財布のお金、全部使(つこ)うて、こっちに来てんにゃわ。どないした? って訊いても何にも言わへんし……。逆にこっちのお祖父ちゃんらが心配してしもて……。堀越のお祖父ちゃんに訊いたら、なんや、慎太郎くんのとこへ行く筈やったって……。会うた?』
「いいえ。……でも……」
『“でも”?』
「外で見掛けたかもしれなくて……。きっと、何か誤解してるんだと思います」
『……そうなん? もう、来た途端に泣き出してしもて、その後は一言も喋らへんのやわ。うちらでは手に負えへんし……』
と、電話の向こうの声が、京都側の祖父に変わった。“すまんな……”と前置きして祖父が話しだす。
作品名:WishⅡ ~ 高校1年生 ~ 作家名:竹本 緒