分岐点 (前編)
同日、十七時三十分
一日が終わる頃にはへとへとだ。
いくらでも働くことのできたあの頃とは違って、若くないってことかな…。
無意識に小さなため息をつく。
「残りの片付けはやっとくから、杉川さん帰っていいわよ。」
そう声をかけてくれたのは、一緒に勤務する看護師の田中さん。五十五歳という年齢など感じさせない明るさとパワフルさが彼女の強みである。
そんな田中さんは旦那さんと二人暮らしで、家も近いため、家族ぐるみでお付き合いさせていただいている。
竜輝や千恵もよくなついており、外出の時には預かってもらうこともある。
「いえ、いつも田中さんには迷惑かけっぱなしだし。」
「いいのよ、迎えに来るのを待ってる子どもがいるんだから。行ったげて」
そう言うと田中さんは、白衣の上に羽織った紺のカーディガンを腕まくりした。
「ありがとうございます。でも、ごみ捨てだけはしますね。」
「もう、そんなのいいのに。」
私は田中さんの好意には感謝してもしきれない。
少ないスタッフでこなす業務量は体力的にもきつい。それなのに、私の家族を気遣ってくれて、できるだけ早く仕事が終わる様に支えてくれている。
「いくら保育園が楽しくっても、やっぱり少しでも早くお母さんたちに迎えに来てほしいって思ってるわよ。」
田中さんは大きめの体を揺らしながら、床をモップで磨いている。
「それに、すぐ大きくなっちゃうんだから。かわいいのは今だけよ。そのうち、反抗期が来て『ババア』とか言い出して、母親よりも彼女のほうが大事になっちゃうんだから!」
隣でゴミを集めていると、田中さんが鼻息を荒くしているのが伝わってきた。
「『ババア』なんて言い出したら、私すぐ家から追い出しちゃいますね。」
私がそうつぶやくと、田中さんは大きな声で笑っている。
「でも、思春期の反抗期は成長する上で重要な過程だからね。腹は立つけど、ないほうが怖いのよ?」
「怖いんですか。ないほうが楽ですけど。」
「ダメダメ、反抗期っていうのは自我が大きく育つ時なのよ。そのはけ口がないまま自分の中に貯め込んじゃう子が『キレる』子になりやすいのよ。」
「なるほど…」
ついついゴミ捨ての手をとめて、田中さんの話に聞き入っていた。
「でもね、小さい頃からちゃんと真っ直ぐに愛情を注がれていれば、少々道を外すことがあっても、親や他人のことを大事に思える人間に成長するわよ。」
田中さんの言葉が胸に響いた。
毎日忙しさに追われて過ごしているけど、『育児』って…、本当に責任重大だ。
自分たちの育て方によって、子どもがどんな大人になっていくか変化するのだから。
ただ、かわいいって言ってるだけじゃダメなのよね…。これから竜輝たちはどんな人間に成長していくんだろう。いや、私たちが、竜輝たちをどんな人間に育て上げていくのだろう。
「大丈夫よ、竜輝君と千恵ちゃんは愛情たっぷりって感じだから。」
背中をバシッとたたかれた。