養護教諭 安芸原素子
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「すんませーん、休ませて下さ〜い。2年F組、足代秀雄(あじろひでお)って
いいマース。」
ぎょろぎょろと目を動かせて、そいつはなんの断わりもなしにズカズカ入って来
ようとした。…はああ〜、やっぱりこの学校にもいた、お約束の不良学生。岩を削
り落としたようなコワモテの顔、背は高すぎもせず胴長足短。ただ、体はずいぶん
鍛えているみたい。動作もきびきびとして、格闘技のひとつもやっていそう。
先手必勝、
「ちょっと待ちなさい。」
額に手をあて、口を開けさせる。
「熱なし、咳なし、腹痛でもなさそうだ。休む必要なんて微塵もないっ!」
射抜くほどの眼光で睨み付けたつもりだが、制服を着た北京原人は悪びれずに言っ
た。
「やだなー仮病じゃないっすヨ。ほらこのアゴの所、羽柴(はしば)ってゆー凶暴
な不良にパンチされたんす。手当てして下さいよ。やっぱお姉様のよーな優しいか
たに看病してもらわなきゃ〜。」
こいつ目が笑ってる。
「そのコなら前に会ったわ。美術部の子だっけ? とても凶暴には見えなかったけ
ど。それよりお姉さんがもっと分かりやすい傷、付けたげようか?」
「わーははは、参った、降参です。安芸原素子(あきはらもとこ)先生、でしたっ
け。たいした度胸っすね! ――あ、でも俺サボりに来たんじゃないです。寝るんな
ら教室で寝ますから。本当は…」
扉の後ろに隠していたらしい段ボールを持ってきた。
「?」
開けてみると、…黒猫が一匹、丸くなっていた。
「昨日道で拾ったんです。はじめ気色悪いなあって思ったんだけど、コイツむちゃ
くちゃドジで、俺が振り返ったら車にぶつかってやんの。…専門外かもしんねぇケ
ド、診てやってくれませんっすか?」
…ふうん、こいつ思ったよりかいいとこあるじゃない。ぞんざいな言い方だけど、
ちゃんと敬語も使ってる。ちょっとだけ、気に入った。
「分かった、預かったげる。その代わりちゃんと『あなたたち』は授業に戻んなさい。……扉の陰のコ、居るのは分かってるのよ。」
「? 俺一人で来たはずだけど。羽柴でも来たんかいな?」
この目と言いっぷりは嘘ではなさそうだ。
それじゃあ『誰』が。胸の奥で何か警告音が聞こえた気がした。
が、かまわず私は扉に近付き、そして、開けた。
作品名:養護教諭 安芸原素子 作家名:JIN