「月傾く淡海」 第六章 葛城の宿業
「そう。でも、たとえ負けると分かっていても、人として信義を貫いて死にたい……そんなことを、本気で考えるくらい、まっすぐで融通の聞かない奴だったんだよ、あの頃の俺は」
一言主は、他人の話をするように語った。
この飄々とした託宣神が、そんな一途な青年だったなど、今の姿からは到底想像できなかった。
「馬鹿じゃない……」
倭文は悔しそうに一言主を詰った。
「そう、馬鹿なんだ」
一言主は動じることもなく返す。
二人の間に気まずい沈黙が流れると、突然一言主は倭文をからかうように舌を出した。
「なんてね。--嘘だよ」
「--は? 嘘?」
倭文は本気で怒っていた。それゆえ、一言主がいきなり何を言い出したのか理解出来ず、
呆然とする。
「まあ、あの頃の俺っていうのは、今とは随分違って、真面目で堅苦しい奴だったんだ。だから、そんなふうに思っていたのも確かだったんだけど」
一言主は腰に両手をあて、自嘲的な笑みを浮かべた。
「『目弱王の乱』っていうのは、突発的に起こった事件じゃない。そのずっと前から周到に用意された、葛城に対する罠だったんだ」
「罠……?」
「倭文も、王族なら分かるだろう。昔から、幾度となく大王と反葛城系豪族が結びついて、葛城を潰そうと計略を仕掛けてきたじゃないか。--あの時も、そうだった。実に、巧妙な罠でね。戦っても、従っても、どのみち葛城が敗れるように最初から仕組まれていたのさ」
一言主は当時を思いだし、ゆっくりと嘆息した。
「俺達に道はなかった。玉田葛城は、敗れる運命しか持たなかったのさ。みんな分かっていたよ。覚悟は出来ていたんだ。--だから俺は、せめて死ぬ前に、信義はこちらにありと、あの野郎にうそぶいてやったのさ。かっこいいだろ?」
一言主は乾いた声で笑った。それは虚しい響きに満ちていた
「格好いいなんて思わない……そんなの……」
「うん。倭文はそういうだろうね。俺も、今では時々思う。潔く運命になんて殉じないで、最後まで醜く足掻いてみたらよかったんじゃないかってね。そしたら、何か変わってたかも知れないな」
一言主は苦笑した。
全ては、もう遠い過去の出来事だった。
「でも……あなたは、結局生き延びたのよね? だから、今、こうしてここに……」
言いかけた倭文は、ふとおかしな事に気がついた。
夢で見た円大臣は、死の直前、二十歳前後の青年の姿をしていた。もしあの乱を何らかの事情で生き延び、その後数十年を経たのなら、今はとっくに老人になっているはずだ。
なのに、今倭文の目の前にいる一言主は、死の寸前よりもむしろ若い--端境期にある頃の、少年のような姿をしている。
「ああ。やっと気が付いた?」
倭文の心を見透かしたように、一言主は言った。
「これは、『常若(とこわか)の呪い』なんだ」
「常若……?」
聞いたことのない言葉を耳にして、倭文は怪訝そうに呟く。
「倭文は、『一言主』ってなんだと思ってるのさ」
「葛城の……護り神じゃないの?」
「違うよ」
一言主はあっさりと一蹴した。
「あの時……あの乱の最後の時。里は燃え、兵はうち果て、一族の者は死に絶えて、目弱王自身も自刃して果てた。誰もいなくなった館の中で、俺も首を斬ろうと覚悟を決めたよ。--その時だ。『あいつ』が俺の前に現れた」
「『あいつ』?」
倭文は聞き返したが、一言主は答えずに話を続けた。
「あいつは、仮面をつけて、若い男の姿をしていた。あいつは言ったよ。『やはり、葛城はまた敗けるのか』ってね。『お前は、葛城を敗北へ導いた王だ。俺と同じだ』そう言って、あいつはつけていた仮面を外し、俺の顔につけた。それきり、あいつは消えた。--そしてその時から、俺は『円』ではなく『一言主』になった」
一言主はいつもの癖で、自分の知っている事実だけを短い文節で淡々と話す。だが聞いている倭文には、彼が何を言っているのか、さっぱり分からなかった。
「ちょっと待ってよ、『あいつ』って誰? そもそも、常若の呪いって何よ」
「『常若』は、一言主を継いだ者がかかる呪い。時間をかけてゆっくり若返っていって……最後には、消滅する」
「継いだって……じゃあ、『一言主』って、あなた一人じゃないの?」
「あのねえ、倭文……そもそも、『神』っていうのは、人に憑く霊格なんだ」
面倒くさそうに一言主は説明した。
「俺は、円として生きてたときは、自分の見たことしか知らなかったけど。一言主になったせいで、色んなことが分かってしまうようになったよ。おまけに、性格まで変わった」
そう言うと、一言主は物憂げに自嘲した。
「……昔、倭文に言わなかったかな。この地には、今の大和朝廷が起こる前に、葛城の王国が……葛城王朝があったって」
「よく、そうは聞かされたけど」
「今はただの伝説だと思われてるけど、本当の事だよ。そんなに領地は広くなかったけど、高度な文化を持ってた。今、葛城の田のみで採れる金色の稲。あれだって、葛城王朝から伝わった葛城だけのものなんだよ。他の部族は、赤米とか黒米とか食べてるだろ」
「そうみたいね」
金の稲穂から採れる白い米は、葛城一族だけが常食しているものだった。
倭文はたまに他族に出かけたときに、赤米などを口にすることもあったが、まるで味が違った。多分、栄養価も随分違うのだろうと思った。
他族の中には、葛城の者が長寿で健康なのは、金の米を食べているからだ、と羨む者も多い。
「なまじ平和な王国だったからさ。あんまり軍備に力を入れてなかったんだ。それより、豊かになることを先にしてたしね。だから、筑紫の日向から最初の侵略者……大和朝廷の祖を築いた奴らが来たとき、簡単に敗けてしまったよ」
一言主は苦笑した。
「葛城王朝最後の大王……甕津(みかつ)は、殺される前に色んな事を考えた。自分の不甲斐なさとか、一族の行く末とか、侵略者に対する恨みとか……まあ、敗れゆく王が考える、色んなことをね。あんまり色々考えすぎたもんだから、甕津は、普通に死ぬことが出来なかった。肉体が滅んだ後、甕津の魂は、和魂(にぎみたま)と荒魂(あらみたま)に別れ、二つの魂は別々の方向へ飛んでいった」
そこまで語ると、一言主は顔を上げて、宵闇の空を見上げた。
倭文が目覚めた頃は夕刻だったのだが、二人で話しこんでいる間に、短い冬の陽は既に沈んでしまっていた。
「和魂は、葛城を想う、甕津の『憂い』の心。和魂は常に同族を求め、葛城の傍に在り、自分と同じ運命を辿った者を……俺のような奴を探し出しては、それに依り憑き、葛城の行く末を見守る者となった。長い時間の中で、代々受け継がれてきた、魂達の混濁、それを『葛城一言主』という」
一言主は倭文の方に向き直り、厳かな口調で言い聞かせた。
「つまり俺は、円の身体をしているが、もはや円自身ではない。この中には、混ざり在った幾個もの記憶と魂が存在する。--まあ、それで、結局こんな不思議な性格になったんだな」
「……そんなに何人もいるの?」
倭文は恐々と聞いた。
一言主の語った話は、葛城の姫であった倭文でさえ聞いたこともない事柄であり、想像を絶する内容だった。
「魂の混濁」と言われても想像もつかないが……なにやら、気持ち悪いのではないか?
作品名:「月傾く淡海」 第六章 葛城の宿業 作家名:さくら