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「月傾く淡海」  第六章 葛城の宿業

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 しかし、それでこの奇矯な性格が出来上がったのだとすれば、それはそれでなんとなく納得できる。
「だってさあ、考えてもみろよ。今まで、何回葛城が狙われたと思う?」
「まあ、確かに……」
 倭文は憮然とした表情で頷いた。
 葛城は大豪族であった分、標的にされることも多かった。その数だけ、危機を迎えた首長はいたのだろう。
「……結局、それが葛城の背負った『宿業』なんだけどな」
「--宿業?」
「そう。--葛城は、敗れる為に存在する一族だ」
「……なんですって!?」
 倭文は驚愕した。
 葛城が……この誇り高い葛城一族が、「敗れる為に」存在している!?
 それは、いかに「葛城一言主」の言葉とはいえ、たやすく受け入れられることではない。
 そんな訳の判らぬ運命を始めから背負わされているのだとしたら……自分たちは、一体何の為にこれまで続いてきたのだ?
「--日は東の山の辺から昇り、月は西の葛城山へ沈む。葛城は、月傾く処だ。月見る方は、全てを沈める場所。俺達は、そこを選んで王朝を開き、失敗した。敗北から始まった一族の歴史は、それを繰り返すさだめを持った。……それが、葛城の運命」
「でも……でも、確かに何度も敗れてはきたけど、私たちは決して滅びることはなかったわ。今だって、こうして葛城の一族は生きている!」
「ああ、そうだ。何度敗れても、決して滅びきらない。その血は絶えない。どんなに形を変えようと……敗れる為に在れども、決して滅びゆかぬ者。それこそが、葛城の宿業さ」
 一言主は、夜空を見上げた。
 冷気の中で、星々は冴え冴えと瞬いている。
 --けれど、そこに赭い星は無かった。
「倭文。……葛城王朝最後の大王、甕津の和魂は一言主となり、ここにいる。じゃあ、わかれた片割れ、もうひとつの荒魂はどこへ行ったと思う?」
「……え?」
 突然話を変えた一言主を、倭文はきょとんとして見つめた。
「荒魂は、大和の大王を呪う、甕津の『恨み』の心。甕津の荒魂は、天へ逍遥し、『祟り星』となった。……それが、『祀厳津(みいかつ)』」
「ミイカツ……?」
 倭文は聞き慣れぬ名を復唱した。
「祀厳津とは、大威をかるもの。そは、祟る星神。奴は葛城を遠く離れて逍遥を繰り返し、大和の大王を呪う為に『依りまし』を選んでは憑いてきた。……だが、祀厳津も結局は葛城から生まれた魂。いずれは、この地に戻らざるをえない」
「葛城に、戻ってくる……?」
「--ねえ、倭文。瀬田川で俺が倭文を助けた後、どうなったか知りたくない?」
 それまでの深刻な空気を破るように、突如として一言主は話題を変えた。その口調までもが一変する。
「大伴軍はねえ、俺が殲滅しておいた。そのおかげで、物部は勢いづいちゃって、樟葉宮で正式に大王即位した深海を奉じて、大和へ向かってる」
「大和へ? そうだ、じゃあ稲目は無事なの? あの子確か、物部と一緒にいたはずじゃあ……」
「ああ、稲目は大丈夫だよ。深海のとこにいるから」
「物部のもとで?」
「違うって。深海の手の内にあるんだよ。それでいいんだ。あの子には、あの子の役目があるんだから」
 一言主は、含みのある口調でひとりほくそ笑んだ。
「それでね。列城宮の方は、ぼろぼろなんだ。大王になるはずだった橘王ってのは死んじゃって、主だった豪族も、大半が物部側に寝返っちゃった。まあ、大伴はまだがんばってるけどね。……どう? 倭文は結構重症を負ってたから、癒す為にしばらくこの大銀杏のとこで眠らせておいたんだけど、その間に凄いことになってるだろ」
 自慢げに戦況を語る一言主は、何故か楽しそうにはしゃいでいた。
「……じゃあ、結局列城宮は、落とされてしまうってことかしら」
 倭文は憮然と呟いた。
 どうも、色々と釈然としない。--かといって、どちらに勝ってほしいのか、自分としてもよくはわからないが。
「そう思うだろ。ところがだ! ……倭文は、香々瀬が大伴と手を組んだことを知ってたかな?」
「……ああ。そうよ! そういえばあの子、そういう馬鹿なことをしてたんだわ」
 倭文は不意に思いだし、そのまま青ざめた。
 香々瀬は大伴と結んだままだ。ということは、このまま列城宮が攻略されれば……香々瀬も--ひいては、葛城も、危ないのではないか!?
 倭文の頭は、不安と焦燥でいっぱいになる。
 そんな彼女を見下ろしていた一言主は、またしても突然その雰囲気を一変させ、酷薄な笑みを口元に刻んだ。
「……香々瀬は、列城宮で葛城王朝の復古を宣言した。自らが、葛城大王を名乗っている」
「はあぁ!?」
 あまりに意外な一言主の言葉に、倭文は激しく喫驚し、思わず頓狂な叫びを上げた。
 この局面で、誰を担ぐでもなく、自らが大王を名乗った!?
 しかも、葛城王朝の復古!?
 そんな宣言を、認める豪族があるはずがない。
 逆に、他族に攻め込ませる口実を与えてしまうのが、せきの山ではないか。
 仮にも葛城の首長を名乗りながら、その程度の判断もできなかったというのか、あの弟は!?
「あの臆病で馬鹿な子が……自分でそんなこと思いつく知恵も勇気もあるわけがないわ!
 ……わかった、大伴の入れ知恵ね!?」
 倭文は腹立たしげに言い捨てた。
 まったく大伴も、余計なことをしてくれる。いくら手駒がなくなったからって、あの弟を担ぐとは。そんな荒唐無稽な手が、この情勢で通用するとでも思っているのか……!
「--いや。大伴ごときに使える手ではない」
 一言主は冷淡な口調で言い切った。
「……倭文。さっきの話の続きを教えてあげようか。祀厳津は、祟る星神。それは明けの空に光る赭星であり……陽の前にあって輝く者を意味する。故に、祀厳津の異(こと)つ名は--香香背男(かがせを)」
「香香背男……かがせを……カガ、セ……!?」
 祟り星の異つ名を反芻した倭文は、その不吉な音の符号に気づいて愕然となった。
 古の、葛城王朝最後の大王--甕津。その呪詛の魂……星神・香香背男。
 そして、今の世に葛城王朝復古を宣言した倭文の弟……新たなる、葛城大王を名乗る者。
 その名は、「香々瀬」。
(ただの偶然?……でも、確か、香々瀬の名をつけたのは母様だったわ。そうよ、思い出して。母様は、香々瀬の名をつけたとき、なんと言っていた……?)
 必死に幼い記憶を探り当てた時、倭文は更に衝撃を受けた。確か、母はこう言ってはいなかったか……?
『不思議ね。でも、おまえ達を産むとき、どちらも夢の中で託宣を受けたの。だから、その通りに名付けたのよ。香々瀬も……倭文、おまえもね』
 思い出した記憶の意味に混乱する倭文を前にして、一言主は憫笑にも似た表情を浮かべだ。
 彼は、悠然と夜空を見上げる。
「さあ、倭文にはわかるかな……? 祟りの星神が、一体どこへ戻ってきたのかが、さ……?」


(第六章おわり 第七章へつづく)