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とある夜と、兄と妹

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 日渡の家は、二時間サスペンスでよく犯人の家として使われているような、小さくて古いアパートだった。古い、というのは好意的な言い方で、外観はちょっと汚い。日渡がポケットから鍵を取り出すのを、妹は物珍しそうにしげしげと見つめていた。鍵、というのは小さな子供から見ればわくわくする秘密のアイテムのように思えるのだ。僕も、まだ実の両親と暮らしていたころは鍵ってちょっとカッコイーとか思っていたのでわかる。
 今は、鍵なんてない方がいいと思うけど。
 意外と、というと失礼かもしれないが、家の中はきちんと整頓されていた。ものが乱雑に放り投げられていることもなければテーブルの上に食器が乗っていることもない。少し狭いが、二人暮らしなら十分だ。
「お茶しかねーんだけど」
「あ、お構いなく」
「お前のことは構ってねー。さおりちゃん、ジュース飲む? 買ってこようか?」
「いい」
 日渡は、妹にやけに優しかった。ちょっと意外。
「まあ適当に座れよ」
「あ、はい」
「なんでけーご?」
「や、なんとなく?」
「なんだそりゃ」
 日渡はギャハハと笑う。普段だったら下品な笑い方だなぁと思うのに、気分が鬱々としている今は、この馬鹿っぽい笑い方が心の救いだ。炬燵に足を突っ込むと、骨の芯がじんじんと痛んだ。幸せだ。
「さおりちゃんが遊べるようなもんねーんだよなあ」
「それなら、一応持ってきた」
 鞄からお絵かき帳やおもちゃを出す。「お絵かきする」と言うので、クレヨンも出してやる。
「計画的な犯行とみた」
 日渡がにやにや笑う。
「そうでもないよ。ほかには、中身入ってない財布と携帯しかない」
「充分だろ」
 にや、と日渡は笑って、妹がぐりぐり絵を描いているのを、面白そうに眺めている。
「それ、ママ?」
「うん」
「じゃあこれはパパで、兄ちゃんで、さおりちゃんだ。あれ? これは?」
「おにいちゃん」
 妹はじっと日渡の顔を見る。
「オレ?」
「うん」
「…………やべー。なんかなきそー」
 妹の心根の優しさに日渡だけじゃなく僕の涙腺も決壊寸前だ。どうやったらこんな優しい子に育つんだ。身内の欲目ではなく。
「パパとママ、よくおこってる」
 ぐりぐり絵を描きながら、妹が言った。
「さおりちゃんのことを怒るの?」
「ううん。さぁちゃんのことはおこんない。でも、いつもおこってる」
 妹は、僕の部屋で描いた絵にもそうしたように、黒いクレヨンで家族の絵をぐりぐり塗りつぶし始めた。
「さおり……」
「なんで、絵黒く塗っちゃったの?」
「……わかんない。さぁちゃん、パパとママがけんかするのすきじゃない」
「そっか。さおりちゃん、知ってるか? 人はな、仲がいいと喧嘩するんだぞ」
 妹は、ぐりぐり絵を描く手を止めて、日渡を見た。
「なかがいいのに、けんかするの?」
「ああ、仲がいいから、喧嘩するんだ。仲良くないとな、喧嘩だってしないし、話だってしないし、ご飯だって一緒に食べないんだ。さおりちゃんのパパとママは、喧嘩したり喋ったり、さおりちゃんや兄ちゃんと一緒にご飯だって食べるだろ?」
「うん」
「だったら大丈夫だ。大丈夫だからな。何も心配することないんだ」
「だいじょうぶなのかな……」
「絶対、大丈夫だ。パパとママは仲良しなんだ。さおりちゃんの家族はみんな仲良しだ。さおりちゃんの描く絵と一緒だな」
 日渡は、ニヤ、でもギャハハ、でもなく、にこっと笑った。小学生時代、上級生相手に喧嘩したり新任の先生質問攻めにして泣かせたり授業中に自転車で校庭を爆走していたのと同じ人間とは思えない。
 日渡は、僕よりもよっぽど兄らしく、妹のことを慰めた。
「なあ、もっかい描いてくれない?」
「いいよ」
 妹は黒いクレヨンで輪郭を描いて、黒や、赤や、肌色を使って色を塗り始めた。赤い屋根の家と、水色の池だか湖だかを描いて、鳥を浮かべて、黄色い丸い太陽を描いて、日渡を描いて、猫と犬と鳥を描いた。そして得意げに、日渡に見せた。
「上手に描けたな」
 日渡がぐりぐりと妹の頭を撫でると、妹は、えへへ、という感じで得意げに笑った。
「ジュースのみてーから買ってくる。さおりちゃんなに飲む?」
「オレンジジュース」
「オレンジジュースな」
「僕には訊かないの?」
「てめぇは水道水でも直で飲んでろ」
「冷たいなあ」
「男同士なんてこんなもんだろ。さおりちゃん、眠たそうだったらオレの部屋で寝かせろよ。そっちな。あんまきれーじゃねえぞ」
「何から何まで申し訳なく思っております」
「だからけーごきもちわりーって」
 日渡はふっと笑って、鍵をちゃらちゃらいわせながら出て行った。なんだろうこいつ、かっこよすぎる。男とはかくあるべきなのだろうか? 妹も速攻で懐いたし……あれ、なんだろうこの汚い感情。
「さおり、あのお兄ちゃんのこと好きか?」
 妹はきょとんとした顔をした。
「すきだよ」
「そっか……」
 寂しい……。
「でも、おにいちゃんのことはもっとすきだよ」
「ありがとう……」
 こんなかわいい妹を甘やかさない兄がいるか。いやいない。




作品名:とある夜と、兄と妹 作家名:ラック