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しっぽ物語 2.人魚姫

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 リノリウムにぶつかる革靴の音が去らないうちに、Bは分厚いドアを引いた。しこりはまた一つ残されたが、嘆くなどもってのほか。これは神が、自らに対して与えた試練なのだから。


 神学校を卒業してすぐこの教会病院の院長へ就任したBの人生経験には、ソマリアへの従軍も、インドのハンセン病患者に対する奉仕も含まれていない。だが、観光客のうろつくセント・ジェームス・プレイスから排除され、どん底をさ迷う人々に身を捧げるだけで、彼の信仰心は十分強まったし、そうあらねばならない。今の境遇を不満に思うことは、神の名にかけて出来ない。


 4人部屋の病室は、昨日虫垂炎の女性が退院して以来すっかり華やかさを失っている。生命の最後の炎を夢うつつの中で点す肝硬変の老女が一人、奥のベッドに寝ているものの、彼女に見舞い客が来ていたのを、Bは眼にしたことが無い。彼女の眠るベッドと、彼女達の家族が暮らす世界は、あまりにもかけ離れている。半分だけ開いたカーテンの向こうに見える茜色の空と、その下で直線を引くコンクリートの壁に遮断されているせいで、向こう側でさまよう失業者達の姿は、気配すらも感じられなかった。

 清潔だがよれ気味のカーテンが揺れ、無愛想な看護師が尿瓶を手に姿を現す。Bは見えない患者に一度視線を投げかけてから、乾いた瞳に眼を合わせた。
「彼女と話せるかな」
「もう終わりました」
 無感動に返すと、足音も高く部屋の外に出て行く。彼女は修道尼ではなかったかとため息をつくが、すぐさま思い返す。人間は誰しも、平等に悩みを抱えている。

 一番手前のカーテンを引くとすぐ、消毒薬の匂いが鼻をついた。意外と分厚い布地に遮られ、中は薄暗い。白いベッドに横たわる女の右腕には、点滴のチューブが二本と、抱えきれないほどの絶望がぶら下がっていた。弛緩していなければならないはずの指は宙を引っ掻くような形で凍り付いている。固まってどす黒く変色していた血は既に拭き清められていたが、首のギプスと、顔の左半分を残してしっかりと巻きつけられた包帯の白さのほうが、運び込まれてきた時よりも、その心の果敢無さを強調しているようで痛々しかった。
 

 立てかけてあったパイプ椅子を引き寄せ、Bは初めて女の眼を見た。左目は包帯の下にあったものの、腫れぼったい右瞼の中からは、青灰色の瞳がちゃんと覗いていた。
「気分は?」