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夢幻堂

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「案外、そうなのかもな……」
 そう言いながらあてもなく歩く。炎のなかで歩くのは気は進まないが、熱気は感じるものの実際に傷を負うわけではないし、炎に巻かれるわけでもない。だからといって気分のいいものでもない。ただこの場所がどこだか分からないと、どっちに行ったらいいのかすら迷う。どうせなら肖像画があったあの部屋か、地下の牢獄へ繋がる階段のそばあたりだったらよかったものの、俺を毎回どこぞへと連れて行ってくれる力はそう甘くないらしい。
 次々と屋敷のなかが派手な音を立てて燃えていく。鮮やかな焰の色が、一瞬自分を救ってくれたカンナの姿に重なった。
(あいつの眼の色はこんなだったのかな……紅い、炎の色)
 俺はあいつの薄茶色の眼しか知らないけど。凛としてまっすぐなあの視線はきっと変わらないままだ。そばにいると誓った。あいつにも、自分にも。
(……だから)
 ぎゅ、と拳を握りしめた瞬間、悲鳴と合わせてひとりの女の声が俺の耳に届いた。
『いまいましい! あの女はどこへ逃げたの!』
 女がヒステリックに叫んでいる。聞き覚えのある耳障りな怒鳴り声。それが妙にいらつくといまさらながらに思う。ただ声が聞こえるということは逃げてはいないらしかった。声が聞こえるほうに足を向ける。どうせいいことなんかあるはずもないのに。
(あの女……てことは、あの愛人の女を探してんのか?)
『奥様! なぜこのようなことを!』
 ちょうど曲がり角が見えて、その向こうから使用人らしき女の声が聞こえた。
『黙りなさい! 使用人ごときがわたくしに口答えするとはどういうことなの!? おまえもこの火に呑まれればいいのよ!』
 喚く声が聞こえて、ついでどんっとなにかを押す音が続けざまに聞こえた。嫌な予感がする。助けられはしないくせに自然に足は速くなっている。きっとあの女はもうなにも見えていないに違いない。
(きっとあの女のことも殺すつもりだ)
 ギリ、と無意識に歯を食いしばる。そのまま廊下を曲がると、すぐそこには勢いを増した炎に包まれた使用人だと思われる女がのたうち回っている姿と、凶器を孕んだ母親である女の姿があった。火の勢いはおさまらない。慌てて近寄るものの、実体のない俺は誰かに触れることなどできるはずもない。間近で死にゆく恐怖の表情と断末魔を聞いてしまった俺はあまりの狂った光景に吐きそうになる。
「………イカれてる……」
『ああ……あのいまいましい女も消さなければ………消す消す消す……殺してしまえばいいのよ……そうよ! どうしてはじめから気づかなかったのかしら!』
 見えてないと分かっていても、本能で俺は後ずさる。狂っている。狂ってしまったのか、狂っていたのか、そんなことは知らないけれど。くつくつと肩を揺らして嗤う母親である女の姿は同じ人とは到底思えない。母親である女は右手にあの《女神の宝珠》を握りしめて離さない。
(こわい───なんで、こんな、こと)
 がくがくと身体が震えていた。恐怖でこんな風になるのだと俺は知る。思わずへたりと座り込んだ俺の後ろで小さな足音が聞こえた。見ればよろよろと危なっかしくまろびながらもただ歩いていた。
「おい……っ」
 思わず自分自身に声をかけている。その声もひどく掠れていた。聞こえるわけないと気づいたのは手を出してその身体を止めようとしたときだ。相当混乱しているらしいと苦い笑いを浮かべる。過去は変えられない。これはもう起こってしまったことなのだ。
(きっと、俺はここで死ぬ)
 よたよたと立っている"俺"の前にはその俺を生んだ母親がいる。世間の一般常識で言えば、それはきっと救いだ。けれどいまの"俺"にとってそれは絶望しかありえない。
『お…か、あさ……ん』
 声変わりをしていない甲高い声。それが自分自身の声だと気づくには少し時間がかかった。掠れて、ほとんど息だけのような声だったけれども。その声は不幸なことに、愛人の女を濁った眼で探しまわっていた母親の耳へと届く。首をぐるりと回して声のしたほうを見下げる。ぎょろりとした眼が"俺"を捉えた。
『おまえ……っ! おまえが! おまえのせいでなにもかもが台無しだ!!』
 おそらく反射的なのだろう。我が子であろう"俺"の首にこれでもかというほどぎりぎり締め上げる。勢いがあまりすぎて右手に持っていた《女神の宝珠》の鎖も首に巻き付いた。たとえ感情が削ぎ落とされた人形のようであっても、人としての生理的反応が失われたわけではない。"俺"は初めて人間らしく空気を求めてばたばたと手足を動かした。かはっと音のない咳が見える。目を逸らしたかった。でもできない。これは思い出さなければいけない俺自身の過去なのだから。だから、視界が滲むのを錯覚だと思い込んで見つめる。
『お…かぁ、さ……』
 かろうじて残った息で吐き出す。母親である女は、はっと俺の顔を見た。ほんの少しの期待が見ている俺の胸に去来する。
『眼の色が……一色に………そういう、こと、ね……あの女ははじめから知っていたのね! ああいまいましい、いまいましいッ!! おまえも、あの女もいなくなってしまえばいいのよ!』
 たった一筋、ひとかけらの希望を見るも無惨に粉々に砕かれる。息をするのも忘れるほど、俺はその光景から目を離せなかった。きっと偶然首にかかった《女神の宝珠》によって俺の二色の眼は隠されたのだろう。そういう力を持つ宝石であることを愛人の女は知っていて、この女は知らなかった。
(知ってれば……なにか変わったのか……結局、同じことになったんじゃないのか)
 よしんば、あり得ない選択肢だけれど、あの母親が俺のために《女神の宝珠》をかけたところで父親とも思えないあの男に取られていたんじゃないかと思う。そして取られた瞬間に息子の眼の色が二色だと露見する。だから結局は同じ未来しか辿れないのだ。どんな経緯があろうと俺はあの牢獄に放り込まれたし、母親は俺を殺そうとしただろう。父親は"俺"という存在を脳裏から消し去っただろう。なにも変わらない。なにひとつ。
 ひゅうと息の音が聞こえた。壊れてしまいそうな精神を必死に手放さないようにしながら俺は"俺"を見る。だけれど、その身体はもうだらりと力を持っていなかった。
(た、すけ……て、って聞こえた……)
「なんで……っなんで、なんでなんだ! どうして俺を憎む!?」
 無意識に喉に手をやる。いま、自分が絞められたわけでもないのに、かきむしる。実際、そうやって"俺"は死んだ。見るに耐えない死に様で。母親はもう鬼だ。悪鬼と同じだ。力を失った"俺"の首を持ったまま、ごうごうと音を立てて屋敷中のものを巻き込んでいる炎へと投げ込んだ。炎はまるで意思を持っているかのように飛び込んできたエサをなぶるかのごとく、火だるまに仕立て上げた。
作品名:夢幻堂 作家名:深月