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夢幻堂

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 どうしてあんなものたちが視えていたのか。それとも、いまの自分だから見えるのか。いや、あのころも視えていたのだと何となく思い出したのだから、そんなことはないはずだった。それとも、なんの力もないと思っていたけど、本当はこの二色の眼だから視えたのか。俺はもう一度思う。
(だって、あそこにいたやつらの眼は全員バラバラだった)
 閉じ込められていたのだろうか。自分と同じように。二色の眼を持つがゆえに。あるいは、だからこそ絶望しか見いだせないあの暗く湿った檻のなかで狂った魂が彷徨っていたのだろうか。
 よく分からなかった。もう思考はまともに働いちゃくれない。
「なにがしたかったんだ……俺がそこまで憎いんだったら殺せばよかった!」
 顔すらもまともに覚えていなかった母と存在すら知らなかった父に、聞こえないと分かっていながらも叫ばずにいられなかった。怒りでどうにかなりそうだ。殺せばよかったのに、という想いが渦巻いて何度も声に出す。
「…………肖像画」
 暴れ出したい衝動を無理やりに押し込んで、あの愛人であろう女の言葉が脳裏に浮かんだ。甘い毒を浴びせ続けたあの女が言っていた。この家には歴代の家族の肖像画をが置いてある部屋があると。そこには、本来俺が受けられるはずだったものが見えると。俺はのろのろと視線を上げる。とっくに周りの声は聞こえない。変わらず父であろう男と愛人であろう女が寄り添ってなにかを話しているように見える。さながら無声映画を見ているようだ。無声映画なんてものは俺は知らないけど。
 肖像画が置いてある部屋。
 そこに行けばなにかが分かるだろうか。といったって、屋敷と呼んだほうががいいほどでかい家には無数の部屋があって、どこに行ったらいいのか検討すらつかない。
 ぼんやりとあたりを見回す。心をからっぽにしたままで。そこで俺はようやく気がついた。あまりにもいまさらだった。
(知らないはずの景色なのに視えてる)
「……これも、あんたの力なのか、《柩の番人》」
 俺はそうひとりごちる。どうせ答えなんてあるわけないのだ。けれど、なにか喋っていないと潰されそうだった。精神(こころ)が。だれも、いまここにいる自分を見つけてはくれない。ひとりがあまりにも孤独で、さみしくて、つらい。
 自分がいた昏く冷たい牢獄とは似ても似つかない豪華な屋敷の中を歩く。俺の存在はどこにまで知られていたのかは分からない。けれど、このきらびやかな空間のなかでてきぱきと働いている使用人たちが俺の存在を知っていたとは思えない。
 どうして、どうして、どうして───……、その言葉だけが狂った機械のように繰り返される。考えたって答えなんて得られないのに、答えを求めたがっている。
「……なんでこんなカラッポなんだろう俺……」
 自分の中に湧いた行くあても知らない怒り。
 まだ音を立てて燻ってはいるけれど、ついさっきまでの激情はいつの間にか潮が引いたように静かになっていた。代わりに自分の心の中がいきなり空洞になって、そこへ冷たい風がひゅうひゅうと吹き込んでくる。冷たかった。とても。炎のような感情と凍てついた心。炎と氷は共存できない。そんなこと分かっている。それでもコントロールできないのは俺自身の感情の器がカラッポだったからだ。俺は、あいつから感情を教えてもらったと思ってた。あいつが与えてくれたと信じてた。いや、それも間違いじゃない。でもすべてじゃなかっただけだ。名前も知らない、この行き所のない感情も誰かに対する強い怒りも、俺は持ってなかったんだと初めて知った。
「どうして、あんたは……あんたたちは俺を疎んだ、んだろう……な」
 留まることを知らない疑問。俺はまた呟いている。はは、と口唇から乾いた嗤いが漏れた。諦めにも似た自嘲。
「知らなかったよ。なあ? 名前も知らない、顔も覚えちゃいないってのに、こんなどうしようもなくなるくらいイラつくなんてさ? こんな───自分がカラッポだって思い知らされるなんてなあ!?」
 俺の叫びは聴こえない。だれにも。もどかしい。いまなら伝えてやりたい言葉なんてたくさん知っているのに、だれひとりとして聴こえやしない。
(虚しいだけ……だな)
 無い物ねだりするだけ無駄だ。とあてどなく歩く。ふんわりとした上質な絨毯の感触。いや、上質かどうかなんて俺にはよく分からないけど、多分そんな気がする。
(……?)
 ふと違和感を覚える。見える情景はなにも変わらない。けれど、なにかが違う。光が差し込む窓側を見ても変化はない。変わらずあたたかな陽光が緋色の絨毯を照らしている。なのに、ふっと空気が昏さを増していた。明らかにまとう空気が変わっている。ねっとりと、肌に絡みついてくる湿気を含んだ重い空気。
(嫌な感じだな……あそこと似てる)
 自分が入れられていた檻の中と。
「人が……いない、のか……?」
 気のせいではなく、明らかに人のいない廊下は薄暗く、沈んでいる。豪華という平凡な言葉しか当てはまらなかったあの場所が陽の当たる場所とするならば、こちらはさしずめ影だ。
「さみしい、な……」
 がらんとした廊下。たったひとり取り残されてしまったような感覚。自分以外は、あたかなところへ行ってしまった。俺にはそんな選択肢すら存在してなかった。はじめから、終わりまでずっと。気づいてしまった。気づかされてしまった。やり場のない想いは消化されない。俺は左手で傷一つない美しい壁をドン、と強くたたく。けれど、俺の手が痛くなるばかりで音すら出ない。当たり前のようにこの世界に、時代に俺は関わることができない。
(だってこれは過去だ)
「けど…っ、じゃあ俺はだれにぶつけりゃいいんだよ!」
 叫びはただ虚しく。結局は堂々巡りだと分かっているのに、止められない。喉からせり上げるこの気持ちがなんなのかが分からない。苦しくて、ひりつく。
「あーもう……肖像画、探しにきたんだろ俺……なにやってんだよ」
 むりやり笑ってごまかして、痛みをなかったことにする。このまま立ち止まってたって俺は前に進めない。進めないまま壊れるなんて、そんな馬鹿げた話はない。あいつに合わせる顔がない。
「手当たり次第ってのは非効率すぎる。……道しるべくらいなんかないのか」
 なんでもないことにして、傷ついてないふりをしながら俺は軽い口調で独りごとを呟く。ついでに手近にあったドアノブに手をかけて押し開ける。実体もない俺の身体では重さも感じられない。重そうな扉はまたもや音すら立てずに静かに抵抗もなく開いた。そして、開けた格好のまま俺は固まる。視線の先にぼんやりと浮かび上がったのは、おびただしい数の人の顔。ぞわりと、冷たい風が肌を撫ぜた、のは気のせいか。
「っ……」
 思わず息を呑む。分厚いカーテンに覆われ、光の一筋も入ってこないその部屋は、じっとりと湿っていて陰鬱だ。それでも俺は一歩、部屋の中に足を踏み入れる。
「偶然、にしては出来過ぎ、なんじゃないのか……」
作品名:夢幻堂 作家名:深月