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夢幻堂

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(過去を消す───いや、記憶を?)
 自分に置き換えて考えてみろと言い聞かせ、考えるのが苦手な脳をフル稼働させる。カンナはそんなシオンに口出ししようとはせず、いや実際はカンナも思うところがあって考え込んでいたのかもしれないけれど、とにかく黙ったまま《柩の番人》を睨むように見ていた。
「消された……あるいは消した相手の記憶からは、その出来事は抹消されて、なかったことになる。そう言いたいんだな?」
『左様』
「だとしたら───、この場合の"死人"は記憶の消えた俺自身……てこと、か」
 死人は物を語らぬ。
 つまり、まさにそう言うことだ。肉体的に死んではいなくても──シオンの場合でいえば、肉体的にも死んでしまってはいるのだが、夢幻堂に留まっている限り魂が生きていることになるのだろう、多分──、起こった事象すべてをなかったことにされたならば、当然記憶からもそれらはすべて抹消されることになる。だから正しく言葉を使うのであれば、物を語らぬ、ではなく、語れないということだ。死人はつまり、真実を《柩の番人》に渡した者たちのことであり、《柩の番人》が真実を秘匿し続ける限り、語られることはない。
『漸く解したか』
 半ば呆れた声を上げた《柩の番人》に、シオンはぐったりしながら反発する。
「だからあんな回りくどい説明で分かるほど俺は頭がよくないってさっきから言ってんだろうが。人の話くらい聞きやがれ」
『我は我の持つ言葉でしか語れぬ。それより、まだ解放してはならぬと?』
「ちょっと待った。《柩の番人》が何を守っているのかは分かった。だけど、それがどうして解ける? 一度秘匿した真実が、なんで今になってバラされるんだ?」
『ばらすとは?』
「え? えーと……真実が明かされるのはなんでかってことだ」
『至極単純な答えしか我は持ってはおらぬが、秘匿された真実は永遠ではないと言うこと』
「時間制限がある?」
『主に分かりやすく言うのであれば』
 馬鹿にされたような気がする、のはシオンの気のせいではないだろう。ただ、そうだと言わないのであれば、何かが違うのだ。
『たとえ我が秘匿しようと、封じられた真実が死すわけではないと言うこと』
「つまり、真実はいずれ還ってくる。罪は罪のまま、傷は傷のままとして───」
 《柩の番人》の言葉をカンナが引き継ぐようにして答えた。ならばカンナは、と聞こうとして合点がいく。カンナは罪を秘匿したわけではない。《淡雪の花びら》で浄化させたのだ。ゆえに、秘匿はされず血塗られた記憶は穢れなき白へと姿を変えた。
(代償、か)
 それは、いずれ負うものだ。負わなければならぬこと。封じ込めたい記憶など、輝かしいものであるはずがないのだ。そうであるがゆえに、秘匿したいと望むのだ。おそらくは。もし秘匿し続けたいと願ってしまったら?
(どうなるのか、俺は知りたいとは思わないな)
 冷酷で残虐な末路しか待ってないのだろうから。聞く必要もない。シオン自身がその道を望まないから。
「……俺の負った傷は、俺が負うべき痛みだろう。なら、俺はそれを受けとめるだけだ」
 カンナが心を砕いて自分を守ろうとしてくれたのは分かっている。分かっているからこそ、多分知らなければいけないのだ。シオン自身が、思い出さなければいけないことなのだ。そう、心から強く思って《柩の番人》を見た。
『して、夢幻堂店主よ、答えは?』
 《柩の番人》は淡々と、自分の果たす義務だけを遂行しようとしている。その存在は、そうすることが使命なのだ。だから用意していた答えだけを返す。
「私が閉じ込めたのは、シオンの中にあった記憶の欠片たち。だから、私が話せるのはシオンがここへ来たときのことだけ。それが終わったら、《柩の番人》、あなたが望むように」
 シオンが心を決めたというのなら、カンナはもう止めることはできない。真実を望んだ彼を止めることは許されない。だからこれはカンナにとって最後の足掻きだ。その気持ちを知ってか知らずか、《柩の番人》はゆっくりと首肯した。
『ふむ、暫しの猶予ということで認めよう』
 その答えを聞き、カンナはシオンに向き直る。強い意思を宿して、きらきらと輝きを増した二色の瞳をまっすぐに見つめた。
「夢幻堂のあるこの場所は《狭間の世界》の中にあるってことは知ってるわよね?」
「ああ、夢と現の間の世界、どこかへ行くために魂が彷徨う場所、なんだろ? で、この夢幻堂は疲れた魂を癒すところ」
 それはカンナが教えた知識だった。間違ってはいないけれど、多くの真実を伏せたままなのは事実だ。そのことをいまさらながらに気付かされ、カンナは少しだけ申し訳なく思った。
(……きっとヨウ様も同じ気持ちだったのね)
 多くを知らないままでいて欲しいと。優しい空間に身を委ねたままでいてほしいと、そう願ったからこそ限りなく優しい真実しかヨウもカンナに教えなかったのだ。それは自分のエゴだと、今なら認められるのかもしれない。
 夢幻堂のある"狭間の世界"は混沌たる空間であり、決して安穏たる空間ではない。
 びょうびょうと吹く生温い風。光すら差さない灰色に沈んだ空間。空も地もなく、ただどこまでも淀んだ色が広がるばかりで、剥き出しの魂たちはそれらにいたぶられて衰弱していく。そして、夢幻堂に辿り着けず"狭間の世界"を漂い、弱った魂を喰らうイキモノたち。
 どこを取っても平穏とは掛け離れた、夢と現の狭間の世界。
 優しい陽光に彩られ、ゆったりと過ぎる時間に身を委ねる夢幻堂がいかに異質か。そうと知ったのは、カンナが瑛から夢幻堂を継ぐときだった。そうでなければ、カンナも知らないままだっただろう。疑問を持たずにいられただろう。その立場はつまり、いまのシオンなのだ。けれど、
(この場所がこうして在ることを赦されている理由を、私も知らない)
 知らなければならないときが来るのか、それとも理由など初めからないのか。考えて、考えても仕方がないのだと自分をなだめるしかない。
「カンナ?」
 遠慮がちな声が遠くから届いて、はっと気が付く。長い思考の中で、カンナはずいぶん黙ったままでいたようだった。戸惑った瞳を向けるシオンと目が合い、カンナは微笑もうとして失敗する。
「……私は、ヨウさまのようにはできないわ。ねぇ、シオン」
「ん?」
「シオンが記憶を取り戻したら、夢幻堂の外の世界……"狭間の世界"のことを話すわ。ただ幻滅するだけの、真実かもしれないけれど」
 苦しそうに微笑ったカンナに、シオンは黙って首を横に振った。
「そんなことない。ちゃんと聞くよ、最後まで。だから、教えてくれ───俺がここに来たときのことを」
 少しでも先延ばしにしたいと思っているのが痛いほど分かったけれど、もう先へ進まなければならない。ギシ、とやわらかなソファが身を乗り出してカンナをまっすぐに見たシオンによってかすかに音を立てた。
「これ以上、俺を守ろうとしなくていい。俺のせいでカンナが傷つくのはいやだ」
作品名:夢幻堂 作家名:深月