夢幻堂
薄茶色の瞳を悪戯っぽく細めながら、カンナは目の前に座る『黄金の御子』に問う。
その言葉使いは、まだほんの少女の容姿であるカンナには似つかわしくない。ただし、カンナは容姿が少女なだけで本当は違うと言うことを『黄金の御子』はよく知っていた。
カンナに初めて会ったのは、もう思い出せないほど遠い昔のことだ。そのときの姿といまの姿は違う。けれど、身体は々だった。ずっと時が経っていると言うのに、カンナの身体は成長しない少女のままだった。
その少女のままのカンナに『黄金の御子』は同じように微笑を向けると、ビンに残った《太陽の媚薬》を見ながら緩慢に首を横に振る。
「なにも……。ただ、微笑ましいと思っただけですよ。……彼は、どこから拾ってきたのです？」
「この夢幻堂の前でですわ。自分に遭った出来事を、シオンはなにも覚えていません。覚えていないことの方が、幸せに繋がることもあるでしょうし」
カタンと薔薇色に色づいた液体《薔薇水の誘惑》と炎の色と同じオレンジ色の《黄金の炎》のボトルをそばに置き、慎重に用意していた器に垂らす。それはほんの少しずつで、たったそれだけなのかと思わせるほどの少量だ。けれど、まだ混ざっていない器に移した二つの液体を《太陽の媚薬》が入っているボトルに一滴残らず移し替えていく。一見無駄のように思われるその作業は、実は大事なことなのだ。強力すぎる二つの液体は一旦酸素に触れさせ、混ぜ合わせる。そのまま酸素に触れさせず混ぜ合わせようものなら、カンナですら狂ってしまう毒に等しい媚薬が出来上がってしまうだろう。
その慎重な作業をゆったりとしたソファに座りながら眺めていた『黄金の御子』は、床につきそうなほど長い彼女の髪と姿を見ながら呟くように答えた。
「……貴女は、まだ夢幻と現の狭間に囚われたままなのですか？」
この店を開いたときからずっと変わらない幼い少女の姿。その理由を知るものはそう多くはない。そして、真実を知る数少ない一人『黄金の御子』は問う。けれど、『黄金の御子』に返ってきた答えは信じられないほど大人びた笑顔だった。思わずはっと息を呑み、その笑顔を見つめる。
「囚われたのではありませんわ。私自身が囚われることを望んだのです」
作業を止めて優しげな声音で言った言葉は、光を司る神『太陽』の子、『黄金の御子』でさえも反論ができなかった。
「太陽の御子、お茶をお持ちしました。………カンナ？」
悪戦苦闘したのか大分時間が経ってからお茶を持ってきたシオンは、いつもと違う雰囲気をまとったように見えるカンナを訝しげに見てから問いかける。ほんのり香る紅茶の湯気が夢幻堂の中をゆっくりと満たして、『黄金の御子』も知らずに強張っていた身体を和らげた。
「ずいぶん時間かかったけど、ちゃんとできた？」
「ああ。そんなことより、なにかあったのか？ 気配が変だぞ」
「なんでもないわ、大丈夫。ああ、でもこの媚薬作るのは集中力がいるから、疲れたのかもしれないわ。シオン、私のお茶もある？」
「あるけど……」
何となく解せない様子でシオンは『黄金の御子』とカンナにお茶を出した。カンナが作り置きしておいたお茶菓子も一緒に持ってきたので、自分の分もちゃっかり頂きテーブルに乗せる。
「なんだ、いつもやらないだけで本当は美味く淹れられるんじゃない」
シオンの淹れた紅茶を一口飲んだカンナが冗談交じりに笑いながら言った。むろんカンナが叩き込んだのだから美味しくて当然なのだが、大体逃げ回って結局カンナが淹れる羽目になることがほとんどだ。だからもう忘れてしまったのかと思ったらそうでもなかったらしい。
「だからなんだ。カンナのほうがずっと美味く淹れられるんだから、別にいいだろ」
「またそう言う屁理屈ばっかり……」
そう言いながら、カップをテーブルに置く。そして今度は『黄金の御子』に向き直った。
「出来上がりましたわ、『黄金の御子』。ご希望された《太陽の媚薬》です」
出来上がったばかりの小さなボトルを目の前にかざし、そのまま『黄金の御子』の掌に乗せる。赤とオレンジのとろりとした液体が完全に混じり合わずにボトルの中で踊っている。それを見て『黄金の御子』は満足そうに微笑むとこくりと一つ頷いた。
「さすがは夢幻堂の店主ですね」
「ありがとうございます。じゃあ、これを小瓶に移しますので、お待ち下さい」
出来上がったばかりの《太陽の媚薬》は人の手に収まるくらいのボトルより、さらに小さな小瓶に移し替える。それだけでも十分すぎるほどの効力を発揮するのがこの薬の良いところでも悪いところでもあった。
カンナが移し替えている間、シオンは黙ったまま紅茶とお菓子を交互に口に運んでいた。けれども、不意に視線を感じて『黄金の御子』の方を見やる。
「……なにか？」
「いいえ。ただ、美しい瞳だと思って見ていただけですよ。気分を害したならすみません」
「両目で違う色の瞳を、どうやったら美しいと思うのですか？」
冗談ではなく、本気で聞いた。自分だったら、両目で違う色の瞳なんて忌み嫌っていただろうと思うから。
「ふふ、夢幻堂店主は貴方に内緒だと言っていましたから、わたしが教えたことは内緒ですよ？」
楽しげにそう前置きしておいて、声を潜めるでもなくシオンに告げる。
「ある国で、薄紫に薄緑のその色は、貴方の名と同じ『紫苑』と呼ばれるとても美しい秋の色目なのです」
「………」
知らなかった、とシオンの瞳が語っていた。カンナが教えなかったのだから知らなくて当然と言えば当然なのだが、驚きに満ちた表情で呆然としてしまったシオンに柔らかく微笑みかける。
「シオン、あなたはいま幸せですか？」
「え？ ……この満たされた毎日を幸せと呼ぶならば」
「そうですか。それはよかった。……さぁ、そろそろお暇しなくては。神が首を長くしてお待ちでしょうから」
すっと『黄金の御子』が立ち上がるのと同時に、カンナが「持ってきましたわ」と言いながら小さな小瓶を手にしていた。それはほんの２、３滴分しかはいらない本当に小さなボトルだ。それを大事に受け取ると、カンナの耳だけに聞こえるよう囁いた。
「とても真っ直ぐな子に育ちましたね」
ある意味驚きにも似たその賛辞を、カンナは最高の笑顔で返した。
「ええ、そうでしょう？」
ふふっと笑い合うと『黄金の御子』は右手に白い炎を生み出して、今度は二人に向かって一礼した。
「楽しいひとときと安らぎのひとときを過ごせました。ありがとうございます」
ではまた、と律儀に挨拶しながら白い炎に包まれた『黄金の御子』は夢幻堂を去っていった。立ち尽くしていた二人は、どちらからともなしにふぅと息をつくと、ふかふかのソファーに身を埋める。
「神の、特に太陽の御子は緊張する」
「そんなに緊張しなくても、あの方は優しくて慈悲深い神の御子よ」
「仲良いのか？」
目を閉じて大人びた声で言うカンナに、シオンは奇妙な感覚を覚えながら問いかける。
「『黄金の御子』と？ そんな畏れ多いことを言うつもりはないわ。けれど……私にとって太陽神は、救い出して下さった神様。私は……、ずっとあの方の力を感じながら生きていたの」
「……ふぅん？」