夢幻堂
カンナは自分のことは滅多に語らない。そのことを、シオンは別に気にしたこともない。言いたければ言えばいいと思うし、言いたくないのであれば無理に聞き出そうとは思わないからだ。それは自分自身にも思い出せない記憶があるからなのかもしれないけれど、なにより大事なのはカンナと過ごす毎日だとシオンは信じているからだ。だから、急に昔を懐かしむような声になったカンナを不思議な気持ちで眺めていた。……だからと言ってなにを言っていいかは分からなかったのだが。
カンナは、ふと昔のことを思い出しため息をつく。けれどそれを振り切るように腕を伸ばして、笑顔を向ける。
「ひさしぶりに強い薬を作って少し疲れたわ。シオン、お客が来たら知らせて……」
言いながらソファの上ですやすやと寝入ってしまったこの店の店主に、シオンは半ば呆れながら苦笑してそばにあった毛布をかけてやる。
なんの音もしない、ともすれば耳が痛くなってしまうほどの静寂の中で、シオンはただ満たされた気持ちでいた。その代わり映えのしない日常であっても、この空間とカンナがいるならばシオンは幸せなのだろうと、心から思う。
「起きたら、俺に使った薬を教えろよ」
悪戯っぽく笑って、冗談めかした声で、すでに夢の世界へと旅立っているカンナに呟いた。
その後、お客が来なかった夢幻堂は静かなことこの上なかったはずだが、シオンが黒猫姿でそこら中を走り回り、カンナの大事な置物を派手に倒した衝撃で飛び起き、その黒猫を怒鳴ったことは言うまでもない。