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夢幻堂

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第二章 太陽の媚薬


 お客もいない、静かで穏やかな夢幻堂の中を、黒い猫がひょいひょいと歩いている。
 しかも歩いているのは床ではなくて、ガラスのボトルやら置物やらがごちゃごちゃと乗っている棚の上をだ。
「シオン、棚の上を歩かないでって言ったでしょ? 貴重なものばっかりなんだから、落としたら怒るわよ?」
 ゆったりとふかふかのソファーに座っていたカンナが見かねて注意した。まぁ、それでやめるならカンナだって苦労はしない。
 シオンは猫の姿のままカンナの言葉なぞどこ吹く風と言わんばかりにひょいひょいと歩き続けている。
「シオンってば!」
「倒さなきゃいいんだろ〜? ……っと……」
 言ったそばから前足に細い瓶を引っ掛ける。
 そのまま床に叩きつけられそうだった細いビンを、寸前でシオンがなんとか取る。
「……シオン……」
 滅多に怒らないカンナの声がすぅっと低くなり、名前だけを呼ぶ。まずいと思ったシオンは慌ててビンを持ったまま、とんっと棚から降りた。
「あとで後悔するくらいなら最初からしなければいいでしょ」
「……悪かったよ」
 倒して落としそうになった繊細で細いガラスのビンを持ちながら、咄嗟に人型(小人型の方がいいかもしれないが)になったシオンがふよふよ浮いてテーブルにちょこんと座る。それと一緒にその体の半分くらいのビンをカチャンと置いた。
 ちょっと付け足しておくと、そのビンの大きさは普通の人間の掌に収まるくらいである。
「……随分軽いけど、なにが入ってんだ?」
「軽い? ……ホントだ。足さないとダメかな……」
 細い小瓶をひょいと持ち上げると、中をじっと見て呟いた。透明なガラスのビンの中には、赤みがかった金とオレンジがかった金の色が半分混ざった状態で、とろりとした液体に見える。その中身は確かに半分以下でほんの一口分しか残っていなかった。
「これはなんだ?」
「あ、開けちゃだめよ。これは《太陽の媚薬》だから」
「太陽の媚薬?」
 その液体の名前を繰り返して、自分よりもはるかにたくさんのことを知り尽くしているカンナを見上げる。
 それほどたくさんのお客が訪れない夢幻堂は大概静かだ。騒がしくなるのはお客がいるときか、シオンがなにかやらかしたときかだ。だから、二人が黙ってしまえばほんの少しの生活音さえ聞こえず、無音となる。
 いまも少しカンナが黙って考える仕草をしただけで、そのわずかな衣擦れ以外に音はない。
「シオンにはここにあるもののこと、全部教えてなかったね。……《太陽の媚薬》は《黄金の炎》と《薔薇水の誘惑》を掛け合わせたものよ。これが必要な人は多くはないけど、本当は必要ないほうが幸せだと思うわ。これは麻薬とか毒薬とかに近いから」
 薄茶色の瞳に影を落として、いつもよりも低い声でその液体の説明をした。
「媚薬ってことは惚れ薬みたいなもんか?」
「そうね……《太陽の媚薬》惚れ薬ではないわ。むしろ、人が使っては毒になってしまうような、そんなものよ。だから、使う相手は基本的には一人だけ。……それ以外は、罪を重ねて戻れなくなった相手に対してだけに」
「その一人って絶対人間じゃないだろ? 誰だ?」
 そんなに出すのを渋ると言うことは、大体の相手は使えない代物だ。
 だから、これを使えるのは相当変わった奴なのだろうとシオンは当たりを付けて聞いてみる。カンナは少し息を吐いて答えをくれた。
「《黄金の炎》の提供者よ」
 机の上にちょこんと人形のように座り、シオンはカンナを見上げた。それはとても可愛らしい風景だったが、何分シオンの口が悪いから楽しく語り合い、のような雰囲気ではない。しかしシオンにはそんなことは関係ない。カンナの言った言葉が誰を指しているのか、うんうん唸ったあとやっとなにかを思い出したようだった。
「黄金の……太陽か!」
 カンナはこくりと頷いた。《黄金の炎》は太陽の周りと取り囲む炎のことだ。いわゆるコロナと呼ばれている部分が《黄金の炎》となる。《黄金の炎》を使って媚薬を作っているのなら、その元となる太陽が使うのは筋が通っていると思うけれど、シオンは頭をひねる。
「つーか太陽が《太陽の媚薬》なんてどーすんだよ? なにに使うんだ?」
「……《太陽の媚薬》をなにに使っているかは私には分からないわ。太陽の御子がお使いになるものだから。ただ、下にいる人間たちがひと夏の恋とか言うのは《太陽の媚薬》を浴びたせいでもあるかもしれないわ。これは強力な媚薬だから」
 ビンの蓋の部分を持ち、ひらひらと振る。しかし不思議と中の赤みを帯びた黄金とオレンジを帯びた黄金が完全に混ざってしまうことはない。
 その様子をしばらくじっと見ていたシオンが、不意にぴくりと反応してするりと猫の姿へと変化した。お客が来るときは基本的に猫の姿だと自分で決めているのだ。それと同時くらいに夢幻堂のドアがチリンと来客を知らせた。
「夢幻堂店主、久方ぶりですね」
「ご無沙汰しております、『黄金の御子』」
 いつもよりも丁寧な言葉づかいで、カンナがにこやかに対応する。その相手は髪が白と黄金が混ざり合ったような髪を持ち、鮮やかな真紅の瞳を持ったものだ。その見目は麗しく、少年とも少女とも見える。
「そちらの方は初めてですね。わたしの通り名は『黄金の御子』、以後お見知りおきを」
 そう言って、人間で言えば十二、三歳くらいの背の高さ──と言うことはカンナも同じくらいと言うことになるが──の『黄金の御子』がぺこりとそれは優雅に一礼した。黒猫は慌てて居住まいを正すと、はっと気付いたように猫の姿から、本来の彼の姿へと戻る。それは小人の姿ではなく、『黄金の御子』やカンナよりも頭半分ぐらい背が高い少年の姿だ。カンナが相手を『黄金の御子』と読んだ意味を、シオンは正しく理解していた。
「……名を、シオンと」
「シオン……ああ、紫苑、ですね。いい名を貰ったんですね。夢幻堂店主は本当に博識でいらっしゃる」
 『黄金の御子』は美しい顔で微笑むと、なんとも言えずに胸がどきどきとする。むしろ緊張感かもしれない。なにしろ相手は『黄金の御子』と言うだけあって、太陽神の子供を意味するからだ。
「いいえ。私の知識なんて、この世界の溢れる不思議に比べれば微々たるものですわ。それに……シオンにはその名が相応しいかと思いましたので」
 その理由をシオン本人は知らなかった。黒猫の姿のときとは違い、シオンの本来の姿は黒い髪に右目が薄紫色、左目が光の加減で深い緑にも見せる薄緑色。それは紫苑と言う色に当てはまることを。
「立ち話ではなんですし、どうぞお座りになってお茶でもいかがですか? ちょうど《太陽の媚薬》を足そうと思っていたところですし」
「では、お言葉に甘えて」
 きらきらと鮮やかな紅の瞳を輝かせながら、『黄金の御子』は夢幻堂の中へと入り、お客用のソファーへと座る。
「いま、シオンがお茶とお菓子を運びますから、少々お待ちを」
 言いながら本来の姿のままのシオンに目配せして、伝えた。シオンはなんで俺が、と言う微妙な顔をしたが、カンナには《太陽の媚薬》を作る作業が残っているのだと気付き、なにも言わずに奥へと消えた。カチャカチャと用意する音がかすかに聞こえ、『黄金の御子』は優しく微笑した。
「なにが、楽しいんですの?」
作品名:夢幻堂 作家名:深月