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夢幻堂

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「……どうしよう、かしら……」
 うとうとと心地よい惰眠をむさぼっていたシオンは、この店の店主の珍しく困った響きにうっすらと目を開けた。見れば店主であるカンナは机の上にちょこんと乗っている小さな"朱い置物"と対面している。
「さっきからなんでずーっと唸ってるんだ?」
「え? あ、起きたの?」
「まぁな。それよりなんだその置物」
 いつも通り黒猫姿のシオンは、反対側のソファーにいたカンナの横にぴょんと飛び移ると、さっきから対面していると思われる置物に前足を出した。
「あっ、ちょっとシオン……」
 と止めようとしたカンナの声は一瞬遅かった。
「猫の手で触るでないっ! ワシは遊び道具ではないんじゃぞ」
 目の前の"朱い置物"がカタカタと身体を震わせ──と言うより左右に揺れて音を出しただけだが──威嚇する。だがいかんせんその置物には両方の目がない。不気味というか、間抜けというか、だ。
「…………お客、か? これ……」
 いきなり怒られたシオンは前足を引っ込めると、隣のカンナを見上げて聞く。なんとなく唸っていた理由が分かった気がする。
「お客様……、と言わざるをえないんだと思うんだけど……」
「けど?」
「魂、ではないのよ。本当にこの姿のまま、ここへ辿りついたの。普通、器は"狭間の世界"に馴染まない。だから魂しかここへは来られないのに、あなたはどうしてここへ辿りついたのかしら?」
「そんなことはワシに聞かれても分かるはずもなかろうて。なにしろ、ワシは《吉兆の豆達磨》と呼ばれておるからの。ほっほっほ」
 なにしろ、とか言いながら全然理由になっていないことに彼は気づいているのかいないのか。脱力しかけたカンナにシオンはきょとんと聞き返していた。
「だるま?」
「シオン、達磨を知らない? 縁起物なのよ」
「えんぎもの……こんなにちっこくても?」
 シオンがそう言うのも無理はない。なぜなら彼───なのかどうなのかは判断がつかないが、少なくとも彼女じゃないだろうとシオンは思い───はシオンの人差し指分、つまり七センチくらいしかないのだ。だが当の小さな達磨はくわっと口だけ動かす(まだ目がないからだ)。
「小さいからと言うて馬鹿にするでないぞ! 山椒は小粒でもぴりりと辛いじゃ!」
「は?」
「小さくても威力は大きいということかしらね」
「そうじゃ。そっちの黒いの! ワシを馬鹿にしてると幸せになれんぞ!」
「いやべつに馬鹿にしたわけじゃ……」
 そんな風に言いながら、するりと黒猫から人間へと姿を戻す。そして達磨をひょいっと掴んで手のひらに乗せながらじっと見る。
「なんじゃ、おぬし人間か?」
「まぁな。それより達磨ってどんな意味だったっけ? なんか覚えてるような覚えてないような……」
 いいながらちょいっと小さな達磨を指でつつく。
「つつくでない、若いの。達磨と言うのはだな、商売繁盛・開運出世などの縁起物とされ、最初に片目だけ入れておき、願いごとが叶った際にはもう一方の目を入れる、こういうものじゃ!」
 力んで説教された。しかも当の達磨本人(?)に。もうなにも突っ込むまいとげんなりした様子のシオンに、達磨はなぜか得意げだ。
「なんでそんな説明口調なんだよ……」
「ん? そりゃ若いの、お前さんがワシを知らんと言ったからだな。ワシを売る人間たちが常日頃お客さん相手に言うておった言葉をそのままそっくり真似しただけじゃ。ところでここはどこなんじゃ?」
 いまさらか! と突っ込む声を押しとどめ、心の中だけにしておいた。反応したら延々とループにハマる気がする。負のループ。そんな様子をとりあえず眺めていたカンナが、そこで口をはさむ。
「ここは夢と現の狭間に存在する、魂の休息所。名前は夢幻堂。理由はどうあれ、ようこそいらっしゃいました、《吉兆の豆達磨》さん」
 ふんわりと笑顔を向ける。《吉兆の豆達磨》は見えているのか見えていないのか分からない空の目でカンナを見て、嬉しそうに「ああ」と言った。

作品名:夢幻堂 作家名:深月