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夢幻堂

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第八章 淡雪の花びら


 静寂に満ちた夢幻堂で、光を浴びながらうとうととまどろんでいたシオンは、ふっと見慣れぬ異様に大きな黒い影を見つけてぎょっと目を剥いた。
 来客を知らせる鈴が鳴った記憶はない。いくら寝ていたとはいえ、シオンも夢幻堂に留まって久しい。あれが鳴れば条件反射で目が覚めるはずだ。
(こんなときに限ってカンナは出かけてるし)
 そう、ごく稀にカンナは夢幻堂の外へ行く。そうしなければいけないのだと言っていた。とりあえずシオンは黒いコートを無造作に羽織った目の前の大きな男を睨みつける。するりと音もなくもとの姿に戻り、紫苑の双眸に警戒の色が帯びて爛々と妖しく輝いた。
「てめぇはだれだ?」
「人に名前を聞くときゃ、まずは自分から名乗るのが礼儀ってもんだろ?」
 ふふんと不敵に笑った男は、まったく悪びれるふうもなくシオンに返す。
「鈴も鳴らさずに入ってこられるやつに礼儀もへったくれもあるか!」
「なんだ、寝てたのかと思いきや、気付いてたのか。こりゃ迂闊だったな。ぐーすか眠りこけてるからてっきり気付いてないもんだと思ってたぜ」
 そこまで間抜けに見えるか、と怒鳴り返そうとしてやめておく。不毛な争いはしないに限る。第一カンナがいない間になにかトラブルでも起こそうものならあとが怖い。シオンはそう思い直すと、ソファーにどっかりと座り込んだ相手の目をじっと見て、もう一度名前を聞こうと口を開く。目の前の男はそんなシオンを面白そうに見ると、にやりと口の端をつり上げた。
「そんなに警戒するなよ、シオン」
「なっ……!」
「本当に二色なんだな、その瞳。実際に見る前は半信半疑だったがな……ふぅん、悪くねぇ」
 咄嗟のことでなにも返せなかったシオンは、一回息を吐き出して感情を抑える。ここで感情に任せるまま怒鳴ったら相手の思うまま──、もとい堂々巡りになりそうだ。だからできるだけ低い声で、男にもう一度同じことを問う。
「…………おまえはだれだ?」
「だから聞くときゃ名乗れってのに。ま、今回は俺が知らないフリしてたってことでチャラだな。俺はこの世界を回る"夢の渡り人"だ」
 チャラと言いながら結局は名を名乗ってはいない。けれどその"通り名"には聞き覚えがあった。しかもつい最近だ。シオンは記憶を手繰り寄せてそれをいつ聞いたかに辿りつく。そしてはぁとため息をつくと、白く長い指をつやつやと輝く黒髪に埋めながら呻いた。
「夢の……ああ、あんたがセツリか」
「その反応だとカンナから俺のことも聞いてたな? ずいぶんと丸くなったもんだ、あいつも。いい傾向だけどな」
 脱力して向かい側のソファーに座り込んだシオンに、セツリという男は楽しげに笑った。シオンはもう一度ため息をつくと、喪に服しているかのごとく黒の服で身を包んでいる男に葡萄と新緑の視線を向けた。
「カンナに用ならいまは留守だ。会いたいなら違う日に来たほうがいいんじゃないか?」
「んあ? あぁ、まぁいいんだよ。どうせ呼び出されてんだろ……それにしてもここまで雰囲気が変わるとはな。置いてるモンはたいして変わらねぇのに不思議なもんだ」
 どっかりと足を組みながらきょろきょろと値踏みするように夢幻堂の中を見る。
「……聞きそびれたけど、なに勝手に寛いでんだ」
「なんだよ、ツレねぇやつだな。俺はシオン、お前にも会ってみたかったんだぜ?」
「俺に? なんでだ? そもそもどうして俺のことを知ってるんだ?」
「夢幻堂店主の拾い物に興味があってな。もっと早く来る予定だったが、お偉いさん方が色々とうるせぇから遅くなっちまった」
「拾い物って……俺のことか。あんたはカンナが心配でここに来たのか? こんな目を持つ俺がそばにいるから」
「ざっくり言やぁそうだな。ここを闇に変えるようなやつだったら、ぶっとばしてでも|夢幻堂《ここ》から追い出してやろうと思ってたがな……まぁそもそも狭間の世界にいるイキモノたちがマトモなこと言うわきゃねぇよな。信じた俺が馬鹿だった」
 シオンに向けた言葉なのか、自分自身に向けていた言葉なのかがよく分からず、シオンは渋面をセツリに向ける。だが、セツリが招かざる客ではないことは確かだ。
「なんなんだ? 結局俺はあんたにとって邪魔な存在ってとこか?」
「いいや、逆だぜ。お前がそばにいたからここは前よりもずっと明るくなったんだな」
 無遠慮でずかずかと入り込んで、威圧するように喋っていた男──セツリ──が不意にやさしい顔つきに変わるのを、シオンは物珍しく眺めた。
「……あんたはカンナが大事なんだな」
「なぁシオン、お前がここに来たのはその瞳が原因か?」
 静かにそう言ったシオンに、セツリはまた不敵な笑みを浮かべたまま答えを濁した。そしてその話題から逸らすかのように口を開いた。触れられたくないことなのか、ただの照れ隠しなのか。多分後者だと思いながら頷く。
「多分、そうだ。でも俺にはここに来るまでの記憶がない。だから多分そうだとは言えてもたしかには分からないな」
「記憶がない? そんなはずは……」
「なんだ?」
「まったく、成長したかと思ってたんだが、あいつもまだまだちびっ子ってことか」
 苦笑まじりの声は面白がっているようにも、呆れているようにも聞こえる。
「……あんたにとってはカンナは子どもなのか? ここに来たときから知ってるから」
「一理あるな。けどそれだけじゃねぇ。つーかそれより年上に向かってあんたはねぇだろ。せっかく名乗ってやったのに」
「"夢の渡り人"は名前じゃないだろ。俺はたまたまカンナから名前を聞いて、セツリだと知ってただけで、名乗られたわけじゃない」
「ふふん、まぁな」
「なんだ? セツリと呼ばれるのが嫌なら"夢の渡り人"とでも言えばいいのか?」
「嫌とは言ってねぇよ。けど、お前にとって俺はまだ警戒すべきやつだと思ってんだろ? そんな風に睨みつけられながら言われて嬉しいやつなんているかよ」
「…………百歩譲って寝てた俺が悪いんだとしても、俺は|セツリ《あんた》を知ってるカンナじゃない。そういうセツリも俺の存在を値踏みしにきたんじゃないのか?」
「値踏み、ね。案外厳しいこと言うんだな、シオン。過去の記憶がないくせに、その瞳が原因でここへ来たんだとなんで知ってんだ? 己の過去を知らないなら、それを卑下する必要もないだろ?」
「言ってる意味が分からない。俺はセツリと呼ばれるのが嫌なのかと聞いただけだ。ここへ入ってこられるなら招かざる客じゃないことはたしかなんだろ。カンナは不要なやつをここに入れたりしないから。……だけど、あんたは俺を計る目で見た。俺が睨んだんだと言うなら、あんたも同じように俺を見たんだ」
 値踏みだとか計るだとか、ずいぶんとそぐわない言葉を使うんだな、とセツリは思って一旦口を閉ざす。封じられた記憶でも、魂に刻み込まれた傷までは癒せない。消せない過去の記憶の一部が、時折そうやって顔を出すのだろう。たとえ思い出せなくても、現の世でどんな扱いを受けていたのか、断片ながらセツリは知る。
(……こんな|瞳《め》だ。傷つけられないわけがないってか。過去を忘れさせるほど、傷ついてたってことなのか? なぁ、カンナ……お前自身よりずっと?)
作品名:夢幻堂 作家名:深月