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夢幻堂

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「ええ。これは淡雪が永い年月を積み重ね、生み出した"奇蹟の花"───うつくしく、穢れのない脆くも強い力を持つのです」
 夢幻堂にはあまたの装具や貴石が棚を敷き詰めている。その中でも《淡雪の花びら》は特別だった。美しい紋様が施されたガラスの瓶に、それはふうわりと鎮座している。それに視線をやり、ヨウは"奇蹟の花"たる《淡雪の花びら》について話し始めた。
「降るはずのない雪が、砂漠に舞い落ちることがあるんです」
 ヨウは懐かしむように眼を細めると、おだやかな声でそう言った。セツリは「ふうん」と呟き、目の前に出された紅茶に手を伸ばし、そのがさつな風貌に違わず優雅なしぐさで紅茶を飲み下した。
「砂漠に雪か……、その花が奇蹟なのは、砂漠に降るはずのない雪の中で咲いた花だからか?」
「ええ、まさにその通りです。"神の気まぐれ"と呼ばれる条件が揃えば、砂漠の上に純白の雪が降り積もります」
「神の気まぐれ、ね。どんだけの確率で見られるんだか」
 神が彼にとってあまりいい存在ではないからか、ヨウの言葉にセツリは鼻白む。ヨウはそれにあえて気づかないふりをしてゆるりと首を振る。
「さぁ、それはなんとも。それこそ神のみぞ知る、でしょう」
「あぁ──そりゃうまい言い方だな。……お前は見たのか? "神の気まぐれ"とやらを」
「"神の気まぐれ"は見られるものではないですが、雪は見ました───、何千年と歳月をかけ、創り上げられた"奇蹟の花"も。この世のものとは思えないほど美しく、幻想的で……神の庭に足を踏み入れたかのような錯覚さえ起こさせました」
「お前がそこまで言うたぁ、俺も一度はお目に掛かりたいね」
 本当にそう思っているのかどうかは別として、セツリはおだやかに微笑むヨウに満足してにやりと口の端をつりあげた。そうやって意地悪そうに笑うのが彼のくせだ。ただそんなセツリの言葉に少しだけ驚いたのがヨウだった。
「見たことのないものがセツリにもあるのですね。私としてはそちらのほうが意外ですよ」
「まぁ、俺はもとが咎人だからな。赦された場所にしか行けねぇのさ。お前みたく歳も取らない。知ってるだろ?」
「……セツリ、自分をそんな風に卑下しても仕方がないでしょう? 咎人と言うならば、私も同じです」
「どうだろうな。俺とお前じゃ、罪の意識が違う。お偉いさん方はお前を縛りつけちゃいないだろうに、お前がそう望んだんだよ。違うか?」
「………ええ」
 ふと目を伏せて頷いたヨウに、セツリは苦笑を漏らして口調を緩めた。
「ま、意味のない口論したってしょうがないな。とりあえずこの《淡雪の花びら》とやらをどうするんだ?」
「……ええ……つい話し込んでしまいました……。《淡雪の花びら》は触れて初めて効果を得られるものです。そして、触れられるのはたった一度のみ」
「たったの一度? ならどうやって取ってくるんだ?」
「そう、その意味でも"奇蹟"なのです、この花は。触れればたちまちに溶け、消えてしまいます」
「そりゃまた……大層なお宝だな。そもそもこれはどんな力を持つんだ?」
「浄化作用───魂の浄化を。魂に刻まれた傷や烙印、赦さざることの浄化……つまり、彼女自身が封じ込めてしまった"自我"そのものを目覚めさせるために、一度すべてをまっさらにします」
 セツリは一瞬眉をしかめたものの、小さく頷き先を促した。
「もちろんむやみやたらに浄化ができるわけではありません。罪は罪として償わなければならないのですから。ですが、彼女の場合は負うべきではない業です」
「だから浄化して罪も消してやろうって言うんだな。本来なら愛されて育って、ここを知らずに生きられただろうに。………しっかし、こいつぜんぜん起きないな」
 ソファですっかり寝入っている少女のそばに座っているセツリは、つんつんと頬をつつく。けれど、彼女が起きる気配はまったくない。セツリはやせこけた頬にそっと触れ、庇護されうるべき子どもであるはずの少女を痛ましい想いで見つめた。ヨウも膝を折り、壊れものを扱うようにそっと黒髪を撫でた。
「よほど疲れていたのでしょう。肉体も魂も、消される寸前でした」
「むごいな。人間ってのは、私利欲のためなら見境がなくなる。他人の命なんかすぐに軽んじて、な。俺が言えたことでもねぇけどよ」
 セツリから感じるのは押し殺された怒り。夢と現の狭間に落ちたものたちは、なにかしらの傷を負っている。それは彼らですら例外ではない。そして奇しくも、ヨウとセツリは人の冷酷さ、残虐さを身をもって知っていたのだった。だからこそ、こんな少女の姿はとてつもなく心を痛くする。
「………どんな形であれ、人は欲を持ちます。だからこそ彼女のような存在が生まれてしまうのでしょう」
 セツリはそうだ、とも違う、とも言わなかった。ヨウもまたそんな答えを望んでいたわけでもない。ただヨウがそっと胸に抱いた《淡雪の花びら》が音もなく、ふうわりと鎮座していた。
「……浄化したら……、こいつは救われるのか?」
 にわかには信じられないと、そういった口調でセツリが問いかける。あるいは救われるわけがないと思っているのだ。すべてが救われるなんて考えるのはとうにやめてしまったから。
「それが私のなすべきことであり、私自身が救いたいと願っているのです。その結果がどうであるのかは、この少女が決めることでしょう。さぁ小さなお嬢さん、起きてください」
 膝を折り、ゆっくりと長い黒髪を撫でながらヨウはあやすように声をかけた。閉じられた瞼からゆっくりと焔の色が覗く。まだ夢心地なのか、その瞳はとろりとしていて焦点が定まっていない。ヨウはそんな少女の手に《淡雪の花びら》をかざす。
「さあ、これを胸に抱いて下さい、そっと。そうすればあなたの魂は浄化されます」
「だからおまえの言葉は難しすぎるっての……」
 あくまでも口調を崩さないヨウにあきれたセツリがぼそりと呟く。けれどその瞳はやせ細った少女に向けられていた。差し出された《淡雪の花びら》を受け取るところを見ていたかったのだ。だが少女はぴくりとも動かなかった。ただじっとそれを見つめた。
「おい───」
 セツリが少女に話しかけようとした瞬間、瞳に静かな炎を宿してヨウをまっすぐ見た。
「ゆ、るしては……いけない。わたしが、つぐなうこと………だから」
 声音こそ弱々しいものの、込められた響きは強い。自らを犠牲にすることを厭わなかった幼き巫女の、挟持がそうさせたのかもしれない。ヨウにはそれが悲しかった。眉間にしわを寄せたまま少女を見ているセツリもきっと同じだったに違いない。ヨウは《淡雪の花びら》をいったんテーブルへ置く。
「赦されていい、などと言ってもあなたは聞かないのでしょうね。焔の神に愛されし巫女───私はあなたに笑う幸せを教えたい」
 どうしても、がんじがらめに縛られた純粋な魂を抱きしめてあげたかった。親が子に惜しみない愛情をそそぐように。ヨウはあたたかさを分けるように、凍ってしまった心を溶かすように、ぎゅっと少女の手を握った。
 少女の瞳が揺れる。握られた|体温《ぬくもり》を信じていいのかと。
「怯えるな。この場所はおまえたちみたいな魂を守るためにあるんだ。分かるだろ? ここはおまえを傷つけはしない」
作品名:夢幻堂 作家名:深月