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夢幻堂

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「あやつらは決してお前が思うようにはならぬ。………さて、どうしたものか。ああ、ちょうどいい場所があったな。お前の魂はかの休息所への道を見出していたのだった。そこで束の間の癒しを得るがいい」
 神の言うところの「かの休息所」がなんなのか、問いかける前に少女の魂は神の手から離れていた。闇が厭う凄絶な白の輝きは次第に遠ざかり、代わりに今度はあたたかで自分を慈しむように引き込む力を感じ───少女の意識はそこで完全に途切れた。



「それが、現世で生きていたころの私。……生きていた、なんて言えないかもしれないけど」
 そう言って微笑んだカンナに、シオンは美しい二色の瞳を怒りに染めて低く唸った。
「笑うなよ。なんでお前だけ罰を受けなきゃいけない? たったひとつしかないカンナの命をないがしろにした奴らにはなんで罰が下らないんだ!」
「……罰は、下ったのかもしれないわ。それはもう現世に魂のなかった私には分からない。私は、神の手によって休息所へといざなわれたから。そこでヨウ様───夢幻堂の前店主に出会ったの」
 懐かしむように目を細めるカンナの表情がとても嬉しそうで、シオンの怒りは少し和らぐ。修復ができないほど心と身体に傷を負ったカンナを癒したのは、きっとその夢幻堂の前店主だったのだろう。シオンは怒りのあまり立ち上がっていた身体を伏せ、尻尾をぱたりと振ると話の続きをねだった。
「……ヨウ様はやさしくてあたたかくて……、私にたくさんの愛情をくれた人だったわ」



 ゆっくりとして、落ち着いた口調が彼の話し方だった。そしてすこぶる真面目な人物でもあった。
「初めまして、小さなお嬢さん」
 目が覚めた少女がぱちぱちと目をしばたたかせているのを見て、彼はにっこり笑ってそう言った。
「……だ、れ」
 表情も抑揚もない声で、自分の名も忘れた少女は聞いた。
「私は|瑛《ヨウ》───夢と狭間をたゆたい、彷徨う魂を束の間の休息へといざなう夢幻堂の店主です」
「そんなちっこいガキに堅っ苦しい言葉が通じるかよ」
 乱暴だが、至極正論で間に入ってきた男に、ヨウは同じように笑って答えた。
「分かりますよ、この子は。……逆に言えば、分からなければならない立場にあったのです。それよりセツリ、お客様でもないのにどうしてここで寛いでいるんです?」
「居心地いいんだわ、ここ。それに夢幻堂は来るもの拒まずだろ?」
「セツリの場合、拒んでも扉を蹴破って入ってきそうですけれどね」
 怒った様子でも、呆れた様子でもなく、ただ穏やかな口調でそう言う彼のそばは確かに居心地がいい。セツリはにやりと笑ったものの、それをすぐに引っ込め眉を寄せて少女を見た。そして聞く。
「……なぁ、瑛」
 セツリの言いたいことがなんとなく分かったヨウは、黙ったまま続きを促した。
「そのちびっ子、心壊されたんだろ」
 言葉を包むことなくセツリはそう言った。だからこそ、ヨウはなにも言えずにただ頷く。そして
「……ええ、あまりにむごい方法でね」
「結局、人間ってやつが一番愚かで救いようもねぇ」
 忌々しそうに舌打ちすると、セツリはそう吐き捨てた。それをヨウが静かに諭す。
「それでも、人を癒すことができるのも人なのです」
「俺はそこまで人間できちゃいねぇんでな、どうしても許せねぇよ。誰かを癒すのは確かに同じ人間だろうが、それでもこいつの心を壊していい理由にはならないだろ」
「セツリの言う通りですよ。さすがの私もここまでとは思いませんでしたから……それなのにこの子はまだ自分が悪いのだと責めているのです。そこまで追い詰めた彼らには、いずれ神からの罰が下るでしょうが───それでもこの子が喪ったものが戻るわけでもない」
 厳しい顔をしてそう言ったヨウに、セツリは視線を落として黙り込む。けれど、ぼんやりと二人を見上げている少女にふと顔を向けた。
「なあちびっ子、自分の名前は覚えてないか?」
「……な、まえ?」
「お前の両親が呼んでくれた名前だ。思い出せないか?」
「……………」
 少女は答えない。
「名前を知ることはできねぇのか? こいつが愛されてた証だろ」
 セツリはヨウに向かって聞いた。夢幻堂の店主は人を癒すために、あらゆる力を行使することを許されているのだ。ならば、名前を探ることもできるのかとそう聞いたセツリの気持ちを、ヨウはよく分かっていた。
「できなくはないですが……、この子自身が封じてしまった殻を溶かしてあげなければ意味がありません」
「溶かす? こいつの感情は封じられたもんだろ?」
「初めはそうでした。けれど、この子は賢い。誰が教えなくとも、自分の立場と境遇を少なからず分かっていったのでしょう。そして、己ひとりが犠牲になることで彼らが救われるならそれでいいと、願ったのですよ。……彼女には神の加護がある。それは造作もなく叶えられてしまったのです」
「………こんなに小さいのにか」
 怒りを抑えた声が、絞り出される。ヨウはただ黙って頷き、口を閉ざしてしまった少女の頭を優しくなでる。長く伸びた黒髪を何度も優しくなでるうち、焔色の瞳は次第にとろりと閉じていく。完全に目を閉じた少女から寝息が聞こえてきたのを見て、ヨウはようやく口を開いた。
「もともと持っていた賢さに加え、神の加護の力によって鋭い理解力を持ってしまったのでしょう。ただ、彼女にとってそれは辛いものだったはずです。賢いがゆえに、自己犠牲を厭わず、彼らのために自分の感情は不要なものだとすら思うようになった───彼女が知らなかったのは、それが植え付けられた先入観だと言うことだけです」
「そんなこと、なんで分かる?」
 納得いかない顔でセツリは聞く。ヨウは変わらず優しい表情を浮かべながら、穏やかに答えた。ここはそんなヨウの雰囲気で包まれたあたたかい場所なのだ。本能的に安心できると知っているのか、少女はすぅすぅと寝息を立てている。
「|予知夢《ユメ》で見たのですよ。……いえ、もしかしたらこの子に力を与えた神が見せたものかもしれません」
「ふん、それも夢幻堂の店主しか分からねぇ力か。俺にはどうにも理解できねぇがな」
「理解できなくていいのですよ。それが当たり前なのですから。|予知夢《ユメ》を見ることも、過去を探ることも、夢幻堂の店主に課されたこと。私はすべての痛みを知り、束の間の休息を与えるべき側のものなのですから。………ここは、夢や幻などではないのです」
 ほんの少しだけ、厳しさを滲ませる。セツリはそんな瑛に向かってにやりと一笑した。
「この場所が単なる夢幻じゃないことくらい知ってるさ。俺を誰だと思ってんだ?」
 ヨウは苦笑して「そうでしたね」と答えた。
「で、結局こいつの名前を知るためにはこいつが持ってる先入観を壊してやるってことか?」
「壊す、とは言い方が乱暴ですが、概ねはそうでしょう。そういえばセツリはこれを見るのは初めてですか?」
 これ、と言って指したのは繊細な模様が刻まれたガラス瓶に収められ、純白の花びらを持つ花だった。
「なんだ、花じゃねぇか」
「花は花でも、これは《淡雪の花びら》です」
 大事そうに持ちながら言うヨウに、勘の鋭いセツリはそれが滅多に見ることのできないものだと理解する。
「それもお宝のひとつか」
作品名:夢幻堂 作家名:深月