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夢幻堂

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「おいカンナ! あいつはどうなったんだよ!?」
 音と匂いこそしないものの、炎に包まれたスミレの姿は見えない。さすがに焦った声でシオンがカンナの腕を掴んで自分のほうへ向かせた。
「前に言ったわよね。あれは罪を重ねて戻れなくなったものに戒めとして使うんだって。人を殺めた代償は重い───あの炎は罪を躯に刻み込むためのもの。身体全体をあんなにも激しく包み込むなら、よほど強い怒りと憎しみで人を殺めたのね。相当に痛いはずよ」
 シオンに向けた視線をスミレへと戻し、苦しそうに目を伏せる。
 その二人の耳に、思わず目を逸らしたくなる絶叫が飛び込む。
「あああああァあ───ッ! い、たい………イ、タいよ、うっ! たすけて!! たすけ、てよう………っ」
 はっはっと苦痛に歪んだ息を吐くのが静かな夢幻堂の中にいやと言うほど響く。
「大丈夫、なのか……? このままどうなるんだよ」
「しばらくすれば炎は治まるわ。そうすれば《血薔薇の剣》で影響されていた力はなくなるけれど……、正気に戻れるかは分からないわ。あまりに《血薔薇の剣》に蝕まれていたら精神は壊れたままになる可能性もあるから」
 そう言い交わしている間にも絶叫は夢幻堂の中に響き渡っていく。聞くに堪えないと言う表情で、けれど決して耳を塞ごうとはしないままシオンもカンナも弱まる気配を見せない白金の炎を見つめ続ける。
「アタシ、ばっかり……っ! どうしてどうしてどうして!!」
 狂気に惑わされたスミレは炎の中でもがき続けている。それでもだんだんとそれは薄れていき、無造作に着つぶした麻のワンピースの輪郭が見えるまでになっていた。スミレも自分を取りまいていたものがなくなってきたのが分かったのか、せわしなく瞳を動かせ、そして大切に大切に守っていた宝石を見ようして──固まった。


 あるはずの薔薇のイレズミは、炎の中で蒸発してしまったかのように消失していた。


「……消えた?」
 ぼんやりと虚空を見つめたように固まったスミレを見て、シオンもまたぼんやりと彼女の腕を見ていた。
「あれを媒体としていたから、薔薇の刺青ごと消えちゃったのね」
 《太陽の媚薬》を飲んだスミレはおろおろと泣きそうな顔で薔薇のイレズミがあった場所を見ている。ずっと叫び続けていた勢いもなりを潜め、何度も何度も自分の腕を確かめてはカンナを見上げ、訴える。シオンはその姿に思わず目を逸らしていた。理由は分からない。だけど胸がずきりと軋んだ音を立てた。痛い、と。
「アタシが悪いの? だって、すごいキレイだったんだよ……ねぇキレイだったでしょ? あの薔薇は」
 スミレは立っていられなくなったのか、支える足の力がなくなったのかべしゃりと崩れ落ちる形で床の上に座り込んだ。
「幻想なんかじゃないわ。だけどね、目を覚まして。もう彷徨わないで、スミレ。あなたにこの|剣《つるぎ》は似合わない」
 カンナは目を逸らすことなく、ゆっくりと幼子をあやすようにしてやさしい声をふりかける。
「でも、アタシの宝石……」
「違う。《血薔薇の剣》はあなたの宝石なんかじゃない。これは封ぜられなければならないもの。………スミレ、あなたはこんなものに頼らなくてもいいはずよ。耳を澄ませば聴こえるわ。あなたを呼ぶ声が、あなたの帰りをずっと待っている人が。気づいて」
「かえ……、り」
 蒸発するように消えていった血薔薇のイレズミから視線を外して、スミレは床に座ったままぼんやりとカンナを見上げた。そのうつろな瞳からはなんの感情も読み取れない。シオンは立ち尽くしたままスミレを見下ろす。カンナはそっとスミレの茶色い髪に触れるとやさしく撫でて「そうよ」と囁く。


 ───早く目を覚ましてよ!


 届いたのはスミレによく似た、けれどそれよりも少し幼くて哀しい声。その声にスミレはぴくりと反応する。空虚で、なにも映し出されていなかった瞳にほんのひとかけら、光が戻った気がした。
「アタシは」
 ぽたり、泪が頬を伝って床にじんわりと染み込む。
「ほら、聴こえたでしょう?」
 スミレはもう反論しなかった。ただこくんと泪のあとを残しながら何度も頷いた。
 カンナは満足そうに微笑むと、泪に濡れたスミレの頬に触れる。
「───眠りなさい。もうあなたのいる場所へ戻れるわ。……犯した罪は消えないけれど、あなたはひとりじゃないの」
 そっとスミレの額に手を置くと、ふわりとやさしく撫でた。念じるようにカンナが目を閉じれば、スミレはその形を失い、ぼんやりと淡い赤に輝く魂に変わる。カンナがふっと息を吹きかければ、それは夢幻堂から突如として姿を消した。
 そんな光景をもう見慣れたシオンは、スミレの魂がなくなったあたりを見つめながらカンナの背中に問いかける。
「戻ったらスミレはどうなる?」
「それはスミレ次第よ。でもきっと罪を償いながら生きていかなきゃいけないわ。……大丈夫だと信じてあげて、シオン。シオンと同じようにスミレにもちゃんとそばにいてくれる人がいるんだから」
「俺と?」
「そう、シオンには私がいるでしょ。……あの子とシオンは孤独に怯えて闇へ手を伸ばしてしまうところがよく似てる。だから《血薔薇の剣》は引き寄せられて、どうしても同調する。分かってたのに、どうにかできなかったのは私の責任だわ」
「そんなことないだろ。……お前がだめだって言わなかったら、俺はこいつに引きずられてた。気持ち悪いのに、どっかでその苦しさが気持ちいいって思ってた」
「でもシオンはちゃんとここにいるわ。大丈夫よ、《血薔薇の剣》は二度と目覚めさせない」
 珍しく強い口調で言い切ったカンナを、シオンは少し驚いた顔で見る。躯も顔つきもあどけなくて幼いはずなのに、こんなときのカンナはなぜかひどく大人びて見えた。それはシオンを時折混乱させ、ざわついた気持ちになる。胸のあたりがぐるぐるとなにか邪魔な物がつかえている感じで──もしくは歯に物が詰まって取れない感じだ──暴れたって取れはしないのに、とことん乱暴に扱いたくなる。そんなよく分からない感情を無理矢理押し込めながらシオンはべつのことを口にした。
「………その《血薔薇の剣》を持ってた英雄ってのは救われたんかな」
 ふと思ったことだった。災いしか呼ばない《血薔薇の剣》の逸話を。カンナは一瞬動きを止め、シオンを凝視する。
「なんだよ?」
「──……何でもないわ。今度……その話をしてあげる。その英雄の物語をね」
「………え?」
 少しだけ哀しそうに微笑んだカンナは小さく呟いてくるりとうしろを向いた。
 夢幻堂の中はいつの間にかいつもの静けさと穏やかさが戻っていて、カンナの持つやわらかな空気と同じものがゆったりと店を満たしていた。
「カンナそれって」
「今度って言ったはずよ。それに、今日はお客様が多いわ」
 聞き出そうとしたシオンを遮って、カンナは飲まれなかったお茶を持ち上げる。それと同時にふわりと風が動いた気がした。


 ───チリン


 鳴る。
 客が来たことを知らせる涼やかな鈴の音が。また新たに休息を求める魂が。
「ほら、シオン」
作品名:夢幻堂 作家名:深月