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夢幻堂

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 力を込められた腕は予想外に強い。カンナはそれを剥がすことができないままで、シオンは苦しげに息をつきながら弱々しく繰り返した。でもスミレはそんなことは聞かずに独り言のように呟いていく。
「だからアタシは願ったよ。願ってコレを彫ってもらったの、望んだ力をあげるって言ったから。でもそれはホントだった。アタシの宝石がアタシたちの目の前からあいつを消してくれたんだよ」
「なん、で……、殺、したんだよ」
「だって邪魔だもん。邪魔で、ユウガイだから要らないの」
 すこしだけ込められる力が弱まる。でもシオンは抵抗しないまま自分にまたがっているスミレを見た。
「おまえ、操られてんだよ……それに。ちゃんと止めたやつだいただろ? お前が俺に触れた瞬間、そいつが叫んでんのが見えた。目を覚ませって───っ!」
 ぐぅっ、とシオンの口からうめき声が漏れる。信じられないほどつよい力で、絞められた。
「あやつられてなんか! アンタになにが分かんの!?」
「分かんねぇよ!」
 初めてシオンが抵抗してスミレの腕をいとも簡単に剥ぎとる。そしてすばやく上半身だけ起き上がると、怒鳴りかえした。スミレは拒絶された腕を一瞬驚いたように見つめ、シオンに視線を戻すと濁った瞳で睨んだ。
 カンナはそんなシオンを横目で見ながら、ふと思いついたようにうしろの棚に目をやる。そしてそっと腕を伸ばすと、小さなガラスのビンに閉じ込められた金赤と金橙が混ざり合った美しい液体を手に取る。
「分かるかよ、お前のことなんか! だけどお前が間違ってることくらい分かるっつってんだよ! 死ねばそれで満足なのか? そいつが消えりゃお前は幸せになんのかよ!? だったらなんでお前は泣いてんだ!」
 怒りを含んだシオンの言葉に、スミレは虚をつかれたようにぽかんと動きを止めた。
「泣いて、なんか」
「泣いてるだろ。……なぁ、本当に幸せなら|夢幻堂《ここ》には来られないんだよ。ここは魂の休息所なんだ。それに」
 いったん言葉を切ってスミレに向き合う。スミレはじっと黙ったままさっきよりも幼い顔つきでシオンを見た。
「お前はここに来てから一度も笑ってない」
「どうして? そんなことないよ」
 にこりと笑うスミレはどこか違和感を覚える。それは不自然な笑顔だからだ。
「それは笑ってるとは言わない。お前は嬉しいと思って笑ってるんじゃない。生きるために笑うことが必要だったから、義務として笑えるようになっただけに見える」
「………|予知夢《ゆめ》を渡るなかで、あなたの姿を見たわ」
 小さな小瓶を抱きしめたままカンナが静かに会話にすべりこんだ。床に座り込んでいるスミレの視線がカンナへ向けられる。シオンはスミレの目の前で、ちょうどうしろにあったソファを壁と見立てて床に座り込みながら体重を預ける。
「スミレ、あなたが言う『あいつ』はお父様ね? あなたたち姉妹は暴力を受けて、あなたは妹を守ってた」
「あいつはママを殺したんだ。なんにも悪くないのに!」
 スミレは目を伏せた。
「そう、ね……そして、あなたはその血薔薇の刺青をある人に彫ってもらった」
「昔から知ってるヒトだよ。親切なんだから」
「そうね、べつにそれが悪いわけじゃないわ。力をあげると言ったのはあなたを慰めたかったのかもしれないから。だけどその刺青を媒体として封じたはずの《血薔薇の剣》が宿ってしまった………それは弱った心や、つよい憎しみを抱えた心を糧として生きてるから、呼び寄せてしまったの。……いつのまにか、封印がゆるんでしまっていたのね」
「……意味分かんない」
 スミレが吐き捨てる。カンナの言葉は半分くらい独り言で、シオンだってよく分からない。だからスミレがもっと分からないのは当然だ。
「夢幻堂は夢と現の狭間にある、疲れた魂の休息所。ここには訪れるお客様が使うたくさんの薬があるわ」
「タマシイとかユメとか力が宿るとか、そんなのヒジョーシキだよ。現実じゃないよ」
 スミレはいま気づいたとでも言うように改めて二人と夢幻堂をじろりとねめつけるようにしながら言った。シオンは最後の言葉に反応して肯定する。
「ここは現実じゃないぞ。言っただろ、夢と現の狭間にあるって。そもそもお前がいる世界じゃないんだ、ここは」
「違う! 違うよ!」
 スミレはだだっ子のように首を振って、違うと繰り返した。もう何が「違う」のかスミレ自身には分からないのだ。認めたくないから、目を背けていると言ったほうが正しいのかもしれない。シオンはため息をつくとうしろを振り返る。そこには静かな表情のままのカンナがいた。
「あれも《血薔薇の剣》の影響なのか?」
「……そうね。スミレは目を背けたがってるの。でもこのままじゃ壊れちゃうわ。……もう一度あれを封じなければ」
 少しだけ俯いて、手に持つ小瓶をぎゅっと握りしめる。そしてゆっくりと顔を上げる。
「シオン、ちょっと下がってて」
 カンナは自分を守るように立っているシオンにそう言うと、一歩前に進み出てスミレを見る。
「カンナそれ……」
 言いかけたシオンを視線で黙らせ、言われた通りに下がる。夢幻堂の店主であるカンナにかなうなんて最初から思ってなんかいない。けれどシオンはカンナの持つ小瓶に鋭く視線を向けると、大丈夫なのかと心の中で問いかけていた。
(あれは……強い薬で、毒薬とか麻薬に近い───罪を重ねたやつに、使うって)
 以前、うっかり倒しそうになった瓶のひとつであることを、シオンはちゃんと覚えていた。それにその薬を調合しているところも見ていたのだ。
「………太陽の、媚薬……カンナ、それどうするつもりなんだ……?」
「名前までよく覚えてたわね」
 わざとらしくカンナは微笑むと、そのままスミレに向き直る。興奮したままのスミレはカンナにつかみかかりそうな勢いで睨みつけていた。
「これを見て? 綺麗でしょ?」
 そう言いながら金赤色の《薔薇水の誘惑》と金橙色の《黄金の炎》、ふたつのとろりとした液体が入った小瓶をゆらりと振ってみせる。完全には混じり合わないそれらは掌にすっぽりとおさまる小ささながら、窓から入り込む光にキラリと反射して蠱惑的ななにかをかもしだしている。
「それ、なに?」
「《太陽の媚薬》って言うのよ。……欲しい?」
 挑発するように、わざと欲しくなるように、にっこりとカンナは微笑する。スミレは疑わしげな視線を向けながらも美しく輝くそれから目を離せないでいるようだった。
「あなたの持つ《血薔薇の剣》なんかよりもずっと美しい宝石よ?」
「…………どうすんの、それ」
 自分の中で葛藤しているのか、しばらくためらったあと悔しそうにスミレが聞く。
「一滴だけ口に含むのよ。欲しいなら手を出して」
 スミレが手を出すとカンナは分かっていた。分かっていてあえて選ばせる。
「ちょうだい。アタシの薔薇もキレイだけど、それもキレイ。アタシの力になってくれそうだね?」
「……そうかもしれないわね」
 また濁った笑みを浮かべたスミレを、カンナは否定することなく差し出された手の上にたらりとひとしずく《太陽の媚薬》を垂らす。

 それがスミレの肌に触れた瞬間、突如として白金に輝く炎が彼女の躯すべてを包み込んだ。
作品名:夢幻堂 作家名:深月