オリーブの枝
生まれてくるんじゃなかった。
この言葉を何度口にしたことか。私は、生まれたとき川辺に漂流していた。母のお腹の中の羊水ではなく、川の水に揺られて。ゴミ袋に入っていたそうだ。川辺にいたホームレスの人に拾われて、乳児院に連れてかれた。生きていたのが奇跡だったようだ。当時はニュースで話題になっていた。全て後から聞いた話だけどね。正直、何にも覚えてない。だが、川に捨てられた経験からなのか、私は泳げない。水の中に入るのが怖い。川に捨てられたという恐怖が、本能的に記憶として体に刻まれてるのだろう。物心ついたときは養護施設のベッドの上にいた。ここが私の家?いや違う、ここは部屋の一室だ。お父さんとお母さんはどこに?私は歩き出し、ドアが開いていたので部屋を出た。そしたら白衣を着た人が、あぁ勝手に動き回っちゃだめでしょ、と言って私を抱きかかえ部屋に連れ戻した。この人がお母さん?花子ちゃん、その人は私をそう呼んでくれた。私の体は弱かった。元々の体質なのか、捨てられた後遺症かどうかはわからない。なかなか外に出させてくれず、いつも窓から見てるだけ。やっと動き回れるまで回復したのが7歳になったときだ。病室から出た私を待っていたのは、児童養護施設での生活だ。児童養護施設に入る前に一時的に収容される施設がある。 まずはそこで集団生活が出来るかどうかを見られる。とても閉鎖的な空間で親以外の外部との連絡は一切取れないし外出なども出来ない。朝6時に起きてから夜の9時までずっと監視されててすごく居心地が悪かった。約1ヶ月の間管理された生活をして、集団生活に問題が無いと判断されると次に児童養護施設に移される。この1ヶ月の間に子供たちにランク分けをしており、生活態度が良い子供には規則の緩い施設を紹介し、生活態度が悪い子供には 規則の厳しい施設に入れられるらしい。私は冷めた子だったから、何も文句を言わないし、暴れたりもしなかったから、規制のゆるい比較的自由な所に最初は入れられた。そこにはいろんな子供たちがいたけど、私みたいな両親に棄てられた正真正銘の孤児はほとんどいなくて、親はいるけど虐待を受けていたり、自身に問題があって両親の手に負えないから入ったみたいな奴が大半だった。私みたいなのは珍しかった。入ってからしばらくして、私はそこを仕切ってた奴らに目をつけられた。入ってから誰とも話さなかったし、仲良くしようとも思わなかったから、気にくわなかったのだろう。ねぇ、あんた何か話しなさいよ、なにずっと黙りこくってるわけ?大丈夫、恐くないからさっ。きゃはは!あんたかわいいよ、食べちゃいたいくらい。こっち向きなさいよ。わぁー、ほっぺぷにぷにー。ハグしちゃおっ!なんでだろう、とてつもなくむかついた。消えろ!私は心の中でそう言った気がする。私はそいつらに噛み付いた。さらに椅子やテーブルを投げたりもした。初めて暴れた。何がなんだか自分でもわからないし、何故か涙が出てきた。とてつもなく苛立って、とてつもなく惨めだった。私はその場から逃げ出そうとした。しかし、大人に捕まって、連れ戻された。そして、謝らされた。私は謝りたくなかったが、早くその場を終わらせたかったから、小さくごめんと言ってすぐに自分の部屋に帰ってしまった。あれは、実に不思議な気分だった。何かむず痒い、何か我慢ならない、何か認めたくない、何か気分が悪い、何か……。