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ライドガール

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「さっき、銀天馬を見せてもらって思ったんだ。あれだけ見栄えのいい馬なら〈天馬競〉の勝利だけでも種付けしたがる人はいるかもしれない。でもバルムは違う。だから、そこらのきれいな馬より強い心臓と脚を持った馬なんだって、もっとはっきりわからせないと」
 動かないカズートの表情に、かえって救われた気がした。だからリウはさらに言った。
「それに、あの子はこのイシャーマ牧の馬だけど、バルムは〈天馬競〉にだって出たことのないランダルム牧の馬なんだよ。どこの牧の馬か、たったそれだけのことでも、ばかにする人はばかにする。いま言ったじゃない、能力を証す挑戦だって。バルムには誰にでもわかる証が要る。それがないと、バルムも、それにうちの牧も――」
 そのとき、メイドが戻ってきた。
「え、えっと、そちらにお運びするほうがいいですか?」
 続き間にいるふたりの姿に、困ったように立ち止まっている。
「ああ、そこに置いといてくれ」
 メイドの少女は危なっかしい手つきで銀盆をテーブルに置き、落ち着かない様子でエプロンの前で両手を組み合わせた。
「あ、あの、他にご用はございませんか」
「いや」
「あ、あの、でも」
 あどけない頬がくしゃりとゆがむ。
「――やっぱりカズート若さまは怒ってらっしゃるんですね!」
「は?」
「あたしが今朝、思いっきりスープをひっかけちゃったから! でもあたし、そんなことなんてする気はなくって、ただうっかり指がすべっちゃっただけで……はっきりお叱りになってください、そうやって黙っていつまでも怒られてるほうが怖いです!」
 いつのまにか、組み合わせた両手が胸の前まであがっている。
 疲れたような吐息が聞こえた。リウはちらりと昔なじみを見上げ、小さく笑った。
「怒ってはないみたいだよ?」
「えっ?」
 メイドはリウとカズートを見比べた。
「勤めだしたの、最近? あのね、こいつ、目つきが悪くて見た目は割と怖いけど、中身は意外とそうでもないから」
 リウはカズートの脇腹を肘でつついた。
「自覚して気をつけなよ。黙ってたら怒ってるみたいなんだからね、あんたの場合」
「ほっとけ。よけいなお世話だ」
「わ、どの口でそんなこと! 無駄に元気だなとか狭い家は落ち着くだとか、いつだってよけいなこと言って喧嘩売ってきたくせに」
「おまえがいちいち曲解してんだよ。大体それを言ったら、いきなり初対面で強盗扱いした上に、人の目つきがどうだこうだと喧嘩を高値で売ってきたのはおまえだろ」
「もしかして本当に自覚ないの? やってきたのがどこの強盗かと思ったって無理ないよ」
「自覚もなにも、あのときのおれはたったの八歳だぞ?」
「この目つきの悪さなら子供だってわからないって思ったの」
 ぽんぽんと言い合うリウとカズートのやりとりを、メイドはぽかんと口をあけて眺めていた。
「あ、ごめんね。だけどわかった? 本当はこんな感じのやつなんだ。だからそんなに怖がらないでいてやって。カズート、こっそり傷ついちゃうから」
「あ、は、はいっ!」
 メイドは勢いよくうなずいて出ていった。
「……最後まで滅茶苦茶なでまかせを吹きこむな」
「でまかせじゃないし。大体、家の人とうまくやれないで仕事なんかできないでしょ」
「なんだそれ」
「……だから、気をつかってあげたんだよ!」
「よせよ、柄にもない」
「そんなこと言って。カズートだって柄にもなく、わたしに気をつかってくれてるじゃない。こんなふうに呼んで天馬を見せてくれたり」
「なりゆきだ」
「照れない照れない。大丈夫だよ、わかってる。なんかそうなるよね、昔なじみって。久しぶりに会ったら、ちょっと親切にしてみたくなったりして」
 カズートは居間に戻ると、メイドが持ってきたカップを取り上げ、立ったまますすった。
「お行儀悪いよー、若さま」
 リウも居間のソファに戻った。メイドが持ってきてくれたのはコーヒーだった。受け皿ごとカップを持ち上げると、こうばしい香りがリウの鼻先をくすぐった。
「うーん、これこれ」
 リウが買い物をするジョスリイの町の店には、コーヒー豆は二週に一度ほどしか入らない。リウはこの香りが好きだったが、なにしろ品薄な上に高額で滅多に買えなかった。
「コーヒーって、淹れるときもいいよね。ネルにお湯が入ったときに、ふわんて香りが」
「あのな」
 だしぬけにカズートは話を遮った。その声にはひんやりしたなにかが忍んでいた。
「……な、なに?」
 リウは思わずカップを置いた。
 カズートは自分のカップをにらむように見つめている。
「たしかにおれは、おまえに天馬を見せたかった。自分なりの親切のつもりでもあった。それでもおまえは、おれのしたことが親切だとは思わないだろうよ」
「どうして。そんなことないよ。とても親切にしてもらえたって思ってる」
「おれは、おまえがやめるって言い出さないかと期待したんだ」
「え?」
「なのにおまえは、かえって〈大天馬競〉まで目指そうとしはじめた。おれも悪かった。下手な小細工なんてしないで、最初からはっきり言えばよかったんだ」
「ちょっと待っ――」
 言い終わる前に、カズートの声がリウの言葉を冷たく消す。
「おまえが〈天馬競〉に勝つのは無理だ」
 リウは反射的に立ち上がった。
 カズートがカップから視線をあげた。
「断言できる。競技場をうろついてるような助っ人に〈天馬競〉を一緒に勝てるやつはいない。小金目当てでなければ、他の組が全部棄権する可能性もないじゃないと考えるような能天気だけだ。牧を続けたいなら、もっと有意義な金の使い方をしろ」
 ひと言ひと言が胸を切り刻む。リウはぐっと唇を噛みしめてカズートをにらみつける。言葉よりもなお鋭いその眼光に負けないよう、自分も懸命に目に力を込めて。
「そんなの、もうさんざん考えたよ。どうしたら牧を続けられるか、眠れなくなるくらいいろんなことを考えたんだよ。だから教えてよ。〈天馬競〉以外、どんな手があるの?」
 カズートはむすっとした顔のまま応えない。
「ほら、やっぱり思いつけないじゃない」
 リウはうっすらと笑う。
「無茶なのはわかってる。だけどこのままじゃうちの牧は、どうしたって廃業なんだもの。馬を売って、小さな農場に作り替えてやってくしかないんだもの」
「そうしたっていいだろ。よければ馬はおれが買う。ここなら見に来れるだろ」
 リウはなけなしの笑みすら引っ込めた。
「天馬を見せてくれてありがとう、感謝する。だけど借りなんか作りたくないって、あと何回言えばいい?」
 カズートはすばやく一瞬目をつぶった。まばたきのようなその仕草のあと、彼の目はますます鋭さを増した。
「わかった、じゃあこれも言う。おれにはおまえが思ってるよりまだ金があるんだ。親父や兄貴に頼まなくても、おまえのところの馬くらい、全部おれ個人の判断で動かせる金だけで引き取れる。こんなのは貸しでもなんでもない」
「……この前、馬車に寝かせてくれたのと同じってわけ」
作品名:ライドガール 作家名:ひがら