ライドガール
「そうだ。考えてみろ、仔犬を拾ったはいいが、親に飼えないと言われた借家の子がいるとするだろ。そしておまえには牧の敷地と家がある。その子から仔犬をもらってやって、牧に遊びに来ればいいと言ってやって、それで貸しがあると思うか?」
「……わたしは無力な子供ってわけ」
「この場合はな」
「そうだね、子供ならどうしようって泣いて誰かの助けを待つだけかもね。だけどわたしは子供じゃないよ。そんなのはいやだ。たとえだめでも、最後まで自分でなんとかしたい」
「心意気は見上げたもんだ。だがな、本当にそれでいいのか?」
「――」
「たとえだめでも、って言ったな。だめなんだよ、それじゃ。やるだけやってだめなら満足なのか? 無駄に金をつかうことでバルメルトウまで手放すことになっても、それで」
カズートは容赦ない。リウは視線をそらせたが、それでも言葉は終わってくれない。
「わかるつもりではいる。バルメルトウがおれの馬なら、きっと同じように感じたと思う」
びくりとリウの肩がひきつる。
「あいつなら天馬になれるかもしれない。そう思って、どれだけ無理をしても挑戦させたくなっただろうな。あいつさえ走ればなんとかなるなんて、甘ったるい奇跡を信じて」
「違う!」
リウは思わず声をあげる。
「それに、夢を見てるあいだは、他のことは見なくてすむ」
「ちが――」
「当たり前だよな。自分の馬が天馬になるのは、馬飼いにとって最高の夢だ」
リウはうつむき、唇を噛む。
「だがな、夢を見てるだけじゃ、絶対に天馬は獲れない。いまだっておれに、組む馬や人を貸すよう頼み込む覚悟もないじゃないか」
カズートがカップを置いた音がやけに響く。
「……頼めるわけないじゃない。だって今年もイシャーマ牧は出るんでしょ」
「出る。今年の組はおれが管理することになってる」
カズートも〈天馬競〉に出る――リウの心はさらに冷える。
「だったらなおさら、そんなこと頼めっこない」
「じゃあ勝てないな」
半ばは抗い、半ばは祈るような気持ちで、リウは顔をあげる。
「……昔なじみでも、こういう気持ちまではわかってもらえないんだね」
カズートは見下ろすようにリウを見つめ返した。
「おれに借りを作りたくないって、おまえの気持ちはわかるつもりだ。ただ、そんな綺麗事じゃ勝てない。あれもこれもと欲張ることはできない。そういう話だ」
目つきが悪いとさんざんからかってきたその顔に、リウは初めてかすかな恐怖を感じた。
送っていくというカズートの申し出を、リウは断わった。それで彼はついてきた。
「ほんと、いいから。大丈夫だから」
リウは早足に歩きながら、もう何度目かの断わりを口にした。自然と彼から目をそらせてしまう自分の弱さが情けなかった。
「もう日も落ちかけてるのに、そういうわけに行くか。いいから送らせろ」
リウの精いっぱいの早足にも、カズートは楽々とついてくる。
「貸しがどうの借りがどうのって、みみっちいことを気にするようになったよな。どうせなら種馬も一緒に連れてこいって、前は平気で言ってたくせに」
そんなふたりの違いがいらだたしく、また少し悲しくて、リウはさらに足を速める。
「一〇歳やそこらの子供ならまだしも、この年でそんなばかなこと言ってられないよ」
「ちゃんとした年だっていうなら、送らせるのも礼儀だろ」
「牧の娘ならひとりで帰るのなんて普通だよ。迷子を捜しに行ったりとかするし」
「それは牧の中での話だろうが」
ふりきれないと悟って、リウは足を止めた。目をそむけたがる自分自身に見えない鞭を入れ、まっすぐにカズートを見上げる。
「カズートも変わったよね。この一年、どんなお姫さまたちとつきあってたの?」
思いがけず、カズートはわずかにひるんだ。
「そうだよね、ずっと南部へ行ってたんだもんね。ひらひらの傘をさしたお姫さまたちばっかりと話してて、このあたりの娘がどんなだったか、忘れちゃったんじゃない?」
「……近所だってだけでおまえとひとくくりにされたら、文句言うやつが出てくるぞ」
「とにかく、わたしは誰かについてきてもらわなきゃ道も歩けないようなお姫さまじゃないってこと。バルムだっているんだし」
リウは再び歩き出した。
その先に、傾いてきた日に影を伸ばして、黄褐色の馬を引いた青年がいた。
リウの足はまた止まった。
追いかけてきたカズートも立ち止まった。ちらりとリウを見やると、青年に声をかけた。
「シャルス、どうした?」
青年はリウを見つめてからカズートに視線を移し、淡く微笑んだ。
「こんな間抜けた馬はいらないそうです」
「……そうか、残念だな。ダールグ兄貴は好みがやかましいんだ。おれだったらこの馬は買うんだが。でも口出しするなって、兄貴がまたうるさいか……」
「気持ちだけで十分です。それに、たしかにユーリシスは間抜けたところのある馬ですから。人も仲間も馬房の壁も一度も蹴ったことがないのはまだしも、隣の馬に横から飼葉をとられても黙って見ているようなやつです。なにより脚が遅くて」
「そうなのか? そいつはキラムの仔だろ?」
「ダールグさんの言うとおり、うちの牧の母馬の血が悪かったんでしょう」
シャルスはさらに淡く微笑んだ。
「もう帰るのか?」
「一目できっぱり断わられましたから。粘ってみても無駄でしょう」
「――じゃあ、悪いがこいつをランダルム牧まで送っていってやってくれないか」
シャルスはゆっくりまばたき、リウを見た。
リウはかっとなって声を高くした。
「いいって何度も言ってるじゃない!」
「知り合いなんだろ。それにノア牧なら途中まで道は一緒だ。いいか?」
カズートが最後の言葉をかけた相手は、明らかにリウではなくてシャルスだった。
「は、はあ……」
「だったらまかせた。頼む」
言うなりカズートはくるりときびすを返して、さっさと戻っていってしまった。
その背を見送ったリウとシャルスの視線が、互いにためらいながら、それでもようやくぶつかった。
「――行こうか、リウ」
シャルスが言った。